まずは、サルトル『ユダヤ人』(岩波新書)のいっせつを しょうかいします。 われわれは、大革命以来、一つの物事にむかう場合、分析的精神を働かせるように、すっかり馴らされてしまっている。ある人物、ある性格を見るのに、まるで、単純な要素に分析出来る化合物か寄石細工であるかのように考え、そのうちの一つの石が、残りの他の石と混り合っても、すこしもその本質が損なわれないと思い込む。従って、反ユダヤ的意見にしても、われわれにとっては、他のどんな分子とでも、すこしも変質することなく化合出来る一分子にすぎないと思われてくるのである。一方では、善良な父親か夫であり、勤勉な市民、洗練された知識人、あるいは博愛主義者であって、しかも、同時に反ユダヤ主義者たり得ると考えるのである。釣道楽だったり、恋を楽しんだり、宗教問題にはごく寛大だったり、中央アフリカの原住民の状態については、すぐれた意見に富んでいたりしながら、