©TOMIKOSHI PHOTOGRAPHY 2021年2月、1人の元日本代表が中国を目指した 激動のサッカー人生はアマチュアからスタートした ところが入った会社はJリーグへの参加を見送る だがあえて1年間そのチームに残った そんな黒崎久志には今も1人の指導者の影響が残っている それは自分を鹿島アントラーズにも引っ張ってくれた恩師 自分のサッカー人生と食事を振り返ってもらったとき 最初から最後までその名前が出てきた 本田技研で出会った宮本征勝という恩師 今の若い人ってJリーグが出来る前のことをもうあまり知らないですよね。僕は1987年に高校を卒業して本田技研に入り、社会人として働きながらサッカーをしてたんです。本田技研に行くことになったのは監督だった宮本征勝さん(故人・1968年メキシコ五輪銅メダル、鹿島アントラーズ監督)に熱心に誘っていただいたからですね。 他のチームからもお誘いはいただ