われわれが「いにしえからの伝統」みたいに思っていることには明治以降とか昭和になってから一般的になったものもたくさんある。by 渡邊芳之 ※ 例によって「自分は昔から恵方巻きを食べていた」というコメントがたくさん来るのだけれど,例によって「だからどうした」としか言いようがない。私だってクジラの皮の味噌汁やサバ缶を卵閉じした味噌汁を50年前から食べていたが,それが日本の伝統だとは思わないよ。 by 渡邊芳之 続きを読む
ツィッターほど短くもなく、ブログほど個人的でもない、 同じような話題をグルグルめぐるけど、基本は最新の話題。グル新。 日本の吹奏楽の元祖は、幕末の薩摩藩に設置された「鼓笛隊」である。これが「薩摩藩軍楽隊」となり(指導していたのは、最初の《君が代》の作曲者で、イギリス陸軍軍楽隊長だったジョン・ウィリアム・フェントン)、明治維新後、同隊を吸収する形で「陸軍教導団軍楽隊」が設置された。いわゆる「陸軍軍楽隊」である。 やがて軍備拡張にともない、各地に軍楽隊が増設される。その増設第一号が、明治13年設置の「第二軍楽隊」(のちの近衛師団軍楽隊)だった。第二号が、明治19年設置の「大阪鎮台軍楽隊」。これがのちの「第四師団軍楽隊」である。この時点で、東京に2隊、大阪に1隊の計3隊(計142人)の陸軍軍楽隊員がいた。まさに彼らこそ「日本吹奏楽の曙」なのである。 このうち、大阪の「第四師団軍楽隊」は、本隊であ
9月9日の日経新聞を読んで驚いた。 橋下大阪府知事が、文楽はたぶん二度と行かないと思うと。 84歳の住太夫が、敷居は削っておきますさかいと、発言したのに。 新聞によると、文楽には歌舞伎の海老蔵のような人がいないから 行く気がしないと述べたとか? 文楽はその昔、近鉄の佐伯さんが苦労して、道頓堀の 朝日座で常打ち出きるように、その苦労は大変なもの その朝日座もなくなり、苦労して国立文楽劇場を今の場所に 当時の玉男さん二代勘十郎さんらが苦労して、研修生を 毎年採用、12人ぐらい採用するが、基礎からの稽古と 給料が馬鹿安で<10万にも至らない>研修が終わる頃は 誰もいなかったというのが現実の話。 当時勘十郎さんは子供の頃からしてなくては,無理ですと 体で覚えるものだから、その通りで、歌舞伎も子供の頃から 修行しているから出来るのだ。 文楽は関西の文化の宝だ。 いくらその昔、船場の旦那衆の遊びから生
邪馬台国機内説の“本命”である奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡での大型建物跡の発見は、江戸時代中期の儒学者、新井白石が大和説を提唱して以来続く邪馬台国論争にほのかなゴールをかいま見せる成果となった。魏志倭人伝の解釈や発掘調査、科学力を駆使した研究の積み重ねによって、古代史最大の謎が解き明かされつつある。 「だんだん決着に近づいてきた」。畿内説を提唱する白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(考古学)は強調する。 邪馬台国論争の歴史は古く、新井白石が大和説ののちに九州説を提唱し、国学者の本居宣長(もとおり・のりなが)も九州説を打ち出すなど本格化。現在は、考古学的なアプローチが中心だ。 纒向遺跡ではこの20年間、桜井市教委を中心に箸墓古墳(全長280メートル)など最古級の前方後円墳の調査を精力的に進めてきた。かつては4世紀の築造といわれたが、木の年輪幅の違いを利用して伐採年代を割り出す年輪年代
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