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1979年から1982年まで、筆者はファーストアルバムを除く全ての「ガンダム音楽」のアルバムに何らかの形で関わった。作曲の渡辺岳夫、松山祐士にとっても、代表作と言える仕事だったに違いない。ここでは収録や構成に立ち会った現場感覚を交えながら「ガンダム音楽の歴史」が「アニメ音楽の変革」と同期した歴史について語ってみたい。 この4月、「1979年の奇跡 ガンダム、YMO、村上春樹」 (南信長著/文春新書) という本が出た。YMOがシンセサイザー主体のテクノ音楽を一般化させ、それをSONYのウォークマンで聞き、ゲームセンターや喫茶店では爆発的ブームを呼んだタイトーのスペースインベーダー(1978年発売)で遊ぶ。そうしたアイテムの共通項は「電子革命」である。LSI技術の急発達でロジック回路が高集積化し、ブレイクスルーを起こす。それがコストダウンにつながってカジュアル化したのだ。集英社の「ヤングジャン
観世流シテ方・片山九郎右衛門 「改元がなければ上演できないので、まさか自分が演じるとは思いませんでした。興奮しています」-。京都能楽界を牽引(けんいん)する観世流シテ方、片山九郎右衛門(54)が、新天皇の即位を祝福する能「大典(たいてん)」に主演する。大正天皇即位を祝って作られた曲で、上演されるのは平成への改元以来、約30年ぶりとなる。(飯塚友子) ◇ 能「大典」は大正4年、京都・片山能楽堂で初演。内容は、天皇の即位式大典の奉告祭が行われたところ、天津神(あまつかみ)(九郎右衛門)が天女(味方玄)を引き連れ天下り、新たな御代(みよ)を祝福して舞う-という奉祝能で、御代替わりを祝う曲のため過去数回しか上演されなかった。最近では平成2年、熱田神宮(名古屋市)での即位の礼祝賀行事で披露されたのが最後となる。 作者は旧京都帝大の独文学者、藤代禎輔(1868~1927年)。夏目漱石の友人で、万葉集の
新年おめでとう。 晴れ渡った空の下,皆さんと共に新年を祝うことを誠にうれしく思います。 本年が少しでも多くの人にとり,良い年となるよう願っています。 年頭に当たり我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。 本日,第198回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。 国会が,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,永年にわたり,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。 ここに,国会が,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国権の最高機関として,その使命を十分に果たし,国民の信託に応えることを切に希望します。 在位三十年に当たり,政府並びに国の内外から寄せられた祝意に対し,深く感謝いたします。 即位から30年,こと多く過ぎた日々を振り返り,今日(こんにち)こうして国の内外の祝意に包まれ,このような日を迎えることを誠に
「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」「機動警察パトレイバー2 the Movie」などエポックとなる作品を手がけ、アニメーションや映画に関する著書も多い押井守監督。自他ともに認める映像マニアであり、常に自覚的に映像をつくり続けてきた押井監督にとって、最近の映像業界はどのように映っているのだろうか。「監督にとって2018年はどんな1年でしたか」と聞くと、押井監督は淡々とした口調で語りだした。(取材・構成:五所光太郎/アニメハック編集部) 2018年の前半は仕事でかなり忙しかったんですよ。これから世にでる作品で、まだタイトルは言えませんが、ある実写作品の作業をずっとやっていて、2月ぐらいまでは脚本をバタバタと書きまくっていました。3月から本格的に撮影の準備をはじめて、4月末から5月にかけて撮影。それからいろいろと後始末もして、今年の前半はけっこう活躍したと思います。今年の後
12月8日土曜日、八谷和彦さんのOpenSkyの機体「M-02J」……といっても誰もそうは呼ばない、通称「メーヴェ」が、年内最後の飛行を行うというので野田市の関宿滑空場に赴く。 2回の見事な飛行。ここまでもってきた八谷さんの苦労はある程度知っているので、気軽には言えないのだが、「もの凄く八谷さんがうらやましくなる」。自分も自分で飛行機を作って自分が乗って飛びたい、と強烈に思う。 2004年に初めて八谷さんにお会いした時、彼はこのプロジェクトを始めたばかりで「これをやってから、次に個人で作るロケットというのをアートとしてやりたいんです」と語っていた。 その時の自分のブログ https://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2004/09/post_1.html その時の八谷さんのブログ http://d.hatena.ne.jp/hachiya/20040908 それから1
問 この1年も,西日本豪雨や北海道の地震をはじめとする自然災害など様々な出来事がありました。今のお立場で誕生日を迎えられるのは今年限りとなりますが,天皇陛下の退位まで半年余りとなったご心境をお聞かせ下さい。 昨年の誕生日から今日まで,この1年も年初の大雪に始まり,地震,噴火,豪雨等,自然災害が各地で相次ぎ,世界でも同様の災害や猛暑による山火事,ハリケーン等が様々な場所で多くの被害をもたらしました。「バックウォーター」「走錨(そうびよう)」など,災害がなければ決して知ることのなかった語彙にも,悲しいことですが慣れていかなくてはなりません。日本の各地で,災害により犠牲になられた方々を心より悼み,残された方々のお悲しみを少しでも分け持てればと思っています。また被災した地域に,少しでも早く平穏な日常の戻るよう,そして寒さに向かうこれからの季節を,どうか被災された方々が健康を損なうことなく過ごされる
PCゲームの黎明期を綴ったドキュメンタリー本「ダンジョンズ&ドリーマーズ」のPDF版が無料で公開に。15年経っても色あせないその魅力をあらためて紹介 編集部:kawasaki 北米におけるPCゲームの黎明期を綴った書籍「ダンジョンズ&ドリーマーズ ネットゲームコミュニティの誕生」のPDF版が,2018年10月8日に公開された。ダウンロード価格は無料で,100円で購入(寄付)できるバージョンも別途用意されている。 本書は,2004年にソフトバンク パブリッシングが発行した同名書籍(※関連記事)の電子版である。書籍版は長らく絶版となっていたのだが,当時翻訳を務めた平松 徹氏の手により,著作権等の問題をクリアしたうえで,このたびの復刊となった。 今回は,一人でも多くのPCゲーマーに読んでほしいという想いを込め,その概要や見どころなどをあらためて紹介する。また,平松氏にメールインタビューを行い,復
「萌え」に最初からエロが含まれていたとかなんとか、よくわからない話が流れているらしく、自分が覚えていることをメモとして残しておきたいと思った。 ところで、これはあくまで94年ごろ、NiftyServe、PC-VAN、東京BBS他をウロウロしていた人間の記憶でしかなく、かつ別に他の資料やログをちゃんと参照したものでもない。 だいたい当時生息していた東Bとかニフのchatのログがあるわけもない。 ただ「自分の記憶としてはこうである」、そして、他の人間と記憶を校正すると、まあまあ大間違いではなさそうだという記録として残しておきたい。 「萌え」という言葉がいつ頃登場したのかというと、これは自分の記憶では、ほぼ間違いなく1994年のPCエンジン版『ときめきメモリアル』の前後だ。 当時、隆盛を誇っていたniftyのRT(チャット)で、最初のうちは「XXちゃん燃え燃えだあ!」って言ってたヤツ(なんとなく
今週、茨城県の数学の先生方の研修の講師を務めてきた。二ヶ月ほど前に、栃木県でも同じく数学の先生方の研修の講師を務めたので、研修でのレクチャーは二度目だ。 さらにいうなら、今年は、(こちらは経済学者として)、土木学会のシンポジウムと阪大経済研究所のシンポジウムにも登壇したんで、4回も人前で話してしまった。 ダメ推しでいうなら、9月および10月に、書店でのトークイベントが計画されておって、両方成立したとすると、年6回のイベント登場となってしまう。(トークイベントについては、詳細が決まったら、このブログで告知するね)。 さて、茨城県での研修のお題は何か、というと、「良質な1問を作成する上でのヒント」というもの。要するに、問題作成のコツを伝授する、ということだった。 お題をいただいて、少々困った。 なぜなら、ここ20年のほど経済学者を本業としており、数学の書籍は書いているけど、受験数学とは縁遠くな
今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1より続く) ◆ ◆ ◆ 当時、高畑さんが作りたがっていたのが『平家物語』でした。企画としてはおもしろいものの、誰が絵を描くのかという問題がありました。宮崎駿が「平家の戦いのシーンを描けるとしたら自分しかいない」と豪語していたほどで、技術的にも非常に難しいことは分かっていました。高畑さんは『山田くん』でも活躍した田辺修に描いてもらおうとするんですが、田辺も頑固な男で、「自分は人が人を殺す話は描きたくない」と言う。 そこで僕が持ち出したのが『竹取物語』でした。言わずとしれた日本最古の物語で、高畑さん自身、「誰かがいちどきちんと映画にすべきだ」と言っていたのを思い出したんです。あらためて高畑さんにその話をすると、「誰かが作るべきだとは言い
台湾で、東京電力福島第一原発の事故後から続く日本食品の輸入規制が解かれず、日台関係に微妙な影を投げかけている。中国が日中関係改善を背景に緩和へ動き始める中、台湾側からも懸念の声が出る。 12日、台北で開かれた日本企業関係者の新年会。就任以来、初めて出席した蔡英文(ツァイインウェン)総統を前に、日本の大使に当たる日本台湾交流協会台北事務所の沼田幹男代表があいさつした。 沼田氏は日台関係の好調さを評価しつつ「食品問題など解決できなかった問題もあり、中だるみというのが正直な感想だ」。苦言に蔡氏はぴくりと表情を変えたが、その後のあいさつではこの問題に直接言及せずに会場を後にした。 福島第一原発の事故からまもなく7年が経つのに、台湾が規制緩和に踏み切れない背景には世論がある。 民進党の蔡氏は一昨年の就任当初に緩和を模索したが、野党の国民党が強く抵抗。市民も年間約400万人が日本を訪れるほどなのに世論
小室哲哉さんの引退宣言を受け様々なところから惜しむ声が挙がっていますが、もしもいつか戻ってくるなら“コミケ”という場はいかがでしょう?
「生賴範義 展 THE ILLUSTRATOR」in 上野の森美術館 企画を実現させた主催者、 (ORAI氏からのゆかりをもじって)OIRA氏のてんまつ報告は、 Facebook内の記事、 ここでも読める。 とはいえ、本ブログから参照リンクをたどる人は少なく、 ここでそれを置き去りに、 私ごときの感想を書くのもどうかと思うし、 ご当人から以前に展覧会の告知をいただいたこともあり、 ここに図々しく無断転載して、皆様に強制的に読んでいただくことにする。 (一部編集・適宜改行) OIRAの異常な愛情(加筆版) または 私は如何にして心配するのを止めて生賴範義 展を開催するようになったか 「生賴範義 展 THE ILLUSTRATOR」in 上野の森美術館での開幕にあたり、 以前、展覧会開催までの経緯をまとめた不定期連載を一部加筆して再掲させていただきました。 (長文です) 1979年の「スターロ
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