爆竹銃 @bakuchikujuu 男の子が大好きな代物だ!!! 静止画だと意外なほど素晴らしく「それっぽい」のがいい。無風で(?)綺麗な平面を保っている状態だと、むしろ、CG合成っぽいぐらいだ。 >twitter.com/ARuFa_FARu/sta… 2016-04-04 01:33:24
ブコメの。 さそりアーマーに殺される夢を見た増田俺はさそりアーマーに殺される夢を見たな 80年代女性アイドル論の増田マスダ80年代女性アイドル論~総論 はてぶ国勢調査はてぶ国勢調査 はてぶ国勢調査 はてぶ国勢調査 はてぶ国勢調査 おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?敬意を払おう(パンの枚数の話題が出ているので念のため計上) ぷよぷよで妻に勝てない的なやつぷよぷよで旦那が私に勝てない。 ぷよぷよで妻に勝てない。 「当方3歳児である。」から始まるやつガキの耳に届く保育園論争ほどの公害は他にない。 一連のタウン情報誌の窮状の話。地方の雑誌メディアの終焉が近い件について ないです不明 はなぶさときいち氏のアイドル論上記 はてぶ国勢調査上記 ウェブカレ1000万ウェブカレ1000万て 最近ニーターパン見ないなニーターパンはわしが育てた ジャニスジョプリンの同窓会の話(消えてた) はてな
今、ふと思ったんだけど、書籍版にのみ加筆で入れてる、某ブロガーが体の一部分だけで話しているのって、霊王っぽい。 はてな村奇譚上 作者: 小島アジコ発売日: 2015/08/20メディア: Kindle版この商品を含むブログ (3件) を見る はてな村奇譚の下巻の加筆分のオオオチは自分でいうのもなんだけど、相当面白いと思うので、もし、余裕があるのなら読んでほしい。 はてな村奇譚下 作者: 小島アジコ発売日: 2015/08/20メディア: Kindle版この商品を含むブログ (2件) を見る はてな村奇譚の続編、みたいな感じのインターネットの話をかこうとおもって、半年前くらいネタ集めとプロット組んでたんだけど、たった半年でブログ界を取り巻く状況が完全に変わってしまって、当時の考えていたネタが完全に古くなってしまったので、どうしようもないなあ、って思ってしまっているところ。 はてな上場したので
いろいろまとめようと思ったけど、なかなかまとまらないのでまとまらないまま書いていきます。互助会案件です。 【つまらないブログ】 いわゆる「薄っぺらい」記事とはどんな記事だろう。簡単に言えば既存の価値観を既存のまま紹介すると言うものだと思う。ひどいものだと他の記事の切り貼りだけで「ボクが面白いと思ったものです」とだけやっている。 ちょっと前に流行った「最強のマンガランキング100」みたいなのがつまらないのは、結局実際に読んでいないので世間の評価やググって出てきたあらすじをそのまま載せているからであって、ガチでいろいろ読んで構成を企画して書いているものは面白い。前者にあって後者にないのは「筆者の視点」で、筆者が何を面白いと取り上げているのかが的確に伝わってくると面白い。それは日常雑記でもロードバイクの記事でもなんでも一緒で、魅力的なものはやっぱりその記事を書いた人がどういう人かわかるようなもの
2016 - 02 - 01 ブログ記事をスクショしてTwitterで晒される現状について SNS SNS-Twitter スポンサーリンク あとで読む Pocket パクツイが流行ったけど、これはパクツイと同罪では? ちわっす、なわはるです。Twitterでとあるツイートが流れてきました。1万以上RTされる面白いツイートでしたが、少し問題あり。 それは、ブログ記事をスクショして並べているだけのものだったのです。 一、ブロガーとして私は大変に不快に思いました。これは駆逐されるべき問題だと! 居ても立ってもいられない そこでTwitterの問題はTwitterで解決すべきだと思い、私はとあるツイートをしたのですが、私の発信力ではこの思いをみなに伝えることができません。 そこでこれを周知のことにすべくブログに書き、ブログとツイッターの2方向からこの 「ブログまたサイトをスクショして晒すこと」
最近、若い大学生達が「ブログってダサいから俺たちはメディアクリエイターを名乗ろうぜ」と言い出したことで一騒動起きました。 ネタとかではなく真面目にメディアクリエイターを名乗ろうとするセンスは理解しかねるのですが、下の世代の考えてることがわからないってこういう感覚なのでしょうか? 自称メディアクリエイターの方々のブログを読みましたが、彼らは、今ある枠組みの中で自分をどう位置づけてどう承認されたいか以外のことを書いてないように見えました。何かについて語りたいからブログをやってるのではなく、どういうふうに自分をプレゼンして信者(=餌)を増やしていくか、というゲームをプレイしていて、内容もそのゲームの攻略法(方法論)みたいなことばかりです。 彼らのメインコンテンツは「僕が私が」であって、何かの対象を語るためにブログではなさそうなのです。 そういう人達を見て、「何かの対象を語る」ための共通の基盤のよ
なんというか、僕は、所謂ブロガーにはなれないんだなあ、って思う。 世間でブロガーとして認知、人気がある人の素質というものが、リアルで必要とされる能力と、とても似てきていると思う。 それは共感能力であったり、空気を読む能力であったり、コミュニケーション能力であったり、人を不快にさせない能力であったり、政治力であったり、人を元気にさせたり元気づけたり、ポジティブにさせる能力であったり、器用さであったり、要領のよさであったり、物事を始める時の勘の良さであったり、何か、面白いものを見つける嗅覚であったり、行動力であったり、新しいものに対する好奇心であったり、視野の広さであったり。などなど。 著名ブロガーの人たちはリアルでも多分有能 たくさんのPVを集めて、たくさんのフォロワーを持っているブロガーの人たちは、これらの能力や才能にあふれてる人が多い(ような気がするし)多分、ネットを介さないリアルの世界
読みまして。 ずっとこのモヤモヤを言語化したかったんですけどできなくて、でも今回はなんとなくできそうな感じがしたので見切り発車で書き始めてますが、この、ブログを書いたり、なんか、ネットメディア?的なものを作ったりしている人の書く「◯万PV達成!」とか「今月の売上◯万円突破しました!」に対しての抵抗感、みたいなのの根っこはなんだろうなあと、ずっと思ってたんですよね。 わたしも書籍紹介のときはAmazonのアフィリエイト貼ってたりするので(いつもありがとうございます)「お前だってブログ経由でお金もらってるじゃん」て言われたら「えへへ」ってなりますし、売上報告のエントリ読むと「へ〜そんなに稼げるのかーすごいなー」と思ってます。適切なアフィリエイトプログラムを探してきたり最適化したり、わたしにその努力はできないし、彼らはその努力の結果として対価をもらってるんだから、純粋に尊敬します。すごいと思う。
有村悠%C91・1日目(木)東M25a @y_arim 愚痴や不平不満は信頼できる相手にクローズドな場所で面と向かって打ち明けるのがいいと言うけど、そういう相手の居ない孤独な人はネットで爆発して炎上するしかないよなぁ
河野氏は自民党議員ながら舌鋒(ぜっぽう)鋭く政府を追及することで知られる。ブログにも原発再稼働への批判などを書き込んできたが、7日の入閣に合わせて閲覧中止とした。野党から「閣内不一致」と批判されないようにする狙いがあるとみられる。 河野氏は8日、読売新聞の取材に「これからは政府の一員として政府が決めたことを訴えていく立場になる。そのけじめもあって、ホームページを改修している」と語った。 これに対し、維新の党の松野代表は8日の記者会見で「内閣に入っても堂々と持論を主張してもらいたい」と皮肉った。
特設サイトでは、2004年に伊藤さんが開設したダイアリー内の個人ブログ「伊藤計劃:第弐位相」の投稿コンテンツを中心に、インタビューや対談記事などを毎日更新予定。企画・サイト構築・デザインをはてな、運営を早川書房が行う。なお、遺族の意向で公開状態となっている個人ブログは今後も残される。 関連記事 伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』がコミカライズ、『月刊ニュータイプ』5月号から連載 『虐殺器官』は『009 RE:CYBORG』の作画などを担当した麻生我等が、『ハーモニー』は『キャプテン・アース 遊星歯車装置 世界の夢を現す者』などを描いた三巷文が手掛ける。 円城塔氏、米国のSF文学賞で特別賞を受賞 円城塔氏の小説『Self-Reference ENGINE』の英訳版が、「フィリップ・K・ディック賞」の特別賞に選ばれた。同賞の受賞は2011年の伊藤計劃氏に次いで2人目となる。 円城塔、『Sel
結構な頻度で、ブログを全部削除してしまおうと思うことがある。ここに書いている文章はなんというか、自分にとって恥の塊みたいなもので、読み返したりすると消したい衝動に駆られることが多い。今までそうやって削除してきたのは例えばmixiのアカウントとか、確かあれは会社員になったばかりの頃で、7年ぐらい前だったと思う。ブログについては3回か4回渡り歩いているけれどそれは必ずしもそういった理由からではなく、単にパスワードを忘れたりシステムが古くなって使いづらくなったとか、新しい別のサービスを利用してみたくなったということが多い。もしくは無料サーバーのサービスが終了したとか。基本的に今までのブログというのは実際の僕を知っている人に教えていなかったから(mixiはもちろん教えていた)。でも今のこのブログは親族も知っており昔の友人や知り合いにもガンガン教えている。元々隠していたつもりもなかったけれど、いつか
コミュニケーション志向ブログの衰退Twitterやフェイスブックをはじめとするソーシャルメディアが話題となって、もう何年も経ちます。ここ数年はインスタグラムやLineなども広く浸透していますが、その一方で、以前ほど一般ユーザーのブログ利用が目立たなくなってきています。 ブログが日本で普及し始めたのは2003年ごろから。それまでのホームページと異なり、コメントやトラックバックなどの機能を付加することで、ユーザー同士のコミュニケーションをより活性化させました。こうしたブログ運営主には、大きく分けてふたつの指向性がありました。ひとつが発信志向で、もうひとつがコミュニケーション志向です。 発信志向のブログとは、独自の分析や蘊蓄など、知識や情報を中心に発信しているものです。もちろん発信した先には受信するひとが必ずいるのでコミュニケーション志向とも言えますが、そこでは不特定多数の読者が前提とされている
ぼくの行動指針のひとつに、日記を書くことは善である、というのがある。正確には、日記を書いて公開することが善である。この話題、懲りずに定期的に書いてる気がするけど、これはぼくの制作活動の根幹に関わることなので、執拗に主張していきたい。 以前、なんで日記書いたほうがいいか っていう記事を書いた。あれから1年とちょっと経つけど、その主張は現在も変わってないし、引き続き推奨していきたい。2015年現在での、日記を書くことについての自分の見解を記すことにする。 ぼくがここで言う「日記」とは何を指すのか説明する必要がある。ぼくの中では、ある程度まとまった長さで、かつ著者の意見を含む文章を日記と呼んでいる。毎日書いているかは問題にしていない。ちなみに、感情っぽい感じ(いわゆるエモみ)が増した日記のことはポエムと呼んでいる。 エモみはともかく、こうした創作物にぼくは非常に価値があると思っている。なぜなら、
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