自民党の石破茂政調会長は11日、党本部で記者会見し、福島第1原発事故について、政権担当時に原発建設を積極推進した党にも一定の責任があるとの認識を示した。「自民党が与党として原子力政策を担ってきたことは事実だ。間違いを起こさない政党はない。私たちも何か誤りがあったのではないか」と述べた。 同時に「自民党としてどこが誤っており、それはなぜかをきちんと検証しなければ、政府を追及する資格がない」と指摘。谷垣禎一総裁ら党幹部と検証の在り方について協議したい考えを明らかにした。
東海地震の想定震源域内にある中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)について、政府はついに運転停止を要請した。二〇〇一年まで十年間、地震予知連絡会の会長を務め、その後、浜岡原発廃止を訴え続けた地震学者の茂木清夫さん(81)=東大名誉教授=は、今回の決断を評価しつつ「浜岡以外も見直すべきだ」と、さらなる警鐘を鳴らす。 (宇佐見昭彦、写真・木口慎子) −浜岡原発の停止要請をどう思ったか? 「良かった。本当はもっと早いほうが良かったが、とにかく止めろと行動で示した。(想定以上の地震や津波が)今までないから今後もないとはいえない、ということを今回の地震で教えられた」 −東日本大震災は、想定を超えるマグニチュード(M)9の超巨大地震だった。 「耐震上で想定するMとか活断層とかは、全く仮想の話であって、これ以上の地震は起きないと勝手に人間が決めて『ないと思っていた』では困る」 −人間のおごりか? 「おごりと
福島第一原発をイメージしたと思われる、故岡本太郎氏の「明日の神話」に描き加えられた部分=1日午後、東京・渋谷駅構内で 東京・渋谷駅構内に飾られている画家の故・岡本太郎氏の壁画「明日の神話」の一角に、福島第一原発事故をイメージさせる絵が付け加えられていたことが一日、分かった。絵を描いたベニヤ板を張り付けており、何者かのいたずらとみられる。警視庁渋谷署も把握し、同日夜にNPO「明日の神話保全継承機構」(渋谷区)の立ち会いのもとで、ベニヤを撤去した。 「明日の神話」は岡本氏が一九六八〜六九年にかけてメキシコで描いた縦五・五メートル、横三十メートルの巨大壁画。五四年に米国の水爆実験で日本漁船が被ばくした第五福竜丸事件などをモチーフにしている。行方不明になっていたが二〇〇三年に発見。修復作業を経て〇八年十一月、渋谷駅のJR改札と京王井の頭線改札の間にある通路に展示された。 ベニヤの絵は福島第一原発の
経済産業省原子力安全・保安院が、震災当日の十一日夜、東京電力福島第一原発事故に関して、三時間以内の「炉心溶融」を予測していたことが二十七日、分かった。また翌十二日未明には放射性ヨウ素や高いレベルの放射線を検出、原子炉の圧力を低下させる応急措置をとる方針が決まったが、実現するまでに半日も要した。政府文書や複数の政府当局者の話で判明した。
仙谷由人官房長官は18日の参院予算委員会で、自衛隊を「暴力装置」と表現した。質問した自民党の世耕弘成氏から抗議を受け「実力組織」と言い換え「不適当だった。自衛隊の皆さまには謝罪します」と述べた。 この後、菅直人首相は参院予算委で「自衛隊の皆さんのプライドを傷つけることになり、おわびする」と陳謝。終了後、仙谷氏に対し「今後、気を付けるように」と注意した。 ただ、自民党の石破茂政調会長も昨年3月、シンポジウムで「警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するのが国家の一つの定義」と発言していた。石破氏は18日夜、記者団に「あくまで政治学的な定義であり、自分は自衛隊とはひと言も言ってない」と説明した。 自民党の谷垣禎一総裁は記者会見で「命懸けで国土を守る自衛官への冒とくだ」と強く批判。公明党幹部も「自衛隊員は体をはって命を懸けているのにどうして誇りを傷付けることを言うのか」と述べた。 みんなの党の渡
【ロサンゼルス=共同】米西部ワシントン州シアトルの連邦地裁でイスラム圏七カ国からの入国を禁じる大統領令の一時差し止めを命じ、一躍「時の人」となったジェームズ・ロバート判事(69)は、難民や障害のある子ども、黒人ら社会的弱者に寄り添う人権派として知られている。 米メディアによると、同州シアトル生まれのロバート氏は三十年以上法律事務所で勤務後、当時の共和党ブッシュ大統領(子)の指名で、二〇〇四年に連邦地裁判事に就任。本人も共和党を支持していたという。かつての同僚は「とても慎重な判事。法の解釈は保守的だったが思い切った適用をした」と話す。
自民、公明両党は六日の与野党国対委員長会談で、野党側が改憲に絡んで戦前ドイツのナチス政権を引き合いに出した麻生太郎副総理兼財務相を追及するために求めていた衆院予算委員会の集中審議開催を拒否した。今月二日に召集された臨時国会は、与野党が論戦を交わさないまま、七日に閉会する。(中根政人)
広島市の平和記念式典に参列した安倍晋三首相は六日午前、市内で被爆者の代表七人と面談した。代表の一人が脱原発を求めたのに対し、首相は「原発の今後の位置付けについては安全性確保が最優先という方針を原則とする」と指摘。その上で「エネルギーの安定供給とコスト低減という観点も含め責任あるエネルギー政策を構築していく」と、再稼働など原発を維持・推進する考えを強調した。 首相は原発の再稼働や海外輸出を積極的に進める姿勢を明確にしてきたが被爆者の要請に対し言及するのは異例だ。広島県労働組合会議被爆者団体連絡協議会の中谷悦子さんが二〇一一年の東京電力福島第一原発事故に関して「危険性にかんがみ、すべての原発を廃止してほしい」と要請したのに対し答えた。
古着屋で一着の英国軍の軍服を見つけた。実にカッコいい。これを着て、町に出ると、警官に呼び止められ、「脱げ」とこづかれた。「それを着て、戦友は死んでいった」▼軍服を着ていたのは伝説のギタリスト、ジミ・ヘンドリックス(一九四二~一九七〇年)。若者の間に「ミリタリー・ルック」が流行した六六年ごろのロンドンでの出来事で、伝記映画の中にもその場面が描かれていた▼ギタリストにはとんだ災難だが、警官の思いもまったく分からぬわけではない。確かに、人が何を着ていようが、咎(とが)め立てる権利はない。それは表現の自由である。ただその服装を見て、何かを思い出し、傷つく人もいる。とりわけ人の命を奪い、奪われた軍服である▼黒い制帽にマント。日本のアイドルグループ「欅(けやき)坂46」の黒い衣装がかつてのナチス親衛隊の軍服にそっくりだとの批判の声が上がっている。英国の大衆紙が伝えた。残念ながら、似ている▼まさか「信奉
明治憲法が制定される際、枢密院議長の伊藤博文と文相の森有礼(ありのり)の間で論争があった。草案にある臣民の「権利」を「分際(責任)」と改めるべきだとの修正案に伊藤は「そもそも憲法創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり」と反論した▼臣民の責任を列挙するなら制定の必要はない。主権者である天皇の権力を制限し、国民の権利を守ることが憲法創設の精神であると明言したのだ▼憲法の役割は、国家権力に歯止めをかけることである、という立憲主義の精神を、明治憲法の起草者が正確に理解していたことは新鮮な驚きだった▼衆院選で圧勝した自民党の安倍晋三総裁は、改憲の手続きを定めた憲法九六条を日本維新の会などと連携して見直す考えだ。強い反対が予想される九条を後回しにして発議の条件である「三分の二条項」から手をつける戦術のようだ▼自民党がかねて主張してきた九六条改正案を、憲法学者の小林節慶応大教
≪日本の世界史的役割に目を≫ もういいかげんに覚悟を決めたらどうだろうか。中国には海を奪われ、油田をかすめ取られ、毒食を送りこまれて知らぬ顔の半兵衛を決めこまれ、国連で常に妨害され、韓国には島を占拠され、野球のWBCのマウンドに太極旗を立てて侮辱され、北朝鮮には人さらいをされ、ミサイルを発射され、これら特定アジアからそろって偽史まで強要されている。そのような恥ずかしい国に住んでいくという覚悟を、もう決めた方がよいのではないか。 海の向こうには三種一様の国がある。日本軍と戦わずしてアメリカに解放してもらった国(韓国)、少しゲリラ戦をしたが大負けに負けてソ連の傀儡(かいらい)にしてもらった国(北朝鮮)、別の人たちが日本軍と戦っている間に山で英気を養い、戦後、前に戦っていた人々を追い出して独立した国(中国)。これらは日本に戦勝したという偽史なしには国民の物語が作れない国々であり、これからも絶えず
≪発展の遅れた半島の李朝≫ 来年は日韓併合100周年にあたり、韓国の反日運動の盛り上がりが予想され、また日本の一部学者が同調する動きもある。以下、事実を指摘しておきたい。 歴史上の朝鮮は、満州から半島へと廻る回廊の上に立つ、いわば回廊国家であった。 大陸に清国を建てた、第1代ヌルハチと次代ホンタイジの年代記、『満文老档(まんぶんろうとう)』が当時の満州語で残されている。満州軍は清国建国前に朝鮮侵攻を行うが、奉天に集結した軍が朝鮮に南下し、京城を抜くまでにたった2週間しかかからない。半島の東側は険しい山岳だが、西側は何の要害もない野原だからである。もとより守り防ぐことのできない国であった。ゆえに侵略の報が入るや、王は海浜の江華島へと逃げ去った。 満州やモンゴル諸国から見ても、大陸の明朝と半島の李朝は兄弟国であった。明は白蓮(びゃくれん)教徒の明主が建てた国だったので明という。元朝に宗教反乱で
【新国語断想】塩原経央 子ども、障がい者 漢字が悪いわけじゃない (1/2ページ) 2009.10.12 09:10 政権交代して、新聞にやたら「子ども」の表記が目立つようになった。民主党が掲げる「子ども手当」による。筆者に言わせれば「子供」と「子ども」とは別の概念だ。小児または小児らを指すのが「子供」で、「子ども」は「子+複数を表す接尾語ども」を表す書き方だ。 なるほど「子ども」と書いても、この「ども」に複数を表すという意識はもうほとんど薄れている。だからといって、この接尾語「ども」が完全に滅んだかといえばそうではない。野郎ども、アホども、子供どもといえば複数概念がちゃんと生きていることが分かろう。この「ども」には、相手を見下すニュアンスがある。だから、「子供」よりもよほど子供を侮った書き方なのである。 「子ども」表記にこだわる人に、「供」はお供の供で、子供を供え物のように扱う人権無視
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く