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人物と防災に関するholyagammonのブックマーク (2)

  • 「津波てんでんこ」 研究家死去 NHKニュース

    「津波てんでんこ」 研究家死去 12月13日 19時3分 津波からいち早く逃げることの必要性を「津波てんでんこ」ということばを使って呼びかけてきた岩手県の津波の歴史の研究家、山下文男さんが、13日未明、入院先の盛岡市の病院で亡くなりました。87歳でした。 山下さんは、大正13年に現在の岩手県大船渡市に生まれ、昭和8年に三陸沿岸を襲った大津波で、一族9人を亡くしました。その経験から、津波の歴史の研究を進め、防災に関するを数多く出版するとともに、大地震が起きたら、津波が来る前に家族がばらばらになってもいち早く逃げることの必要性を「津波てんでんこ」ということばを使って呼びかけてきました。また、おととしには、太平洋戦争の末期に当時の情報統制で詳細が明らかにされていなかった、東海地方で発生した2つの大地震の実態に迫ったを出版し、注目を集めました。山下さんはことし3月の震災当時、入院先の陸前高田市

  • asahi.com(朝日新聞社):手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島 - 社会

    「佐藤山」の全景。左の岩山の奥に小屋やあずま屋がある。右下が登り口。手前の家の庭にはがれきが流れ込み、家も使えなくなった=宮城県東松島市手作りの避難所を造った佐藤善文さん。登り口には手書きの看板が掲げられていた=28日、宮城県東松島市、吉美奈子撮影  「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。  東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。  近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造っ

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