宮崎県東諸県郡国富町出身。血液型O型。宮崎県立本庄高等学校を経て[2]、大阪あべの辻調理師専門学校へ入学[1]。同校ではフランス料理を専攻する[2][要出典]。卒業後、大阪・北新地のフランス料理店で働くが[3]、バブル崩壊の影響で勤めて2年程で閉店することになり、その店主の紹介で神戸の料理店へ転職[4]。そこで阪神・淡路大震災に遭い、店と住居が被災したことで1か月後上京し、東京のウィークリーマンションに住み喫茶店・飲食店でアルバイト経験を重ねた[1]。飲食店経験としては、大阪でお好み焼き店をやっていた時期があったり[5]、日本料理店などで修行を重ねていた[4][6]。 その最後となったイタリア料理店では通常の料理提供以外にも隣接するカラオケボックスでも注文を受け料理を提供していたことで客層は幅広かったこともあり、ここで評価されればチャンスがあると川越は考え、修行を重ね腕を磨いていった[4]