前回はこちら 単 独 に 耐 え る と い う こ と 危篤の状態から引き返してきた父親の状態は、比較的安定していた。 安定とはいっても、病状が改善されたというわけではない。 劇的な改善が期待できるわけでもない父親のような老人にとって、安定とは昨日と今日があまり変らないということであり、それだけで十分だと思わなければならない。 酷い譫(せん)妄状態は相変わらずで、ベッドに固定され、点滴や計測のチューブに繋がれている安定である。 俺はどこかで、もう父親はこれ以上回復することはないだろうと諦めに似た気持ちになっていたと思う。 このあまりうれしくない予感は一か月後に現実になるのだが、そのときはそれがいつになるのかということも考慮の外であった。 諦めとは、将来に関して関与する気持ちを捨て去ることなのかもしれない。なるようにしかならないし、なるようになればよいと思うことだろう。 諦めには悲哀がつき