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おばあちゃんに話しかける わたなべ候補。目の奥は笑っていないように見えて仕方がなかった。=4日午後、巣鴨 写真:山田旬= 参院選挙が終わったら、自民党は一気に「労働法制の緩和」「TPP(病院への株式会社本格参入、株式会社の農業参入)」に突き進む。 その「申し子」とも言えるのがワタミことわたなべ美樹候補(全国比例)だ。わたなべ候補は上記の3つを成功させ巨額の富を築いている。 ワタミ氏は本社そばのJR蒲田駅前で第一声をあげると、お年寄りの原宿と言われる巣鴨で得意の金儲け(黒字経営)を説いた。縁日の露店が並ぶ地蔵通り商店街は、大勢のお年寄りで賑わった。おじいちゃん、おばあちゃんがワタミ氏の演説に耳を傾けた。 「10年前大阪の赤字病院を任された。黒字にするために(儲けの薄い)高齢者に出て行ってもらった。そうして病院を立て直した」。ワタミ氏は居並ぶお年寄りを前に臆面もなく語ったのである。 ワタミ氏は
平沼赳夫が戦前の元検事総長にして極右で悪名の高い平沼騏一郎の養子だが、与謝野馨は反戦歌人として名高い与謝野晶子の孫である。これをもって、「戦争と平和が手を組んだ」と評する人がいるが、実は与謝野馨の祖母・晶子は晩年、戦争協力者に転向していたのである。 http://www.vega.or.jp/~toshio/kimi.htm より。 (前略) このように大正時代の晶子は、わりとはっきりした反戦平和論を展開していたのだった。ところが昭和六年(一九三一)九月に十五年戦争の第一段階としての満州事変が勃発し、翌年にはそれと関連して第一次上海事変が起こり、一方、満州国という日本の傀儡国家が樹立され、中国への侵略が次第にエスカレートする頃になると、驚くべきことに晶子は俄にこれを支持する立場をとるのである。 昭和六年に晶子は『東四省の問題』という評論を発表している。ここで晶子はまず「私は以前から、支那の
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