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  • 僕には今でも愛社精神がある…黒崎久志が語り継ぐJリーグ以前の時代【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

    ©TOMIKOSHI PHOTOGRAPHY 2021年2月、1人の元日本代表中国を目指した 激動のサッカー人生はアマチュアからスタートした ところが入った会社はJリーグへの参加を見送る だがあえて1年間そのチームに残った そんな黒崎久志には今も1人の指導者の影響が残っている それは自分を鹿島アントラーズにも引っ張ってくれた恩師 自分のサッカー人生事を振り返ってもらったとき 最初から最後までその名前が出てきた 田技研で出会った宮征勝という恩師 今の若い人ってJリーグが出来る前のことをもうあまり知らないですよね。僕は1987年に高校を卒業して田技研に入り、社会人として働きながらサッカーをしてたんです。田技研に行くことになったのは監督だった宮征勝さん(故人・1968年メキシコ五輪銅メダル、鹿島アントラーズ監督)に熱心に誘っていただいたからですね。 他のチームからもお誘いはいただ

    僕には今でも愛社精神がある…黒崎久志が語り継ぐJリーグ以前の時代【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん
    hozho
    hozho 2021/08/07
    “ある程度年齢行くと自分の夢を次の世代、若い人に託すという役目もあるのかな、って思いながらやってました。”
  • 変わりゆく極寒の下北沢に懐かしい思い出がよぎった【久住昌之の「途中めし」第17回「両花」】 - ぐるなび みんなのごはん

    下北沢。 昨日、竹中直人さんと下北沢の書店B&Bでトークをして来た。 二人が共通のファンである、谷口ジローさんについて語る、という会だった。 竹中さんとは、年に1度くらいしか会うことはないし、普段からメールなどをしあう仲でもない。でも会うと、前に会った続きのように楽しい。 今回も何を話すか、二人ともまったく準備をしていなくて、当日の打ち合わせも5分ほどだった。 でも、番は派手に脱線しつつ、1時間半、淀むことなく会話と笑いが続いた。ボクもすごく楽しい夜だった。 竹中直人さんとなんとなくの密会の町だったシモキタが変わってしまう 竹中さんと会うのは、なぜか下北沢が多い。 最近の駅前再開発で無くなってしまった居酒屋の二階。中華料理店の地下。コーヒーがおいしい喫茶店。駅から少し離れた蕎麦屋。 飲み屋から、大勢で深夜のカラオケボックスに行ったこともあった。 酔っ払って、ボクと竹中さんで尾崎紀世彦の「

    変わりゆく極寒の下北沢に懐かしい思い出がよぎった【久住昌之の「途中めし」第17回「両花」】 - ぐるなび みんなのごはん
    hozho
    hozho 2019/02/15
    “ボクが竹中さんと初めて会ったのは、1984年だった。できたばかりの有楽町マリオンの糸井重里さんのイベントで会った。 ボクにも竹中さんにも髪の毛があった。”
  • 「ベレーザの選手、私にパスくれへん」と泣いた選手がいた……なでしこJAPANの成功を呼び寄せた佐々木則夫のチーム作り - ぐるなび みんなのごはん

    を初めて世界一に導いた男 いつも紳士的で物腰も丁寧な指揮官 そう見えながらも佐々木則夫は 多くの厳しい判断を続けていた なぜなでしこジャパンを引き受けようと思ったか 最初に何に手をつけなければいけなかったか どんなことがチーム内で起きたのか 佐々木は隠すことなく語る 選手に対しても自分に対しても 常に正面から向かい合ったことが きっと成功を呼び寄せたのだろう 大宮のお勧め店もピンポイントで教えてくれた なでしこジャパンはNTT関東に似ていた 私は電電公社に入社して、そこからずっとNTT関東、大宮アルディージャというNTT関連の世界にいたんです。そうすると、いつまで経っても先輩は先輩で、後輩は後輩っていうことになっちゃうんですよね。 プロ化しても、どうしてもその世界を引きずっている部分が昔はありました。私にはどうしてもその器の中でしか見られてないんじゃないかという思いと、今後の実績のため

    「ベレーザの選手、私にパスくれへん」と泣いた選手がいた……なでしこJAPANの成功を呼び寄せた佐々木則夫のチーム作り - ぐるなび みんなのごはん
    hozho
    hozho 2019/02/01
    “限られたチームから代表選手が多く選ばれていて、他のチームの選手は過剰に意識する。本当に狭い世界。だからそういう思いがちょっとでもあるのかな。それはぶっ壊さないと、限られた人材しかいないんだから。”
  • 秋の荒川土手。鉛筆工場見学遅刻からのエチオピア料理 【久住昌之の「途中めし」第16回「リトルエチオピア」】 - ぐるなび みんなのごはん

    夜中に帰宅すると、テーブルの上に、白い大判の冊子が置いてある。 『赤瀬川原平 カメライラスト原画コレクション』。 ボクの先生だった赤瀬川原平さんのカメライラストの画集だ。 出版社からボク宛の郵便物は、すべて仕事場に届くようにしてある。これが自宅に届いたと言うことは、赤瀬川さんの奥さんからかもしれない。 ボクはカバンをおろして、立ったまま画集をめくった。 すごい。すごい。 ボクは画集を閉じた。少し飲んでいるから、先生に失礼な気がして、明日ゆっくり見ることにして、忘れないようにカバンに入れた。 翌日仕事場に来て、ちゃんと椅子に座って、机の上で画集を開く。 絵は、赤瀬川さんが80年台中頃から、いろんなカメラ雑誌にエッセイとともに掲載していたものだ。 ボクはカメラの趣味はないから、カメラ雑誌は読まない。 でもこのイラストを見るために、連載当時いつも書店で立ち読みしていた。そして、その面白いほどの緻

    秋の荒川土手。鉛筆工場見学遅刻からのエチオピア料理 【久住昌之の「途中めし」第16回「リトルエチオピア」】 - ぐるなび みんなのごはん
    hozho
    hozho 2018/12/12
    “ボクはエチオピアのことを全然知らないないんだなぁ、とコーヒーをすすりながら思った。”
  • 酷暑の夏。隅田川畔の両国を歩きモンゴル料理に物思い 【久住昌之の「途中めし」第15回「ウランバートル】 - ぐるなび みんなのごはん

    今年の夏は暑かった。 その暑い暑い中、両国でモンゴル料理べようということになった。 両国といえば国技館。国技館といえば相撲。相撲といえば今やモンゴルだ。 大相撲も久しく見ていない。 ボクが一番国技館に足を運んだのは、千代の富士が横綱だった時代。 あの頃もひとつの黄金時代だった。小錦。若・貴兄弟。曙。北勝海。霧島。寺尾。水戸泉。舞の海も出てきたな。いいキャラが揃っていた。 午後1時くらいに行くと、まだ観客席はガラガラ。 午前中に取り組みの終わった若い力士が、メガネをかけて2階席で見ていたりするのが、すごく新鮮だった。 初めて行った時、いつもテレビ画面で左右に分かれて向かい合っている力士が、ボクの席から見ると、手前と向こうという縦の位置関係なのが、新鮮で驚いた。 仕切りの時、小錦の大きなお尻がボクの方に向いていて笑った。 力士と力士がぶつかる音も、序二段ぐらいだとペチペチなっているが、幕内

    酷暑の夏。隅田川畔の両国を歩きモンゴル料理に物思い 【久住昌之の「途中めし」第15回「ウランバートル】 - ぐるなび みんなのごはん
    hozho
    hozho 2018/09/07
    “国技館内の空気が結びの一番に向けて、どんどん酒臭くなっていくのも、テレビではわからないことだった。トイレに行って帰ってくると、臭い臭い。”
  • 緑深い府中の雨の日。アジサイを眺め南仏料理に舌鼓 【久住昌之の「途中めし」第14回「ビストロ ラ・メレンダ」】 - ぐるなび みんなのごはん

    梅雨だし、アジサイを見に行こうということになった。 いいじゃないか。 府中・郷土の森でアジサイ祭りをやっているのだという。 府中か。 生まれ育った三鷹にも隣接していながら、ほとんど用事がなく、行ったことの少ない府中。降りたことのほとんどない府中駅。競馬もやらないし。行こう行こう。 でもその前に、府中市美術館で、長谷川利行展をやっているので見ていきませんか?と提案したのは、編集者男だ。 長谷川利行、知らない。関東大震災から戦前頃の画家だという。 前知識がないほうが、絵は素直に見られる。ぜひ見てみたいので行くことにする。 午後2時半に京王線の府中駅で待ち合わせる。 いつもの編集者男と編集者女と、ゲストで編集者先輩が待ち合わせの場所で待っていた。 編集者先輩は当然タクシーで行くつもりだったようだが、編集者男女が、 「バスがここから出てるんです」 と言ってバス停に向かったので「あれ」という顔をした

    緑深い府中の雨の日。アジサイを眺め南仏料理に舌鼓 【久住昌之の「途中めし」第14回「ビストロ ラ・メレンダ」】 - ぐるなび みんなのごはん
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    hozho 2018/07/18
    “先生の赤瀬川原平さんが、買って壁に飾りたいか、で絵を見ると自分の本音がわかると言ってたけど、本当にそうだ。歳をとると、余計なものがますます欲しくなくなる。”
  • 東京から2時間の大秘境・丹沢でダムカレーを食べながら夫婦間のダム決壊について考えてきました【フミコフミオの夫婦前菜 部長篇 第41回】 - ぐるなび みんなのごはん

    皆さまがメンバーやノルマやハラスメントに耐えながら汗水垂らして働いている平日の昼間に神奈川の秘境、丹沢湖で美味しいランチべてまいりました。サーセン。 サルが出る道を行く なぜ、僕が平日の昼間にモンキーが出現する道を奥へ奥へとひた走っているのか。題へ入る前に、我が家のスタンスを表明しておきたい。おかねばならない。事でも、レジャーでも、スポーツ観戦でも、ジャンルにかぎらず、と外出する際には事前の入念な下調べが必用不可欠である。なぜか。の怒りが恐ろしいからである。 川沿いを登ります 今、思い出しても胸が苦しくなるのだが(PTSDかも)、かつて、たしか4、5年前のことになるが、「鍋割山(神奈川県)という山の上で美味しい鍋焼きうどんをべよう」とを誘ったことがある。「山の上」は「登山」を指していたのだが、にとってのそれはシャレオツな「丘の上のお事処」。その認識の差が原因で、前日、粛

    東京から2時間の大秘境・丹沢でダムカレーを食べながら夫婦間のダム決壊について考えてきました【フミコフミオの夫婦前菜 部長篇 第41回】 - ぐるなび みんなのごはん
    hozho
    hozho 2018/05/31
    “「丹沢湖レストハウス」。美味しい料理が楽しめるレストランです。限定15食のダムカレーを食べながら夫婦仲のダムが決壊した過去について振り返ります。オッサンが食べるメニューにしては可愛すぎるダムカレー。 ”
  • 2010年、川島永嗣はいかにして抜擢されたのか……オシム、岡田時代のGKコーチ・加藤好男が語るGKの難しさとは - ぐるなび みんなのごはん

    加藤好男氏は日本代表GKコーチとして激動の時期を過ごした 就任して2年でイビチャ・オシム監督が倒れ、 次に就任したのは自分と同期で古河電工に入社した岡田武史監督 指揮官が交代しただけではない 2010年南アフリカワールドカップメンバーを前にして 川口能活は負傷しており楢崎正剛のバックアップは経験が浅い そんな苦しいときに起用された川島永嗣が活躍し そのまま正GKの座を確保することになった その川島が育つ過程も加藤氏は見続けていた 今はJFAアカデミー福島のGKコーチとして 静岡県御殿場の時之栖で後進の指導にあたっている 加藤氏は次の日を背負うGKをきっと育ててくれるだろう デビュー戦で5失点 次の試合からベンチ外へ 私は日リーグに入った年から5年間で5試合しか出られなかったんですよ。 あまりにも高校、大学と順調すぎたんです。高校は1年から試合で使ってもらって、高校選手権には1年生のと

    2010年、川島永嗣はいかにして抜擢されたのか……オシム、岡田時代のGKコーチ・加藤好男が語るGKの難しさとは - ぐるなび みんなのごはん
    hozho
    hozho 2018/05/24
    “川島選手は自分で自分に課すノルマをつくって、それを一つひとつクリアしていけるんです。そういう選手って意外に珍しいというか、少ないんですよ。自分の持ってる能力だけでプレーしてる選手が多くて。”
  • 大好きな井の頭線沿いに隠れた中華名店を発見 【久住昌之の「途中めし」第13回「土鍋餃子専門店」】 - ぐるなび みんなのごはん

    吉祥寺と渋谷を結ぶ、井の頭線が好きだ。 ボクは吉祥寺から乗ることが多く、始発駅だから、急行でもたいてい座れる。 通勤時間に利用することもまず無いから、車内はのんびりした空気が流れている。 東京の他の私鉄は、今やほとんどが地下鉄と相互乗り入れしているが、井の頭線は、淡々と渋谷と吉祥寺間を往復しているだけだ。そのせいかわからないが、どこかローカルなムードが漂っている。 途中駅も、下北沢と明大前は、それぞれ小田急線・京王線と交差しているので、繁華街のある大きな街だが、その他の駅は降りても、駅前がこぢんまりしている。その感じもやはり少し田舎っぽくて、好きだ。ボク自身が田舎っぽいということだろう。 例えば、好きな駅のひとつに、浜田山がある。急行の通過するローカル駅だ。 でもボクは時々、都内からの帰りに、途中下車する。午後仕事が早めに終わった時、わざわざ行くこともある。 浜田山の駅前は、道が広いのに車

    大好きな井の頭線沿いに隠れた中華名店を発見 【久住昌之の「途中めし」第13回「土鍋餃子専門店」】 - ぐるなび みんなのごはん
    hozho
    hozho 2018/05/21
    “車の通れない狭い踏切で、夕方なんかなぜか切ない気持ちになる。 どこもここも高架線にして、車や人が待たないで通れるようにすればいいというものでも無い。 踏切を待つ心のゆとりがある生活がいい。”
  • 友人の無謀な挑戦が俺を変えた……秋田豊は夢を絶たれた後、いかにして這い上がったのか - ぐるなび みんなのごはん

    いつも強気で常に明快 そんな秋田豊でも 心が折れそうになったときがあるという 夢を絶たれたときは 無謀な友人が救ってくれたそうだ 焦りは考えを変えて乗り切った ストイックに努力したのも間違いない 500グラムに気を遣っていたという メンタリティこそが秋田そのものかもしれない 2浪して同じ大学に入ってきた高校の同級生が人生を変えた バルセロナ五輪予選のとき、強化選手でチームに帯同してたんですよ。だから愛知学院大学2年生のときって、U-23日本代表の合宿とか、イタリアとかドイツの遠征にも行ってました。メンバーも豪華というか、ノボリ(澤登正朗)や、相馬(直樹)、藤田(俊哉)、三浦(文丈)とか、そんないろんな選手がいましたよね。 そのときにオレ、関東の選手たちとは結構レベルが違って。体力とパワーやヘディングはあったけど技術がないし、なかなかうまくいかないこともあって。でも「これからレギュラーになる

    友人の無謀な挑戦が俺を変えた……秋田豊は夢を絶たれた後、いかにして這い上がったのか - ぐるなび みんなのごはん
    hozho
    hozho 2018/05/10
    “彼はね、チャンピオンになりましたよ。それも超級っていう、一番重いクラスで。今は北海道で、食材会社の社長をやってます。”
  • 桜見物で二ヶ領用水から多摩川へ。お酒を飲まなかった父のこと等。 【久住昌之の「途中めし」第12回「ヤキトリハウス 平安郷」】 - ぐるなび みんなのごはん

    3月下旬、編集者男と編集者女と3人で、お花見でもして、そのことを書こうかという話になった。 でもせっかくなので、お花見を最終地点にするのではなく、どこかを散歩して、その途中で桜も見よう。 どういう話の流れだったか、編集者女が子供の頃を過ごした登戸にいくことになった。 南武線の宿河原から、登戸まで1駅歩く途中に、二ヶ領用水というのがあって、その川に沿ってずっと多摩川まで桜並木があるという。 水面まで降りられる二ヶ領用水に生い茂る桜並木。春の香りに陶然 当日駅で待ち合わせ、編集者女の案内で現地に向かうと、あれ、ここ来たことがあるぞ、と思った。 そうだ「ニッポン線路つたい歩き」(KANZENより単行化)の連載で、南武線につたい歩きした時に、通った。しばらくこの川に沿って歩き、線路の際に戻った。 あの時は登戸駅から武蔵小杉を経由して平間駅まで歩いた。暑い暑い日だった。 ここの用水は、水面近くまで

    桜見物で二ヶ領用水から多摩川へ。お酒を飲まなかった父のこと等。 【久住昌之の「途中めし」第12回「ヤキトリハウス 平安郷」】 - ぐるなび みんなのごはん
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    hozho 2018/04/13
    “ソメイヨシノは全て、一本の樹から生まれたクローンらしい。ちょっとコワイ気もする。まあ、今は深く考えるのはよそう。きれいだから、いいじゃないか。とりあえず。”
  • 流行の街・原宿。新しくなっても古いスタイルを残したとんかつの老舗でくつろぐ【久住昌之の「途中めし」第11回 「とんかつ まい泉 青山本店」】 - ぐるなび みんなのごはん

    原宿かぁ。 原宿というと、ボクの場合、やっぱりライヴハウスのクロコダイルだ。 でも店の広告には「原宿 クロコダイル」と書いてあったけど、渋谷と原宿の中間ぐらいだ。 80年代前半から、90年代前半ぐらいにかけて、ボクのバンド・モダンヒップのライヴの拠点が、クロコダイルだった。クロコダイルではその間、年に数回はライヴをやっていた気がする。 ボクは学生時代にバンドを始めて、学外のライヴハウスに初めて出たのは、高円寺のJIROKICHIだ。マンガのデビューと同じ1980年。 その時のバンドはすぐ無くなって、次にボクが作ったバンドが「モダンヒップ」だった。大学5年の時だ。81年に結成して、83年頃には最大ホーンセクション5人、女性コーラス2人、ダンサー2人がいる大所帯バンドになっていた。 結果的に20代半ばから30代半ばまで、このバンドだけを続けていた。 原宿クロコダイルは確かにボクの「青春」だった

    流行の街・原宿。新しくなっても古いスタイルを残したとんかつの老舗でくつろぐ【久住昌之の「途中めし」第11回 「とんかつ まい泉 青山本店」】 - ぐるなび みんなのごはん
    hozho
    hozho 2018/03/16
    “ライヴに来た人には必ずアンケートをとって、最後に住所書いてもらって、次回のライヴのDMハガキを出す。DMはプリントゴッコで印刷。そうやって観客を増やした。何しろインターネットもケータイもない時代だ。”
  • 審判が持つ「ゲームの流れ」を読みきる力……W杯開幕戦で主審を務めた西村雄一は試合中に何を考えどこを見ているのか - ぐるなび みんなのごはん

    前回、西村雄一氏の記事が掲載された際 大きな反響とともに疑問が寄せられた。 レフェリーの日常の活動についてだった。 選手たちのトレーニングは見ることもできる。 監督たちが練りに錬った戦術もうかがい知れる。 だが審判員たちはどんな努力をしてその場にいるのか 審判員たちはどんなトレーニングを積み 何をどこから見極めようと考え どんな気持ちで判定しているのか。 そこで西村雄一氏に再度登場してもらって 審判員のあまり知られていない日々の過ごし方を教えてもらった。 これでもう1つサッカー観戦を楽しむ要素が増えてほしいと思う。 審判員に必要とされる運動能力とは 日頃努力していてもミスは起きます。その努力はあまり知られてないですし、もちろんミスへの批判は当然のことです。でも、たとえどんなに批判を受けたとしても、サッカーを支えたいという気持ちで審判をやっている人たちが多いですね。 主審(レフェリー)の練習

    審判が持つ「ゲームの流れ」を読みきる力……W杯開幕戦で主審を務めた西村雄一は試合中に何を考えどこを見ているのか - ぐるなび みんなのごはん
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    hozho 2018/03/06
    “試合終了から2時間後くらいで、レフェリー仲間と食事に出かけます。夕食のお店を選ぶ一番のポイントは、サポーターのみなさんが楽しまれているゲームの余韻を邪魔しないように、気をつけています(笑)。”
  • W杯に至る激動の4年……オシム、岡田両監督を支えた大熊清が日本代表チームで見たものとは - ぐるなび みんなのごはん

    日本代表では2006年から2010年までコーチを務め、 イビチャ・オシム監督から岡田武史監督へと代わる激動の時を過ごした 2003年と2005年はワールドユースの監督も務めた そんな経歴の大熊清はセレッソ大阪の強化部長になった FC東京でもセレッソ大阪でもJ2時代という苦しい時期を指揮した 昇格させてJ1で指揮を執るのを楽しみにしていたのか だがどちらのチームでも昇格後は身を引いている 名を上げる、野心を満たすという感情は大熊には無縁だ 「大変だった」という日本代表コーチ時代の話を絡めつつ 何を知り何を見てそんな心境になったのかを聞いた J1に昇格させた後、監督を続けなかった理由 チームを昇格させたのにJ1でそのまま監督をやらなかった理由は、まぁ、いろいろありますけど、どうだろうな……何かな。自分の経験とか、東京や大宮、セレッソの色とか見てきて、それで自分が変わってきたというか。 2003

    W杯に至る激動の4年……オシム、岡田両監督を支えた大熊清が日本代表チームで見たものとは - ぐるなび みんなのごはん
    hozho
    hozho 2018/02/15
    何で声がデカいのか聞いて欲しかった。
  • 遠くて近くて羨ましい街・浅草。平成30年の出発は高級すき焼きでシアワセに…!【久住昌之の「途中めし」第10回浅草「ちんや」】 - ぐるなび みんなのごはん

    今年初めて浅草に行ってきた。 浅草は大好きな街だ。だけど、西東京の住民なので、東東京の浅草はひょいと行ける街ではない。「よし、浅草に行くか」と腹を決めてく感じだ。 浅草が好きなのは古い店がたくさん残っているからだ。 年をとってわかったことは、お店の寿命は案外短いということだ。 仕事場のある吉祥寺で、こんなに店があるのに、30年以上続いている店は、数えるほどしかない。 考えてみれば、店は基店主のものだから、代替わりがなければ、せいぜい30年くらいしかできない。 ボクが子供の頃行った店は、ほとんどが無い。そんなもんなのだ。 新しい店には3年や5年で無くなる店も多い。 浅草には古くから続くお店が多い。何代も受け継いでいるということだ。 呉服屋。履物屋。帽子屋。老舗が多い。 べ物屋も、寿司屋、蕎麦屋、天ぷら屋、洋屋、どぜう屋。名店と言われる店がたくさんある。 そこで、今回はすき焼きをべよう

    遠くて近くて羨ましい街・浅草。平成30年の出発は高級すき焼きでシアワセに…!【久住昌之の「途中めし」第10回浅草「ちんや」】 - ぐるなび みんなのごはん
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    hozho 2018/02/06
    「もちろん肉はおいしい。おいしいけど、おいしい肉によって、もっと輝くのが生卵だ。とボクは思う。こういうことを堂々と書けるようになったんだから、食人生も後半なんだろうな。」
  • 引退する前にピッチへ立つことができて良かった……石川直宏が最後に見せておきたかった「生き様」とは - ぐるなび みんなのごはん

    石川直宏はこの連載をよく読んでくれていた。 「いつか引退したときは出てね。ずっと先に」 「そうですね。まだまだ先ですね」 そんな言葉を交わし合っていた。 選手にとって引退の日はいつか来るものだが そんなときはずっと来ないでほしいと思う ましてケガで引退を決意するなんて 当に無念だったことだろう。 だが石川には引退を発表し 最後に試合に出ることまでに特別な思いがあった 最後のJ3ではCKから決勝点のアシストを決め 石川は勝って現役を終えた それは石川が見せたかった生き様そのものだった ケガとリハビリ……このままでは終われなかった この連載に登場することになったの、意外に早かったですね。2016年も引退を考えてて、結構切羽詰まってたんですけど。だけど、もう1年続けてプレーしてる姿を最後に見せないとというのがあったので。 2016年は覚悟を自分でもしてたし。そのときは自分がこのクラブにいてもい

    引退する前にピッチへ立つことができて良かった……石川直宏が最後に見せておきたかった「生き様」とは - ぐるなび みんなのごはん
    hozho
    hozho 2018/01/04
    「自分はケガで最後まで出られなかったって現役を終わることだけはやりたくなかったんですよ。どうにかしてでも、乗り越えた姿を自分にも示したかった」「茂庭照幸より先に引退するなんて思ってもなかった」
  • 赤坂の秘かな愉しみ。静謐なきつねうどんとツキノワグマ味噌焼き【久住昌之の「途中めし」 第9回 赤坂「美吉」(豊川稲荷境内)と「まるしげ夢葉家」】 - ぐるなび みんなのごはん

    赤坂。 最近はめっきり行くことも少なくなったが、ある時期、よく通っていたことがある。 今調べたら1986年~88年頃だ。ちょうど30年前頃のことだ。 ひょんなことからビデオの制作の仕事をするようになっていて、その頃制作会社が赤坂にあったのだ。まだDVDが登場する前の時代だ。 赤坂と言っても、TBSなんかのある繁華街ではなく、赤坂の外れ、豊川稲荷の裏手の方だった。正確にはもう場所も覚えていない。 当時の赤坂の思い出と言ったら、豊川稲荷の境内にあったお店で、よくきつねうどんをべたことだ。3軒並んで同じような店があって「真ん中の店がおいしい」と会社の人たちが言ってたので、いつも真ん中の店に入ってべた。ひとりでべた記憶しかない。でも赤坂に行く時は、そこでうどんをべるのが楽しみだった。 あれから約30年、店はまだあるだろうか。 ちょっとドキドキしながら丸ノ内線の赤坂見附で降りる。 駅から豊川

    赤坂の秘かな愉しみ。静謐なきつねうどんとツキノワグマ味噌焼き【久住昌之の「途中めし」 第9回 赤坂「美吉」(豊川稲荷境内)と「まるしげ夢葉家」】 - ぐるなび みんなのごはん
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    hozho 2017/12/28
    「まだまだ現代に至っていない、途中時間をここでは味わえる。近いうちにまた来よう。若かった自分の感覚や、どこかで忘れてしまった自分の気持ちを、思い出せるかもしれない。」
  • 岡野雅行はなぜ鳥取へ行ったのか……浦和降格でもサポーターを裏切らなかった男の哲学 - ぐるなび みんなのごはん

    いつも陽気で朗らかな岡野雅行は 明るく自分が苦しかった時期を振り返ってくれた。 自分のことを否定してきた言葉は忘れていないという。 誹謗をどうやって乗り切ったのか それは岡野らしい明るい発想だった。 考え方を少し変えるだけで人生は変わる。 鳥取で最初は誤解されていたという。 その場所に現役を終えた後 留まろうと思ったのはなぜだったのか。 ガイナーレを売り込むために 日々各地を飛び回っているそうだ。 現役のような日焼けがその活躍ぶりを物語っていた。 人生とは辛いときをどうクリアしていくかという作業 人生って辛いことが多いと思ってるんですよ。いいときってあんまりなくて。そして人生って、その辛いときをどうやってクリアしていくかという作業だと思うんです。だから僕はあまり何かを「辛い」とは思いたくなくて。楽に、全部前向きに思いたいなって。そして辛いときって「オレって鍛えられてるじゃないかな」と思いた

    岡野雅行はなぜ鳥取へ行ったのか……浦和降格でもサポーターを裏切らなかった男の哲学 - ぐるなび みんなのごはん
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    hozho 2017/12/14
    「ワールドカップ出たり、レッズで優勝したり、7万人の前で試合をしたりしていたのが、急に300人の前でプレーするわけですよね。それがまた楽しいんですよ。」
  • 日本人初のW杯主審・高田静夫の知られざる孤独な戦い……選手が私を取り囲み、試合後も追いかけてきた - ぐるなび みんなのごはん

    今でこそレフェリーの声を聞くことができる 判定について疑問を呈されたとしても 反論することも出来るだろう。 だがJリーグが始まるころ、 あるいはその前の時代は何を言われても 耐えなければいけなかった。 日ワールドカップに初出場する12年前、 1986年メキシコワールドカップで日人として初めて 主審として笛を吹いた高田静夫氏はそんな時代を生きた。 退場者が出た1993年のJリーグチャンピオンシップは 「苦労でも誇れるゲームでもなかった」そうだ。 その後の非難もまた予想される範囲であったという。 それよりも辛い経験があったそうだ。 孤独の中で耐え抜き 現在の礎を作った高田静夫氏の話を聞いた。 罵倒してきた選手にレッドカードを出した 私には審判時代、強いてあげれば3回ほど苦しいときがありましたね。 最初は、二級審判員から一級審判員に上がろうとしたころ、1980年より少し前ですね。私が一級に

    日本人初のW杯主審・高田静夫の知られざる孤独な戦い……選手が私を取り囲み、試合後も追いかけてきた - ぐるなび みんなのごはん
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    hozho 2017/12/01
    「国際大会では日常の食べ物にほとんど不自由しないんですよ。滞在ホテルにはたくさんの種類の食べ物がありますからね。日本から持って行くものもあります。私は羊羹と日本茶のティーバッグを必ず持参しました。」
  • 紀伊国屋書店地下。松茸土瓶蒸し&ドライカレーに“普通”の凄さを発見 【久住昌之の「途中めし」 第8回新宿「珈穂音(カポネ)」】 - ぐるなび みんなのごはん

    秋だ。暑い暑いと言っていて、台風が来て、それが幾つか通り過ぎたら、もう秋だ。 空が夏と違う。雲も違う。空気も、風の肌触りも違う。 季節のはっきりした国だ。 俳句に「季語」なんて言葉があるくらいだ。「歳時記」なんて書物があるのだ。 春夏秋冬。4つが毎年移り変わっていく。 季節には始まりも終わりもない。いつも途中だ。 以前、自宅の近くに誰でも走ることのできる400mトラックがあった。 体力が落ちてきたなぁ、と感じた頃、ここをよく走った。 ただ走ると飽きるので、1周を4つに分けた。最初の直線100mは、夏。カーブに差し掛かったところから秋だ。次の直線が冬。最後のカーブが春で、また直線部分の夏が来る。 走っている時は、その部分の季節を思い浮かべる。 「ああ、夏だ、暑いなあ、プールへ行こう。でももうすぐ秋だ。さあ秋だ。紅葉が濃くなっていくぞ。枯葉がそろそろ散って、冬だ。寒い冬。木枯らしが寒い。雪も降

    紀伊国屋書店地下。松茸土瓶蒸し&ドライカレーに“普通”の凄さを発見 【久住昌之の「途中めし」 第8回新宿「珈穂音(カポネ)」】 - ぐるなび みんなのごはん
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    hozho 2017/11/24
    「お刺身で日本酒を飲んでいる人の横に、スパゲティを食べている人がいる。なんて面白いんだろう、自由なんだろう、と嬉しくなった。」