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言及されましたに関するgonzales66のブックマーク (5)

  • 追記。 - ちゃずけのはてなにっき

    A案可決のニュースを見たとき、高校生の上の子が「一人生きるのに一人死ぬなんてかわいそう」と涙ぐんで、 でも一人死んで、生きられるのが一人だとは限らない可能性を私は黙っておいた、子どもに言われるまで気がつかなかったから。 これもまた「多数決」の原理なのかな、重い障害を負った人間はこの社会で生きていくのに「許し」が必要か、色々思ったが、 「親が提供を決める」に違和感を覚えたらしい子どもたちに「ママはあなたたちの臓器は提供しません、あなたたちのためにはもらうけど」と言って、 下の子には「なんて身勝手な」と笑われて、でも、私のこの答えに子どもたちは「安心」するのが現実、 「人の親」であるというのは「身勝手」を子どもに望まれることでもある。 子どもにとって「臓器提供」は違和感を覚えるらしく、私の子どもたちに関する限り、自分の体が「部品」のように扱われること、 そしてそれを親が容認しても「いい」ことを

    追記。 - ちゃずけのはてなにっき
    gonzales66
    gonzales66 2009/07/18
    理解できなかった>"私は森岡さんのあの意見でA案に「反対」は出来なくなった"
  • 戦争についての、それぞれの立ち位置 - 法華狼の日記

    その反論はまずい。 革命的非モテ同盟跡地 幸か不幸か私は銃で撃たれたことも、何ヶ月も飢えに苦しんだことはありません。 だから、彼らがどのような苦しみを味わったかをリアルに想像することはできません。 壕を掘ったり、鉄砲を撃ったり、鉄砲持って吐くまで走ったり、泥水すすりながらほふく前進をしたり、クソ重たい防弾チョッキが冬はすこ暖かかったりした記憶こそありますが、それでも殺された人々の気持ちはわかりません。 クラウゼヴィッツにリデル=ハート、毛沢東と様々なを読んできましたが、それでも私は戦争のリアルが分かりませんでした。 はたして、id:gonzales66氏には、それが分かるのでしょうか? 私は、必死に戦争について勉強をしましたが、ついぞ、その戦争をリアルに感じることはできなかったのです。 血を吐くように戦争を知りたいと願い、それでも現実の手ざわりを得られなかった人が「戦争をリアルに感じるこ

    戦争についての、それぞれの立ち位置 - 法華狼の日記
  • 革命的非モテ同盟跡地

  • 史実を想像することならできるけど,実感なんて無理 - Danas je lep dan.

    言及されて,ブクマコメも書いたんだけど100字じゃおさまりきらないのでエントリ上げる。今年で43の俺としては、たった70年前という認識でいたのだけれど、そう思わない人がいるというのは改めてショックでした。自分の親からは戦中、戦後のひもじさの経験をいつも聞かされていたし、今よりも日戦争は身近な存在だったような気がする。そんな風に、世代での違いについて考えたりもしたが・・・やっぱり違うな。たった70年前に起きた出来事を実感できないというのは想像力が貧しいからだと思う。戦争をリアルに想像できないのか、想像したくないのか?戦争をリアルに想像できない人 - gonzales66の日記 「想像」はしている。けれど「実感」なんて,到底無理。 一応近現代史(日のじゃないけど)を学ぶ人間として,過去の人びとがしたこと,被ってきたこと,そういったことを想像はしている。けれどそれは絶対に「実感」には辿り着

  • 想像力って政治的な語彙だが、もう通じないのだろう - OAF

    このエントリとそのブコメを見て、なんとも言えない気分になったので、ちょっとだけ。 戦争をリアルに想像できない人 - gonzales66の日記 ブコメにもちょっと書いたのだが、上ブログ主gonzales66の言う想像力を、そのまんまイマジネーションとかインスピレーションとかの意味にベタに受け取っている人が多いのにはちょっと驚いた。 確かにこのエントリでは、漫画?を持ち出したり、「想像力」なる語のこの種の用法を知らない人にとっては、誤解されて当然かな、という気はする。 「想像力の革命」というのは学生運動の頃によく使われた語で(世代的には自分も全然関係ないんでエラそうに語れないけどね。。。)、現実の社会システムを想像力によって乗り越えよう、というスローガンだ。現に社会システムに関与できない学生だからこそでもあるだろうし、いわゆる戦後文学のこの時期の隆盛も基的にはこの考え方が背後にある。 要す

    想像力って政治的な語彙だが、もう通じないのだろう - OAF
    gonzales66
    gonzales66 2009/06/09
    だが、ある状況下で構造的に引き起こされた既にある事実に対し、個人の感情や反応は普遍的である、とする前提があるなら、「想像力」が入り込む余地があり、すでに過ぎ去ったことにさえ「否」を言う余地ができる。
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