前回、金光翔さんのことについて書いたが、その論考『<佐藤優現象>批判』について、ちょっと他の場所でやりとりをした。 http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-1.html そのなかで、この論の論調は、左派文化人の批判に集中するあまり「主要な敵」を見失わせるものではないか、といった評を聞いた。 これは、ぼくは違うと思う。 どう違うのかを、書いておかなくてはいけない。 金光翔による批判の意図するところ ぼくの考えでは、逆に金光翔(以下敬称略)は、あの論考で「主要な敵」を明示しようとしたのだ。 あの論考で示唆されていたように、左翼が変質して(もしくは従来の不十分な主張の延長として)、国家による少数者や弱い立場の人の排除、また戦争の遂行に加担するような姿勢を示すなら、そうした変質の構造こそが批判されるべきものであり、「主要な敵」を見えなくさせているものであると