印刷 関連トピックス原子力発電所 被爆地広島に原子力発電所を造る案が1953年時点で、米政権内で浮上していたことが、朝日新聞が入手した米公文書からわかった。当時のアイゼンハワー米大統領は「(原爆投下への)罪悪感を示すことになる」という理由で反対した。広島に原発を造る案はビキニ事件が起きた54年以降に米国で相次いだが、それ以前に政権内で検討されたことが明らかになった。 この公文書は、原子力担当のスミス国務長官特別補佐官(当時)が、ストローズ米原子力委員長(同)から聞いた話として記録した55年5月20日付メモ。 それによると、ストローズ氏は53年、広島への原発建設案をアイゼンハワー大統領に提案した。これに対し、大統領は「その考えは捨てた方がよい。(原爆を使ったことへの米国の)罪悪感を示すことになるからだ」と発言。ストローズ氏は「大統領の決定は正しかったと思う」とスミス氏に語ったとされる。