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ブックマーク / nov1975.hatenablog.com (29)

  • 舌禍事件と表現力 - novtan別館

    常識的に考えて、病気にでもならない限り体内の臓器が腐るなんてことはありえないわけで、そういう意味では表現力の貧困さが招いた事件ではある。 けれども、TVの向こうというのがあまりに身近になって、偶像でなくなって、あるいは、同世代の代表的な、あるいは友達感覚な、そういった気持ちで、つまり、放送で全国に流れるということを意識できなくなっている状態で、友だちに話すそのままの、貧困でもニュアンスが伝われば問題ないというコミュニケーションのままで、発言してしまったんではないか、というようにも思える。 世界は日に日に狭まり、その縮小化はコミュニケーションを縮小している。正確には、コミュニケーションの幅を。儀礼というものは無視されるのが普通になっているようにも思える。当はきちんと相対化された儀礼がないとそれを破るという行為もまた意味がないのに。クラシックがないのにモードが存在しえるはずがないのと同様に。

    舌禍事件と表現力 - novtan別館
    julajp
    julajp 2008/02/05
    壁に耳有り障子に目有り。触らぬ神に祟りなし。芸やキャラ、名前がセールスポイントであればどこかでだれかが何かを見て聞いていると言う意識はとても大事か。
  • なんでリンクじゃダメなの? - novtan別館

    どうも沈静化しないTumblrは無断転載なんじゃないか問題だけど、僕が一点わからないのは、プライベートモードでならともかく、なんでリンクじゃダメなのかなって言うこと。そりゃ、自分のサイトに画像が出たほうが便利かも知れないけど。 僕はあるリソースのURIは一意であるべきだと思うので、転載OKって書いてたってリンクにするだろう。ただ、負荷低減という目的においては消極的には認めたいものだけど。そういう考え方からすると、そもそも転載してもOKっていうこと自体がWebの来あるべき形での正常な情報の流通を妨げていると感じる。CCだって目的は「利用」であって、クローンを大量発生させることではないと思うのだけど。 なんでリンクじゃダメなのかな。

    なんでリンクじゃダメなの? - novtan別館
    julajp
    julajp 2008/01/28
    おそらく過去のメディアはリンクじゃ話が済まなかっただろうから、兎に角実体らしきコピーが必要。過去のメディアの常識を持ち込もうとしていないか。繋がるネットだからこそ自分のモノでなかったらリンクが良さそう
  • Yahoo!ブログの転載問題とTumblrの違い - novtan別館

    あれれ、いつの間にかYahoo!のときの問題とごっちゃになって語られている。あの時は批判されたのにTumblrは何故みたいな。Yahoo!のときに僕が思って批判していた問題点をおさらいしておく。 無断転載ではなく、転載許可が暗黙の転載許可であること(ここが主に争点) 転載機能がデフォルトで許可であること それにより初心者が自らのブログを転載OKにしていると気付けないこと また、転載というものについて基的には著作権を侵害する可能性の高い行為だということを認識せず、利用してしまうようになること 転載OKの場合でも、(同じブログシステムの中なのに)コピーになること コピー先の記事は制御できないのに、時限性のある記事が転載推奨されてしまうこと それによって終わった問題の連絡先にいつまでたっても電話などが行ってしまう可能性があること(転載じゃなければ元記事を消せばいい) 転載元が間違いを修正しても

    Yahoo!ブログの転載問題とTumblrの違い - novtan別館
    julajp
    julajp 2008/01/15
    なるほどー
  • 人類史上最大最強のコンテンツ「おしゃべり」に対抗するのは容易ではない! - novtan別館

    インターネットと携帯メールにより娯楽に費やす時間が奪われたのは、人類史上最強の暇つぶしコンテンツであるおしゃべりに新たな手段が提供されたことだ。 リアルタイムではなく、しかし手紙よりもスピード感があり、あとに残り、大したコストは掛からず、時間を気にしない。この最強コンテンツを打ち破る娯楽を提供するのは容易ではない。かつて、一人になったときに別の娯楽により消費されていた時間はこうして置き換わった。特に、消費されるだけのコンテンツは、話のタネに過ぎないと言えるかもしれない。無論、話をする時間の方が重要だ。 ニコニコ動画の人気は、コンテンツの消費とおしゃべりを同時にできることにあるのだろう。MMORPGだって同じことだ。非コミュといってウェブで独り言を呟くことだって、かつてはできなかった。 求められるコンテンツは変わりゆく。真の芸術は揺るがないのかもしれないけれど、消費されるものは、仕掛けを込み

    人類史上最大最強のコンテンツ「おしゃべり」に対抗するのは容易ではない! - novtan別館
    julajp
    julajp 2007/12/24
    おしゃべりを擬似も含めて共有するツールと場が重要。そうすればそこらの作品はもう酒の肴も同様。そして今その場とツールが出てきてしまった!ネタにしてもらえなければ価値にもなりはしない。
  • 記事の質を保証できない実名ブロガーも滅んだ方が良いんじゃないでしょうかね - novtan別館

    論旨そのものはそれほどおかしくないと思うんだけど、そういう論調の中で、なぜか特定のサービスを槍玉に挙げて落とす。しかも的外れ、と言う(自称)専門家ブログなんてのも淘汰されなければならないと言う自家撞着芸? しかし実は、こういう質の低い言説のコストは、サービス提供者も負っているのだ。先日の情報ネットワーク法学会でも指摘されたように、記事の質を保証できないブログには、コンプライアンスにうるさい大企業は広告を出稿しないため、利益が出ない。「バカ」とか「死ね」といった言葉の横に、それに関連する企業として広告が表示されることは、むしろ企業イメージにはマイナスだ。だからmixiは収益を上げているのに、はてなはIPOさえできない。 http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ded664f8e7ea524399cce3092166204e はてながIPOをしたい、と言うのが大前

    記事の質を保証できない実名ブロガーも滅んだ方が良いんじゃないでしょうかね - novtan別館
    julajp
    julajp 2007/12/16
    mixiってそんなに質がいいかかなり疑問。mixiだとマルチ目的のお友達要請あるけど、はてなだとないぞ。mixiのIDは寧ろ都合よく使われ易いのでは?その辺の実態まるで突っ込まれていない記事でしたしね。
  • ネガポジは主観だと思うのでつけた人にとってのポジディブコメントがネガティブな議論を誘発することだってある - novtan別館

    そもそもネガティブコメントを書かないなんて主張は書いた人が「俺はネガティブコメントのつもりで書いたんじゃない。だからお前は反応(反論)するな」と言っているだけにしか思えないんだけど。 ではなぜ私は「議論になるかどうか」にこだわるのか? 相手に反論の機会を与えるための平等主義で言ってるわけじゃない。単純な話だ。繰り返しになるが、私は議論が好きだからである。 SBMのネガコメは「言わせてもらうが反論するな」メソッドだ - すちゃらかな日常 松岡美樹 議論と言うのは必ずしもそれを誘発した人人とすべきとも思っていないので、この理由についてはあまり同意できない。 【価値観A】 オレは言いたいことを言う。だけどお前はオレに反論するな。 SBMのネガコメは「言わせてもらうが反論するな」メソッドだ - すちゃらかな日常 松岡美樹 と言う価値観と、SBMでネガコメをすることは全くイコールではなく、たまたま

    ネガポジは主観だと思うのでつけた人にとってのポジディブコメントがネガティブな議論を誘発することだってある - novtan別館
    julajp
    julajp 2007/12/13
    ブログで確信犯的に議論を誘発したいのかもね。だからブログでやって~と言いたいとこをSBMの言葉を借りているかにみえてしまう。ブ※とブログを同じ地平に置きたがっている印象
  • 書く事と傷つけること。 - novtan別館

    およそ何かを表現することはそのことによって誰かが傷つくかも知れない可能性のあることである、という命題に対しては異の唱えようが無い。これは、特にウェブにおいて、書いたものが人から切り離された一個の断片的な死体にすぎないと言うこととは直接関係はないとは思う。究極的にはコミュニケーションとは全て表現であり、常に誰かを傷つける可能性をはらむ。 極端な話、生きると言うことそのものが人を傷つけている。人だけではなく。物理的には地球上のあらゆるものを損傷しながら生きている。 コミュニケーションとは。常に人を傷つける「可能性を持つ」ものであり、ウェブのような場所に置かれたその断片は、断片であることそのものが傷つける要素を増大させている。破片。その人そのもの、その人のコミュニケーションそのものよりも、必ず尖った角が多いだろう。 それでも、一つだけ思うのは、傷つけるかも知れない、と言う明確な認識のもので、尖

    書く事と傷つけること。 - novtan別館
    julajp
    julajp 2007/11/08
    おそらくあのエントリーが起点と想定して。傷は負って負わせて。ぶつけ合い混じりあいながら。その傷の深さの分だけ人が知らない事を垣間見る。負わせ負った者のみが知りえる事柄。でなければどうやっても傍観者。
  • ブログであることによる何か - novtan別館

    よく困惑するのが、初めて訪問したブログで過去ログを読みたくなったとき。時系列で古い方から読みたいわけです、当然。でも、それに対するナビゲーションが見つからなかったりする。あるいはあるカテゴリだけ網羅したくなる。続き物なのにどうしても新しい方からしか読めなかったりして。 検索ってのはわりと万能じゃなくて、目的のものがはっきりしているときにそこにたどり着くのは簡単なんだけれども、なんとなく、に対してはあまり効果的ではない。Amazonがどんなに便利でも、屋に行って目に入って買う、というような行為はなかなかし辛い。ブログのナビゲーションもなんだかそんな感じのものがあって。そうじゃなくて、ちゃんと綺麗に見れるのもあるけれども、TOPページへのリンクすら見つからない物だってある。そして、そういうのに限って個別ページからは直接一歩も動けなかったりするのだ。 徒然と思考を書き連ねていくにはブログは最適

    ブログであることによる何か - novtan別館
    julajp
    julajp 2007/10/31
    所詮WebLog。でも、Logだからこそ続けられる。連続ものは別途カテゴリかタグ発行。もしくはHPで書いて、書いた事をBlogで告知するなど使い分けが必要になってくるのかも。
  • 「気持ちはわかる」けれども - novtan別館

    「気持ちはわかる」と言う言葉の後には大体「けれども」と続く。つまり、気持ちはわかる「のに」否定をしなければならないときに止むを得ず使う言葉。少なくとも僕はそう思っているのだけれども。 じゃあ何でわかるのに否定するのか。それは、その感情なりその論理なりはある文脈では適用できるし、その場合どうしてそういいたいか、と言うのがわかる、ということであって、また、今の文脈ではそれは適用不能であるから、そのベースの考え方そのものを否定しているのではなく、むしろ肯定したい気持ちがどこかにあるのだけれど、それでもなお、今ここでそう言われることを首肯することは出来ない、と言うことなんだろう。 もちろん、その肯定しうる文脈において、必ずしも僕の想定しているものと相手の想定しているものが同じとは限らない。同じでなくても適用できるかも知れないから。そういう意味では、「わかっていない」のかも知れないし、誤解しているの

    「気持ちはわかる」けれども - novtan別館
    julajp
    julajp 2007/10/28
    立場の違い。「気持ちはわかる」けれども世間はそんなに甘くないから、どうにかその振りかざした刀を懐に納めてはくれないか。でなければ、私が斬り捨てなければならなくなるから