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ブックマーク / note.com/kota1986 (16)

  • ジャズとクラシックの100年 (1919–2019)|小室 敬幸|note

    ジャズとクラシックの100年【第1回】1920-30年代:ジャズのサウンドを取り入れる作曲… 1917年2月26日——オリジナル・ディキシーランド・ジャス・バンドという白人バンドによって「…

    ジャズとクラシックの100年 (1919–2019)|小室 敬幸|note
  • 『聴かずぎらいのための吹奏楽入門』は何故、コンクールを軸に吹奏楽を語ったのか?|小室 敬幸

    2023年6月26日にアルテスパブリッシングから発売された拙著『聴かずぎらいのための吹奏楽入門』は、ありがたいことに概ね好評な反応をいただいております。 しかしリアクションのなかには、批判の声も複数いただきました。SNSやメールで届いた様々な批判的見解の根幹はおおよそ一致していて、それは…… 吹奏楽という閉じた世界を飛び出そうとうたっているのに、コンクールをメイントピックにするのは不適切ではないか? ひとりひとり細部は異なりますが、確認できた範疇では「コンクールを通して吹奏楽を語ること」が批判に共通する要素になっています。 わたし(小室)と漆畑、ふたりの共著者は、どうしてコンクールを軸にして吹奏楽のを書くという判断をしたのか? それをご説明すれば、少なくとも著者にとっては前述したような批判が的外れにしか見えないということがお分かりいただけるかと思います。 理由1)出版社からの依頼内容に沿

    『聴かずぎらいのための吹奏楽入門』は何故、コンクールを軸に吹奏楽を語ったのか?|小室 敬幸
  • コパチンスカヤ&クルレンツィスの名演(迷演?)集めました!|小室 敬幸|note

    7月中の毎週火曜日23:40頃からTBSラジオ「荻上チキ セッション22」のMusic Sessionにゲスト出演させていただいております(計5回)。 テーマは「ジャンルを横断しながらアップデートを続けるクラシック音楽の新潮流」。第2回目となる2018年7月10日(火)の放送では「クラシック音楽の演奏」最新型として、ヴァイオリニストのコパチンスカヤと、指揮者クルレンツィスの来日公演をご紹介いたしました(Apple Musicでは取り上げた「チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲」を全編聴くことが出来ます)。 ネット上では、このふたりのキレッキレ(それは色んな意味で……)な演奏が色々と聴けるので、主なものをまとめてみました。 👉パトリシア・コパチンスカヤ [ヴァイオリン]【その1】ヴァイオリン協奏曲を弾いたあとのアンコールで、元ヴァイオリニストの指揮者と、ヴァイオリン2台のための作品(作曲者

    コパチンスカヤ&クルレンツィスの名演(迷演?)集めました!|小室 敬幸|note
  • ブルックナーが苦手な人のためのブルックナー講座【補講】|小室 敬幸

    (※8月20日(月)18時から放送されたOTTAVA Saloneでの特集内容を再構成したものとなっております。) アントン・ブルックナー(1824-1896) ブルックナーの交響曲が演奏されるコンサートでは「男性トイレに長蛇の列が出来る」ことでお馴染みのアントン・ブルックナー。それゆえ、女性受けが悪いという定評もあるのですが、番組にいただいたメールでは男性でも苦手という方が多数いらっしゃったり、もちろん女性でも大好きな方もいらっしゃいました。 ですから、ブルックナーは自分には関係ないと頭ごなしに否定せず、まずは色々と聴いてみていただければと思います。とはいえ、ブルックナーが音楽史に名を刻む他の作曲家と比べても、かなり変わった存在であるということは間違いありません。その「変な部分=特異性」にまず迫ってみたいと思います。 1)時代背景にみるブルックナーの特異性を知ろう話はまず、ベートーヴェン

    ブルックナーが苦手な人のためのブルックナー講座【補講】|小室 敬幸
  • 史上初!? クラシカルDJは何を変革し得るのか?|小室 敬幸

    フランスで発祥した世界最大級のクラシック音楽のフェス、ラ・フォル・ジュルネ。日での15回目の開催となるラ・フォル・ジュルネTOKYO2019が、5月3〜5日にかけて、東京国際フォーラムを中心に盛り上がりをみせている。 その初日――5月3日の20時10分から、ホールEのキオスクステージにおいて、Aoi Mizuno(水野蒼生)を中心とするメンバーによるフォル・ニュイ!! 第1夜「LFJ feat. Aoi Mizuno -VOYAGE MIX-」が執り行われた。 水野は、モーツァルトの故郷として知られるザルツブルクで研鑽をつむ若手指揮者であり、「史上初のクラシカルDJ」を自ら標榜する音楽家。2018年には伝統あるクラシックの(もともとは保守系の)レーベル、ドイツ・グラモフォンからCDデビューを果たしたことで注目を集めている存在だ。 そんな彼が、この音楽祭で一体どのようなパフォーマンスを聴か

    史上初!? クラシカルDJは何を変革し得るのか?|小室 敬幸
  • 現代音楽だから新しいんじゃない。現代音楽“なのに”新しい音楽――Ensemble FOVE"SONAR-FIELD"公演評|小室 敬幸

    現代音楽だから新しいんじゃない。現代音楽“なのに”新しい音楽――Ensemble FOVE"SONAR-FIELD"公演評 サントリー音楽財団から出版されている『日の作曲』という書籍があり、これまでに「1990-1999年」と「2000-2009年」を対象にした2冊が刊行されている。それぞれ4名の音楽学者や音楽評論家によって座談会がおこなわれ、1年毎、その年に初演された日の現代音楽(≒現代〔の西洋芸術〕音楽)で重要だと考える作品を挙げて議論していくという体裁の内容だ。 「1990-1999年」では石田一志、白石美雪、武田明倫、楢崎洋子(50音順)が評者となり、「2000-2009年」では石田と武田(2003年没)が去った代わりに、白石、楢崎に加え、片山杜秀、沼野雄司が評者となった。 評者が変わったことにも大きく起因しているとはいえ、両者で挙げられている作品の変化は著しい。「1990-1

    現代音楽だから新しいんじゃない。現代音楽“なのに”新しい音楽――Ensemble FOVE"SONAR-FIELD"公演評|小室 敬幸
  • ジャズとクラシックの100年【第4回】 1960-70年代:[中編]ジャズでもクラシックでもある音楽|小室 敬幸

    ――越境者としてのクラウス・オガーマン(1930-2016)クラウス・オガーマンという名をご存知の方は、関連作としてどのアルバムを最初に思い起こされるだろうか――やはり知名度が高いのはボサノヴァの父アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバムだろうか? それともビル・エヴァンスとのアルバムだろうか? いずれにせよ、オガーマンの名を高めたのは「アレンジャー」としての能力であり、とりわけストリングス・アレンジの美しさで人気と評価を得たのは間違いないと思われる。 ガンサー・シュラーよりも5歳年下のクラウス・オガーマン Klaus Ogermann  [※来はKで始まり、n 2つで終わるスペルであった] は、1930年4月29日にドイツのラーティボーア(現在はポーランド領のラチブシュ)で生まれた。意外と知られていない彼の人生の全体像を追ってみよう。 1930-59年:ドイツでの修行・下積み時代オガー

    ジャズとクラシックの100年【第4回】 1960-70年代:[中編]ジャズでもクラシックでもある音楽|小室 敬幸
  • 様々なエレメントが組み合わさるから美しい――カマシ・ワシントンを「ダイバーシティの音楽」として聴く。|小室 敬幸

    👉はじめにJazz The New Chapter 5のなかで柳樂さんのインタビューに答えて、カマシ・ワシントン(ジャズ・ミュージシャン/サクソフォン奏者/作曲家)はこう答えている。 「様々なエレメントがあるから、様々なエレメントが組み合わさるから美しい。世界も様々な人が暮らしているからこそ美しいんだよ」 これはカマシ・ワシントンというミュージシャンの根幹にある価値観であり、思想といっても良いかもしれない。こういった考えが基盤になっているからこそ、カマシの音楽には多様な楽器や声、様々な音楽ジャンルが併置され、共存しているのだ(だからポストモダン的なコラージュや折衷主義として聴いてしまっては、カマシの音楽を理解したことにならない)。 この思想を、直接的といっても良いほど明快に、音楽化したのが2017年に発売された《Harmony Of Difference》である。ハーモニーというと「和音

    様々なエレメントが組み合わさるから美しい――カマシ・ワシントンを「ダイバーシティの音楽」として聴く。|小室 敬幸
  • ジャズとクラシックの100年【第3回】 1960-70年代:[前編]ジャズでもクラシックでもない音楽|小室 敬幸

    誤解なきよう最初に断言してしまおう。(たとえ熱心なジャズファンや、クラシック、現代音楽ファンであろうとも)おそらく殆どの人にとって、章の主人公であるガンサー・シュラーの作品は「退屈な音楽」だ。この後に続く長い文章を読めば、彼の作曲した音楽が魅力的に聴けるようになる……ということも無いだろう。 でもシュラーについて知る必要がないかといえば、そうではない。シュラーの生涯を追うことで、現代ジャズを紐解く糸口が色々と見えてくるからだ。騙されたと思って、お付き合いいただきたい。 ――逸脱者としてのガンサー・シュラー(1925-2015)1957年、ブランダイス大学の教壇に立ったシュラーは「サード・ストリーム(第3の流れ)」というコンセプト名を発表。これにより、それまで様々な角度から接近していたジャズとクラシックの関係は、新たな局面を迎えるのだが……それがどのような意味を持っているのかを把握するため

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  • 【動画有り】[癒やし]と[超絶技巧] ~アナタの知らないクラリネットの世界|小室 敬幸

    クラリネットといえば日人的には、童謡として歌われる「クラリネットをこわしちゃった」を真っ先に思い出す方も多いかもしれません。 なんとなく温和なイメージを持たれがちなクラリネットですが、実は――というか当然ではありますが――とんでもなくレンジの広い表現力を持つ楽器なんです。 今回はそのレンジの広さを体感してもらうために、対極に位置する「静」と「動」――「癒し系」と「超絶技巧」の極限を追求したようなクラリネットのための音楽とプレーヤーをご紹介してみたいと思います。まずは驚天動地の「超絶技巧編(プレーヤー)」から! ――[超絶技巧編]クラリネットってこんな楽器だったっけ? Σ(・∀・;)1)マテ・ベカヴァック(スロヴェニア) ⇒ 1:40から、派手な展開となっていきます。 何年も前から度々インターネット上で話題になっているため、ご覧になっている方も多いかもしれません。ベカヴァックによる「カルメ

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  • 「ジャズもビッグバンドも死んでいない!」~ビッグバンドは如何にして、最先端の分野に返り咲いたのか?|小室 敬幸

    ――「ジャズとクラシックの融合」という見果てぬ夢今から60年ほど前、「サードストリーム」という看板を掲げてクラシック音楽とジャズの融合を目指した音楽家たちがいた。先頭に立っていたのはガンサー・シュラー(1925-2015)という作曲家――マイルス・デイヴィスの最初期作《クールの誕生》でホルンを吹いていた人物だ(※正確にはシュラーが参加しているのは1950年録音の3トラックのみ)。 彼は、第1の流れ「クラシック音楽」と第2の流れ「ジャズ」を融合させた「サードストリーム(第3の流れ)」というコンセプトを打ち出し、自らもそのコンセプトに沿った作品を次々と発表。ジャズ側からもコンセプトに共感したジョン・ルイス(MJQ モダン・ジャズ・カルテット)らがこの流れに加わるようになった。 ところが、この試みは事実上の失敗に終わってしまう。失速の原因を一元的な理由に帰することは出来ないが、主要な要因として挙

    「ジャズもビッグバンドも死んでいない!」~ビッグバンドは如何にして、最先端の分野に返り咲いたのか?|小室 敬幸
  • 欧米の作曲家を惑わした青銅による異国の響き ~ガムランとクラシック音楽|小室 敬幸

    インドネシアの伝統音楽ガムラン ―― 青銅によって作られた楽器がメインとなるため、残響の多い独特な響きが耳に残る音楽だ。 私自身、残念ながら現地を訪れたことはないのだが、この残響の多さは、常夏の国インドネシアの高い温度・湿度を反映したものなのだろう。残響過多なサウンドが「むわっ」とした空気感と直観的に結びつくことは、想像に難くない。 今回の記事のテーマは、ガムランそのものではなく、ガムランが影響を与えたクラシック音楽についてだ(だから、バリとジャワのガムランの違い云々……など、専門的な事柄には踏み込まないので悪しからず)。 ――出逢いの印象:オリエント(東洋)1889年のパリ万博(万国博覧会)でガムランを実際に耳にした作曲家のひとりドビュッシーは、その際の印象をピアノ曲に反映させている。 ドビュッシー:《版画》より第1曲〈パゴダ〉 曲集のタイトル「Estampes」は版画と訳されてはいるが

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  • ジャズとクラシックの100年【第2回】 1940-50年代:ジャズ・ミュージシャンからのアプローチ|小室 敬幸

    ——「クラシックの演奏家」としてのベニー・グッドマン(1909-1986)1940年代の前半——つまりは第二次世界大戦で世界中が荒れに荒れていた頃、アメリカ国内ではスウィングジャズを演奏するビッグバンドの人気が頂点に達していた。その象徴ともいえるジャズ・ミュージシャンが、クラリネット奏者のベニー・グッドマン。1934~35年にかけて出演したラジオ番組「レッツ・ダンス」をきっかけに、全米各地でグッドマンは熱狂的な人気を博していた(ちなみにこの番組名「レッツ・ダンス」は、ウェーバーの「舞踏への勧誘」をアレンジした楽曲タイトルにもなっている)。 1938年になるとグッドマンは、それまでのジャズ・ミュージシャンとは一線を画した活動をはじめる。 ・1月16日にジャズの楽団として初めてカーネギーホールでライヴを開催。 ・4月25日に当代随一のカルテットであったブダペスト弦楽四重奏団と共演し、モーツァル

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  • ジャズとクラシックの100年【第1回】1920-30年代:ジャズのサウンドを取り入れる作曲家たち|小室 敬幸

    1917年2月26日——オリジナル・ディキシーランド・ジャス・バンドという白人バンドによって「ディキシー・ジャス・バンド・ワンステップ」と「ライヴリー・ステーブル・ブルース」の2曲がニューヨークで録音され、翌月の3月7日にレコードが発売された。これが一般的に、ジャズを名乗った音楽の最初のレコーディングとされている(ただしジャ“ズ”と、濁った名称が定着するのはもう少し後の話)。 つまり、それから100年後の2017年は、ジャズにとって節目の記念年。実際に、世界各国で「ジャズ100年」と銘打ったイベントの開催や書籍の出版などが相次いだ。そんなジャズ関係者にとってお祭りの1年が終わった2018年に、今度は別の角度から100年の歴史を振り返ってみたい。クラシックの視点を通して、ジャズの歴史を眺め返してみるのだ。 時に「かっちりとしたクラシック」と「自由なジャズ」といった対立軸で、全く異なる音楽とし

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  • "KIND OF BLUE"(1959) ~モードジャズとは何だったのか?|小室 敬幸

    モードジャズ(Modal Jazz)という「レッテル」―― 普段は蔑称として用いられることのないこのテクニカルタームをレッテルと呼称するのは腑に落ちないかもしれない。しかし、このコンセプトがやたらと一人歩きしてしまったがために1960年代以降のジャズを却って捉えづらいものにしてしまったというのもまた事実なのだ。このことを、最も的確に説明したのは音楽学者キース・ウォーターズだろう。 2011年に出版された彼の著書『The Studio Recordings of the Miles Davis Quintet, 1965-68』(Oxford University Press; New York, Oxford)を読んでいただくのが最善なのだが、そう簡単にはいかないので抜粋を掲載しているページをご紹介しよう。英語が苦手な方もご安心いただきたい、主に見てほしいのは掲載されている2つの画像なのだ

    "KIND OF BLUE"(1959) ~モードジャズとは何だったのか?|小室 敬幸
  • 2016年のマイルス・デイヴィス|小室 敬幸

    ~「Jazz The New Chapter」と「ジャズ史」を通して眺め返す~ ――「今、マイルスは底値だ」この言葉は、2016年3月22日に慶應義塾大学の三田キャンパスで開催された「マイルス再論」という講義形式のイベントで、菊地成孔さんによって発言されたものだ。人によっては、菊地さんがこのような発言をしたことに驚いた人もいるだろうし、それもさもありなんと納得した人もいるだろう。 2016年という年は、マイルス・デイヴィスにとって没後25年であり、生誕90年にあたる節目の年である。アメリカではドン・チードルが監督/脚/主演等を兼ねた映画が公開され、その劇伴を一部担当したロバート・グラスパーによる(いわゆる)トリビュートアルバム《Everything's Beautiful》も発売されるなど、改めてマイルス・デイヴィスについて考えなおす機会となりそうだ。では何故、このタイミングで菊地さんに

    2016年のマイルス・デイヴィス|小室 敬幸
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