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ブックマーク / takerunba.hatenadiary.jp (2)

  • 研修という名の洗脳 - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

    あれは「洗脳」なんですよ。 http://www.mbs.jp/voice/special/201009/01_30043.shtml 企業の「研修」ではなくて。 洗脳 - Wikipedia 「研修」という教育プログラムとして考えると、とても違和感があるわけですが、「洗脳」と考えると納得できますし、宗教であるとか、悪徳商法であるとかと一緒。新人に対してやるという意味では、軍隊での新兵教育ともあまり差はありません。組織にとって都合の良い人間を生み出すための生産システムと考えると吉。上意下達、命令は絶対、個人よりも組織。こういう人間ばかりの組織にするという目的に沿って、研修という名の洗脳が行われているわけですね。 http://www.gekiura.com/guest/pu00000005.html 洗脳とは、以下の原理によるもので、基的な手順は以下の5つです。 【隔離】 ターゲットを日

    研修という名の洗脳 - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所
    hiromark
    hiromark 2010/09/06
    うむ
  • 「朝まで生テレビ」は「ディベート」ではありません - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

    で「ディベート」がどうも勘違いされている原因として、次のふたつがあるんじゃないかと思っております。 オウム真理教と上祐史浩氏 議論テクニックとしての狭義の「ディベート」という言葉が注目を浴びた最初のきっかけに、1995年当時、オウム真理教の広報部長として活動していた上祐史浩氏の存在があげられます。 「ああ言えば上祐」という言葉があったくらい、あらゆる批判に対し雄弁に反論する彼の姿がテレビ上などで繰り返し放映されていた。その彼のバックボーンに、学生時代のディベートにおける活動があり、その面が過剰にクローズアップされた結果、上祐氏が雄弁であることをディベートに紐付けられた。 「朝まで生テレビ」と田原総一朗氏 もうひとつが現在も放映されている「朝まで生テレビ」と、その代名詞的存在とも言える田原総一朗氏。 テレビ番組の中で、最もメジャーな討論番組ということもあり、「ディベート=討論・議論」とい

    「朝まで生テレビ」は「ディベート」ではありません - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所
    hiromark
    hiromark 2010/07/26
    そもそも、「ディベート=討論・議論」という定義があまりにも広義すぎるわけで。「複数の異なる立場のものが、相手を倒すのではなく第3者を説得するための議論」というもともとの立場に立てばこの話は簡単。
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