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lifeとwritingに関するhatayasanのブックマーク (24)

  • 自分自身を自分が否定した日 - あのにますトライバル

    あとで書くと言ったので書きました。何だかいろんなことを考えてしまう記事だなと思ったのです。今回は久しぶりにエモい感じになります。 mamichansan.hatenablog.com 上記の記事は「たまたま素晴らしい記事に出会って、そして自分自身を全否定されたような感じになった」ということらしいです。そういう感覚は人間生きていると、たまにあると思うんです。最初にそういう話をします。 【自分をちっぽけだと思うとき】 はてなというサービスも知らず、こんなブログをやるとは思っていなかった随分と前のこと。何だか人生全部に行き詰って、何をやってもうまく行かないしそんな状態でべるご飯もおいしくないしこんなに頑張っているのに頑張れば頑張った分だけ仕事が増える。頑張れば頑張るほど自分を追い詰めるスパイラルに入っていて、全てを投げ出したいって気で思っていた。今から思えばかなりパワハラ的な扱いを受けていた

    自分自身を自分が否定した日 - あのにますトライバル
    hatayasan
    hatayasan 2016/04/15
    「自分の理解を超えるような素晴らしいものに出会うと人間は、自己否定に陥るようにできているみたいです。」熱い。なんかわかる。
  • ずっと思っていたのに書けないでいた。

    私はいわゆるテキストサイトというのがはやっている時代(ブログの前)ぐらいから、日記のようなものを綴っているんだけれど、あるタイミングから「自分の考え」を書くことができなくなった。それは当時付き合ってた人の言葉。「お前の文章をネット上に載せるってことは汚染してるってことなんだ。無駄なこと垂れ流すな。」と言われた。「恥ずかしいから書くな。」とも言われた。別に彼のことを書いた覚えもないのに。ものすごい勢いで罵られた。確かそのころはブログが少しずつはやり始めていたころだったけれど、そこら中にブロガーがいたり、mixiで日記を公開したりするような気軽さはなかったかもしれない。周りでやってる人が少なかったかもとも思う。ただ、私にとっては「書くこと」は続けていた趣味の一つだったしそれをやめろと言われるのはかなりしんどかった。言われて、やめたこともあった。けれども「書くこと」から完全に離れたくなくってひと

    ずっと思っていたのに書けないでいた。
    hatayasan
    hatayasan 2009/10/24
    「嫌だったことや自分の考え方を提示するような文章が書けないでいる。でもそれではつまらない/陰と陽があってはじめて、その人がわかるのに、陽の部分しか表現しないのであれば「私」が全然伝わらないから。」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    今の自分は、出会った人や読んできたによって、できあがっている あの小冊子は、新聞の付録だったのか、記憶が曖昧で定かではないのだが、1ヶ月に1回程度の頻度で届いていた気がする。オールカラーで内容もさまざまだった気がする。その中には、プロ野球の選手名鑑もあって、私は、母から受け取り、大切にしていた記憶がある。母は、…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    hatayasan
    hatayasan 2009/03/14
    「自分の思っていることを伝えるということは私にとって一部にしか受け入れられないという意味を持っていました。でも、そういう意味ではなかったかもしれないと」
  • 「ある個人史の終焉」と「昨日、子供が生まれた。」 - 琥珀色の戯言

    昨日、子供が生まれた。 ↑のエントリに、たくさんのコメント(ブックマークも含めて)、当にありがとうございました。 こんなにたくさんの方々に応援のコメントやブックマークをいただけるなんて、全く予想していませんでした。 「同じような体験をした」とか「いつも読んでいます」なんてコメントに、励まされたり、「僕はそんなたいした人間じゃないので、勘違いしちゃダメだぞ」と自分を戒めたり。 当に「すばらしい親」っていうのは、自分の感情をこうしてブログに書き散らすより、子供に語りかけたり、オムツを替えたりするんじゃないかと思うしね。 そう思いつつも、ついつい言葉にして、公開までしてしまうのは、僕の「業」なのかもしれません。 あのエントリを書く前に、考えていたことがありました。 「もしかしたら、これがここで書く最後のエントリになるかもしれないな」 ちょうど1年くらい前「ある個人史の終焉」というエントリが話

    「ある個人史の終焉」と「昨日、子供が生まれた。」 - 琥珀色の戯言
    hatayasan
    hatayasan 2008/11/03
    「万が一、妊娠・出産中に何かトラブルがあれば、僕は「消えろ」とコメントした人間を許せない。/だから、「生まれてくるまでは、絶対に書かない」と決めていました。」
  • 「表現すること」 - 琥珀色の戯言

    確かに「表現すること」には誰かを傷つけるリスクがある。 「子供ができた」と書いただけで、「子供ができない人のことを考えてみろ!」と批判されることだってあるし、「台風が逸れてくれてよかった!」と書いただけで、その逸れた台風が直撃した地方の人は腹を立てるかもしれない。 それを自覚することは、「表現しようとする人」が「表現する喜び」の代償に覚悟しなければならない「痛み」だと思う。 でもね、「表現」がそういう性質のものであるからといって、「表現」を錦の御旗にして、「自分が他人を傷つけること」を正当化することは「傲慢」というか、「表現」というものをバカにしているとしか感じられない。 自分が書きたいこと、書かずにはいられなかったことを「表現」してしまった結果、それが(自分も含めた)誰かを傷つけることと、単なる誹謗中傷を並べているだけなのに、責められたり批判されたりしたときのために、「表現だから何書いて

    「表現すること」 - 琥珀色の戯言
    hatayasan
    hatayasan 2008/10/12
    「「表現」を錦の御旗にして、「自分が他人を傷つけること」を正当化することは「傲慢」というか、「表現」というものをバカにしているとしか感じられない。」
  • 弔辞の比較 - レジデント初期研修用資料

    赤塚不二夫 氏の葬儀で、タモリが読んだ弔辞の比較。たぶんそこに集まった記者の人が聞き書きしたものだけれど、 新聞社ごとの立ち位置とか、葬儀に集まった人に対する考えかただとか、いろいろ邪推できて面白い。 比較したのは朝日新聞と、産経新聞。産経新聞のほうが文字数が多いから、 たぶん産経新聞のほうがオリジナルに近くて、朝日新聞は、それに編集を加えた印象。 asahi.com(朝日新聞社):タモリさん声震わせ「私も作品」 赤塚不二夫さん葬儀 - 文化 赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文(産経新聞) - Yahoo!ニュース 朝日新聞のタモリは、亡くなった赤塚に語りかけるというか、どこか客観的な、 何だか卒業式で生徒を送り出すときの「教師」のような口調。 産経のタモリは、 訥々とした話しかたで、葬儀に集まった人達に、師匠としての赤塚を紹介する「弟子」のような、 そんなイメージを持った。 以下比

    hatayasan
    hatayasan 2008/08/07
    朝日と産経の記者が聞き取った弔辞の比較。色を演出しようとする産経と優等生な朝日。産経の記事は朝日よりブックマークの食いつきがよさげに思えるのとは無関係かな?
  • 闘病記が書きたくなる理由 - 月刊『記録』

    hatayasan
    hatayasan 2008/06/04
    「「人は必ず死ぬ」「人生はむなしい」と常々公言してきた自分が少々の病気でこうまで不安にさいなまれるわけだ。」
  • 入力ばかりだと - www.textfile.org

    面白いものはないか、楽しいものはないか、と大勢が自分の外部を探している。自分の内部を探す人は少ない。 http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2008/03/post_1747.php 森博嗣氏による。 素直に賛同できる文章。 (以下は、勢いで書いてしまった結城の文章) 大勢かどうかは知らないけれど、自分の外部に面白さを探す人がいることは知っている。 結城は多くの場合、自分の内部に面白さを探している。外からの刺激は最初のトリガーであって、あとはずっと自分で考えている。 外に書かれたものを読むときでも、自分で当に納得して読もうとしているから、結局は自分の内部の構造に興味があるのだ。自分の中の宇宙探査をやっているようなものだ。 文章を書く、プログラムを書くというのはまさにそう。外から刺激をちょっと受けて「自分でも、こういうの書いてみようか、作

    入力ばかりだと - www.textfile.org
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/15
    「どこかにあるものを受け取るだけではなく、自分なりの工夫をし、自分なりの発見をし、自分なりの形にまとめる。自分にはこういうことはできないけれど、こういうことならできる。」
  • HamNote : ブログを書くこと自体の意味。

    「いつか振り返るためにブログを書く - 忘却防止。」を読んで。 エントリーには概ね同意で、自分的なプラスアルファがあるので書きます。前々から整理しようと思っていたことですが、今回まとめて吐き出すことにします。 ブログを書く理由で最も大きいのは、思考の抽象化。 いつでも頭の中でぐるぐるしてる混沌があって、それは整理して吐き出さないことにはどんどん溜まっていき、やがて思考の流れが滞ることになる。 居酒屋でクダをまいていると、いろいろ考えていたことが徐々に一の筋にまとまっていったという経験は誰しもがあると思う。目の前にいる相手には失礼だが、まあその辺は酒の席だ。考えてる由無しごとを、相手に聞いてもらうというよりは、ひたすらに吐き出す。 言葉にするということは、「なんとなく」感じていることを固めるということ。それが、しゃべりでなく文章としてまとめるとなると、その整理はさらに進む。 そ

    hatayasan
    hatayasan 2008/03/05
    「ブログの素晴らしいところは、リンクを辿って自分の思考の軌跡を辿ることができ、さらに他の人の思考へとつなげていけるところ。/過去の自分と話してみると、薄れていた強い動機を喚起させてくれる。」
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    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

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    hatayasan
    hatayasan 2007/12/11
    「その日そのものに名前を与えてやることが難しい。みえないものに名前をつけるのは難しい。うん。空白でもいいのだけど、ね。」
  • https://ugaya.com/column/column_4.html

    hatayasan
    hatayasan 2007/11/08
    「ぼくが死んでも、ぼくの一部が後に残る。そう、まるで子供を生み育てるみたいな作業だ。そういえば、ぼくが書いた文章はすべからく自分の「子供」みたいに思える」ジャーナリストが文章を書くときに意識すること。
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    【自分語り】1推しの卒業によせて . 私の1推し、ゆきりんこと柏木由紀ちゃんが、17年に渡り在籍したAKB48を卒業することになった。 この機会に、ゆきりん推し(48ファン)としての自分自身のことをすべては不可能であるものの振り返ろうと思う。 内容からして世代がわかることも仕方ないし、限りなくゼ…

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    hatayasan
    hatayasan 2007/09/21
    「ただひたすら、昨日何があったか、今日何があるのか、明日は何がありそうか。連綿と流れる毎日は長く長く、だが淡々としていて」
  • 僕の名は正午 (セックスなんてくそくらえ)

    その名前はどこにもない時間、朝と夜の狭間、何人でもなくどこにも存在しない架空の一瞬を由来としており、僕はものを書きはじめた十八歳の頃、祖父がつけてくれたという仰々しい名を捨てて、自分をそう名づけたのだった。僕という魂が空虚そのものであり、どこにも存在しないのだとはっきりと理解したのは、日に帰ってきてからすぐのことである。帰るべき故郷というものがフィクションであると気づかざるを得ない人間というのは、ある資質に恵まれているのかもしれないが、人生のある一時期において、それが不幸なことであると思ったこともあった。だがトロツキーがかつて言ったように、故郷を持たないものこそ幸いである、なぜなら地球のあらゆる国が、彼の故郷になりうるからであるということが可能なのであれば、僕は幸福な人間であり、また子供の頃強制的に多言語環境に放り込まれることによって、結果としてほかの人間に比べてほんの少し、優れた言葉

    hatayasan
    hatayasan 2006/12/07
    「痛みのみが書くことを人間に強いる原動力であり、存在のもたらす埋めることのできない齟齬こそが僕に書く力を与えることを、僕は直感的に理解していた。」
  • 削除しないよう努力したい - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園

    「takoponsの意味 - ブログの信頼と懐疑」を読んで。 ブログ他、ネットで何かを書くようになってから、私も何人か信頼関係で繋がっている人達がいる。しかし、私は詳しい私のプロフィールを示していない。それでも誰かは私を信頼出来ると思ってくれているだろうか。何か私に対して疑いを抱いている者もいるのではないか。何を疑うのかは分からないが、何か疑われたとしても私は何も言えないだろう。ただ「信じてくれ」と言うしか。 takopons氏が文中でリンクしているLsty氏の記事には「過去の恥と共に生きる」と書かれてあるが、それは此処で書いている私には出来ない。此処で書き出してまだ半年程しか経っていないのでまだ恥と言えるような事は経験はしていない。だが、これからずっと此処で書いていくうちに色々な恥を晒す事だろう。私はそれを何処吹く風と流しながら飄々としていたい。誰かに何かをして貰おうとは思わずに自分で後

    削除しないよう努力したい - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園
    hatayasan
    hatayasan 2006/11/17
    「誰かに何かをして貰おうとは思わずに自分で後始末が出来る、或いは後始末などせずに放置を出来る、そんな人間になりたいものだ。」ネットでも、リアルでも。
  • ブログは「目的」を持って始めてはいけない。: 啓蒙かまとと新聞

    HN:LSTY(エルエスティーワイ) □名前の由来 年齢:ほぼ50歳 性別:男 ■ 趣味:著作物全般の鑑賞・飲酒 ■ いらち・いちびり・いらんこといい ■ ほしいものリスト ■ ここ以外の活動場所 Twitter: LSTYpt3 ※たまに非公開にすることがあります。 雑談と棚 : Twitcasting YouTube : Gavacho Music SBM : 小さなトカゲ展 Novel : 小説家になろう ■ 転載について:私が書いた文章はすべて転載自由ですが、出典の明記およびリンクをお願いします。 ■ コメントについて:名前(ハンドルネーム含む)を 明記していないと思われるコメントには原則として回答しておりません。 宣伝目的だと判断した場合、また記事と無関係だと判断した場合、削除することがあります。 私あるいは第三者の個人情報や個人を特定できるような情報が含まれている場合、該当部

    hatayasan
    hatayasan 2006/10/13
    「人生というのは、実のある事と気の抜けた事のミックスであって、割合としては後者の方が断然多い」無理せず長くブログを楽しみたいところ。
  • 悩みを垂れ流された側はどうしたら良いのだろうか - 304 Not Modified

    加速する思考 - 悩んだ事を垂れ流すことに意味はあるのか?を読んで。 まず、悩みを書き出すということは非常に良いことだと思う。書き出すだけでも落ち着くことがあるし、読み返すことで別の理解ができることもあるだろう。その悩みが解決した後に読めば、さらに得るものもあると思う。 次に、それをブログという媒体で誰もが参照可能にしておくことに意味はあるのだろうか。ここは難しい。正しくは、良いこともあれば悪いこともあるだろう。読まれたくない人に読まれる可能性ができてしまう。今は大丈夫と思っても、一度公開したものは永遠に残るものと考えた方が良く、いつか読まれたくないと思う人がでてきてもそれを読まれないようにブロックするのは難しい。 そこで視点を変えてみよう。発信する側から受信する側へ。 もし私がいつも読んでいるブログで悩みを書かれている記事を見たらどうするか。 たいていの場合、スルーします。 ときどき、ア

    悩みを垂れ流された側はどうしたら良いのだろうか - 304 Not Modified
    hatayasan
    hatayasan 2006/07/20
    「過去の悩みを乗り越えたから今があると考えるのならば、悩んだ事を垂れ流すことに意味はあるのではないでしょうか」
  • 人は誰も自分の人生を無視できない | 九十九式

    先日来、生活の上での覚え書きや、仕事をしていて気付いたことなどをいくつか書きつづってみた。すると、これが意外と反響があるので驚いた。特に、先日のエントリ『「それ、知ってます」は禁句』なんて、はてなブックマーク200超え、巨大ニュースサイト群にまで取り上げられるアクセス台風に見舞われた。まさか九十九式が「Lifehack」でタグられる日が来るとは。 かつて僕は、寝ても冷めてもテキストサイト(今で言うブログみたいなものです)のことを考え続け、毎日サイト運営Tipsやネット事件考察、テキストサイト論を書きまくっていた時期があった。サイト運営が楽しくて仕方なかった。幸いにして当時もそれなりの反響を得ることは出来たが、それでもここまでの手応えではなかったような気がする。 それがなぜかは、考えるまでもない。おそらくは、テキストサイトに興味を持つ人と、人生に興味のある人の数の差だ。 日記を書かない人でも

    hatayasan
    hatayasan 2006/06/13
    「かつてサイトの成功のみを願い、自らの人生をそれに捧げていた男が、今は人生の成功を期し、サイトの成果をその副産物にしようとしている。九十九式は宮本という一人の人間の成長記録である」
  • だから,ブログ論じゃないって(from Mugi2.0(むぎむぎ)) - 明日は明日の風が吹く

    hatayasan
    hatayasan 2006/06/05
    「「こっちの世界」で「生きる事」というものに近い事が、「あっちの世界」では「ブログ論」になっているという考え方もあるんじゃないかと」
  • だから,ブログ論じゃないって - Mugi2.0.1

    ぼくの中には「ブログ ⊂ 表現 ⊂ 生きること」というのがあるようです。  人間は自分の存在を表現したくてうずうずしてる。芸術とか文学とか音楽だけじゃない,仕事で表現しようとする人も,スポーツで表現しようとする人も,それこそ毎日の家事で表現しようとする人もいる。自分なりのこだわりを持って,工夫をして,何かを伝えようとしている。そうやって自分の存在を世に示し,それを見てもらうことで,生きていることを確認し,自分の生き方はどうかと問う。  だからぼくは,ブログの世界だけで終わるブログの話をしようとは思わない。表現するとはどういうことか,コミュニケーションするとはどういうことか,生きるとはどういうことか,というところまで思いが馳せられるブログの話をしたい。  ひとつひとつの記事をとったら,つまらんブログ論もどきかもしれない。でも,「ブログ」という言葉を,他のいろいろに置き換えても通用するようなブ

    hatayasan
    hatayasan 2006/06/05
    「表現するとはどういうことか,コミュニケーションするとはどういうことか,生きるとはどういうことか,というところまで思いが馳せられるブログの話をしたい。」
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    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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    hatayasan
    hatayasan 2006/06/04
    「多くの人に「面白い」と思ってもらうことが全てではない。まずは自分が「面白い」と思うこと。それがいつしか「誰か」にも面白いと思ってもらえるかもしれない。」