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2008年11月15日のブックマーク (3件)

  • 序数、基数、モノイド圏とエックマン/ヒルトン論法 - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)

    「基は大事だ」とか言いますが、幼児や小学生でもわかるようなホントに基的な概念が、かなり抽象的な文脈でも形を変えて現れることには驚かされます。 かつての次男の様子などから察するに、「イチ、ニ、サン」と順番に数えあげることと、モノの集まりの大きさ(むしろ“多いさ”)の把握は、とりあえずは別な行為で、その2つを関連付けるためにはトレーニングが必要なようです。 数えるときに唱<とな>えるカズを序数(ordinal number)、集まりの“多いさ”を表すカズを基数(cardinal number)と呼びます。序数と基数は、子供の認識においても理論的(例えば集合論の)観点からも別物です。なのに、序数と基数はいつのまにか同一視され、具体的な利用法/利用場面が捨象された「自然数」へと蒸留されてしまいます。 この同一視と抽象化のメカニズムはどうなっているんでしょう? あり得るひとつの説明として、モノイ

    序数、基数、モノイド圏とエックマン/ヒルトン論法 - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)
    kgbu
    kgbu 2008/11/15
    1,2,3,いっぱいという認識の状態を表す圏もあるのかー。Conceptual MathematicsのPlease read thisの最初のパラグラフを思い出した。
  • Erlang実験室:武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)

    Erlangでは、「死ぬこと=プロセスをクラッシュさせること」の解釈/意義/価値観が、他の言語とは随分違います。潔<いさぎよ>く死ぬことが推奨されていますが、これは責務の放棄とは違います。 内容: 事故や災害への対処は個人ではなくて企業や社会が行うべき 正常と異常のはざま 例外を使うのは例外的? 多プロセス並列プログラミングと例外 潔さと無責任は違う -- 武士道プログラミング ●事故や災害への対処は個人ではなくて企業や社会が行うべき Erlangの書き方や文化で、なかなか馴染めないのが「異常時の処理を書かない」という方針です。 多くのプログラミング言語のコードでは、次のような分岐をしばしば見受けます。 if (正常条件) { 正常時の処理; } else { 異常時の処理; } switch (値) { case 正常な値_1 : 正常時の処理_1; break; case 正常な値_2

    Erlang実験室:武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)
    kgbu
    kgbu 2008/11/15
    処理そのものと、そのエラーは別のもので実装する、という哲学らしい。処理は簡単に書けるし、エラー処理を誰にまかせるかとうい判断をせずにすむ。効率的だ。Erlangの例外処理が実装されたのが新しいというのは初耳
  • CDS取引のモラルリスク

    CDSの取引は主に金融のプロ同士が行ううえ、それを取り締まる法律も特になく、相対取引の枠組みの中で取引は大きく伸びた。最近米国の決済機関DTCの親会社であるDTCCが公表した今年10月末のCDSの想定元総額は、個別主体に対するものとインデックスを対象とするものを合わせると、33.6兆ドル(約3300兆円)にのぼる。これ以外にも米国で金融保険を業務とする会社などが相対でやっていて報告されていないものもかなりあるようだ。もっともDTCの数字のうち9割程度は業者間取引が両建てでカウントされているため、実質的なリスクはその1割程度という見方も出来る。それでも市場では少なくとも数百兆円を超える企業倒産リスクポジションを誰かがとっているということである。 CDSのカウンターパーティーリスク(及びそれに伴う決済リスク)はそれ自体大きな問題であるが、そもそも、このような取引は契約自由の名の下に自由に当事

    kgbu
    kgbu 2008/11/15
    第三者に保険をかけて殺(法)人、というたとえは非常に分かりやすい。