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ブックマーク / number.bunshun.jp (32)

  • モロゾフが再び高橋大輔の元に――。衝撃のチーム再結成の真相とは? (田村明子)

    2007年の世界選手権では、モロゾフ・コーチ(右)のもと、日人男子史上最高位となる銀メダルを獲得した高橋大輔。モロゾフと再びタッグを組み、ソチで初の五輪金メダルを目指す。 「チーム高橋に、新しいコーチが加わりますのでご紹介します」 高橋大輔の隣に立っていた日スケート連盟の小林芳子副強化部長がそう言うと、集まった報道関係者の間をすり抜けて部屋に入ってきたのは、ニコライ・モロゾフだった。 「うそー!」どこからか、抑えた囁きが聞こえてきた。 すべての関係者にとって、まさに「うそー!」の状況だった。 6月15日、新横浜で開催された「ドリーム・オン・アイス」初日公演の後に行われたこの共同記者会見。ここに同席するためにだけ急遽来日したというモロゾフは、彼らしくもなく緊張した硬い表情をしていた。 「皆さんには、正直にお話ししましょう。ダイスケは、私のお気に入りの生徒でした。あのような形で別れてしまっ

    モロゾフが再び高橋大輔の元に――。衝撃のチーム再結成の真相とは? (田村明子)
    kinut
    kinut 2012/06/19
    モロゾフ…
  • 驚くべき冤罪を浮き彫りにした、ノンフィクションの真髄。~我那覇“ドーピング事件”の真相~(一志治夫)

    『争うは意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と 彼を支えた人々の美(ちゅ)らゴール』 木村元彦著 集英社インターナショナル 1500円+税 我那覇、ドーピング、裁判――。私の記憶の中にはそんな言葉が断片的に残っているだけで、実際の事件の詳細に関してはまるで知らなかった。書で初めて、それがいかに不可解かつ理不尽な事件であったのかを教えられた。 '07年4月21日に行なわれた対浦和戦でゴールを決めた川崎フロンターレの我那覇和樹は、実はこの日、体調不良に苦しんでいた。2日経っても、喉の痛みと腹痛は治まらず、身体は水も受け付けなかった。それでも、ポジション争いが熾烈なチームゆえ、練習を休む、という選択肢は我那覇にはなく、練習終了後、ようやくチームドクターに窮状を訴え出る。 体温38.5度。水を摂るのも困難な状態で、ドクターは緊急の水分補給として、ビタミンB1を入れた生理塩水の点滴治

    驚くべき冤罪を浮き彫りにした、ノンフィクションの真髄。~我那覇“ドーピング事件”の真相~(一志治夫)
  • 宮市亮が放った「輝き」と「甘さ」。プレミアデビューを現地はどう見たか?(山中忍)

    潤一、戸田和幸、中田英寿に続く4人目の日人プレミアデビューを飾った宮市亮。“アーセナルの主力”という目標に向け、大きな一歩を踏み出した GKの手の平1つ分。 宮市亮にとっての夢のデビュー・ゴールは、近そうで遠かった。 2月11日に行われた第25節ウィガン戦は、宮市にとって、アーセナルからレンタル移籍したボルトンでのデビュー戦であり、待ちに待ったプレミアリーグでのデビュー戦でもあった。 後半からピッチに立った背番号30に見せ場が訪れたのは、1点のビハインドで迎えた終盤86分。左手で足下を指差しながら最終ラインの裏に抜けると、FWのダビド・エンゴグから要求通りのパスが出た。ファーストタッチでボールの勢いを殺し、DFを背負いながら右足を大きく踏み込む。続いて左足から放たれたシュートは、ファーポスト内側のネットを揺らすかに思われたが、アリ・アルハブシが横っ飛びになって腕を伸ばすと、ボールは無

    宮市亮が放った「輝き」と「甘さ」。プレミアデビューを現地はどう見たか?(山中忍)
  • ザックは今、“何”を探している!?石川直宏に続き宮市亮を呼んだ意味。 (二宮寿朗)

    「彼(宮市)はA代表でプレーするチャンスはある」と語ったザッケローニ。これまでも、宇佐美貴史、久保裕也、柴崎岳ら10代の選手を招集してきたが、宮市への期待度は1ランク違うものを感じさせる 昼の暖かさがまるで嘘のように、夜の大阪長居スタジアムは厳しく冷え込んだ。 2月24日、日本代表は2012年のファーストマッチとなったアイスランド代表との一戦に臨み、1得点1アシストを記録した槙野智章らの活躍もあって3-1で勝利した。北欧でプレーするメンバーを中心に来日した相手のレベルを考えれば、もう少し圧倒して寒さを吹き飛ばすような内容を期待していた。とはいえ、コンディションが上がっていないオフ明けという事情を差し引けば、まずまずの出来だったと言えるだろうか。 試合後の会見で雄弁に試合を振り返ったアルベルト・ザッケローニも、ある程度、試合内容には満足していたように見えた。 「まず選手には、勝って今年をスタ

    ザックは今、“何”を探している!?石川直宏に続き宮市亮を呼んだ意味。 (二宮寿朗)
  • 香川真司が昨季より更に進化した!絶好調の要因は剥き出しの「エゴ」。(ミムラユウスケ)

    「今の君はもう十分あの頃をこえているよ」 漫画スラムダンク』で安西先生が言った名ゼリフも、今の香川真司にならあてはまるだろう。 後半戦最初の試合となったハンブルガーSV(HSV)戦では、グロスクロイツの先制ゴールをアシストするなど、攻撃の中心として存在感を放った。『キッカー』誌や『ルールナハリヒテン』紙など、多くのメディアが、この節のベストイレブンに選出した。 しかし、試合後にはゴールを奪えなかったことを残念に思っていると吐露し、ゴールを奪えないまま途中交代を命じられたことに少しだけ不満も漏らしていた。 「今はパスに酔っている自分がいるのかな。それじゃダメ」 そんな中で迎えた翌週のホッフェンハイム戦。ホッフェンハイムには2連敗中で、これまで一度もホームゲームで勝ったことはなかったが、3対1というスコア以上に試合内容で圧倒して、勝利を収めた。その試合は、香川の独壇場になった。自身で2ゴール

    香川真司が昨季より更に進化した!絶好調の要因は剥き出しの「エゴ」。(ミムラユウスケ)
  • <欧州を震撼させたニッポン人> 川島永嗣 「大量失点でMVPの理由」(中田徹)

    Number779号では、「5人の“突破者”たち」として、宮市亮、指宿洋史、 川島永嗣、細貝萌、瀬戸貴幸ら、異国で挑戦を続けるニッポン人の足跡を辿りました。 Number Webでは、今季、サポーターが選ぶ『プレイヤー・オブ・ジ・イヤー』に選出された川島永嗣選手(リールセSK/ベルギー1部)の記事を特別に全文公開します。 ちびっ子記者の激しい突っ込みが混じった質問に、川島は両手を叩きながら爆笑した。 これはリールセがファンサービスで開いた『模擬記者会見』の時の模様だ。リールセのサポーター連合会長、マルク・デ・ノエル(54)は、オランダ語を流暢に操りながら子供たちとコミュニケーションを取った川島の姿を思い出しながら目を細めた。 「川島はたいした奴だ。オランダ語は大変難しい言語なのにもう自由にしゃべっている」 今季、リールセの正GKとして活躍した川島はすっかりサポーターのハートをつかみきった。

    <欧州を震撼させたニッポン人> 川島永嗣 「大量失点でMVPの理由」(中田徹)
  • <有名人から読者まで> 教えてカズ先生 ~44歳のキングに44の質問~ <1限目>(三浦知良)

    ときに称賛され、ときに批判され、44年の人生で酸いも甘いも 噛み分けてきた男、キング・カズ。そんな人生の先輩に、 どうしても聞きたいことを著名人と読者の方々から大募集しました。 サッカーを始め、事、ファッション、女性観から私生活のことまで ――多岐にわたる44の質問に“カズ先生”が真摯に答えてくれました。 Q&Aは現在発売中のNumber778号に掲載。Number Webでも、 カズの背番号と同じ11個ずつのQ&Aを4回にわけて転載していきます。 Q.1 一晩で使った金額は最高いくらですか? (遠藤保仁・ガンバ大阪MF) 300万ぐらいです。30歳になるちょっと前ぐらいかな。そのころってまずカラオケに行って、ディスコに行って、カラオケに戻るんだけど、最初は3人ぐらいだったのが、最後には50人ぐらいになっている。ひとり2万としてもそれだけで100万円。そうやってお金がなくなっていったよね

    <有名人から読者まで> 教えてカズ先生 ~44歳のキングに44の質問~ <1限目>(三浦知良)
    kinut
    kinut 2011/05/12
    カズ先生~(^0^)/
  • 『Dear KAZU カズへの手紙』 特別版 キング・カズへの質問、大募集/2011年4月20日(水)まで [Information] - その他 - Number Web - ナンバー

    2011年4月5日 更新 『Dear KAZU カズへの手紙』特別版 キング・カズへの質問、大募集! 【応募期間】 2011年4月5日(火)~2011年4月20日(水) 3月29日のチャリティーマッチでは、Jリーグ選抜のFWとして出場し、日本代表を相手に鮮やかなゴールを奪った三浦知良選手。日サッカーの象徴ともいえる存在として、44歳になった今季も、全力で走り続けています。 Number778号(5月12日発売)の「日サッカー特集 プロフェッショナルに学べ!」では、カズ選手への巻頭インタビュー記事のほか、大好評長寿連載『Dear KAZU カズへの手紙』の特別版として「キング・カズへの質問状」という企画を考えています。 各界の著名人からNumber読者まで、さまざまな方からカズ選手への質問を募り、それに答えていただくというこのコーナー。発売に先駆け、質問を一般募集することにしました。質問

    kinut
    kinut 2011/04/15
    Number778号(5月12日発売)、買わなくちゃ!
  • <三浦知良と香川真司の往復書簡> 香川選手との初対戦に秘められた不思議な縁。(Number編集部)

    香川真司 1989年、兵庫県生まれ。'06年C大阪に入団。'09年にJ2得点王となり、'10年にブンデスリーガ、ドルトムントへ。リーグ前半戦は全試合先発し8ゴール。アジア杯2011では日本代表の10番をつけ、準決勝の韓国戦まで全試合に先発出場。チームを決勝に導いたが、韓国戦後に右足小指付け根の骨折が発覚、今季の復帰は絶望的とみられている。 僕は今、ドイツのドルトムントに移籍して、ようやく半年が過ぎようとしています。チームはブンデスリーガで首位を独走していますし、ここまでは何とかいいリズムでプレーできています。 僕が、カズさんのことを初めて認識したのは、小学校1年生のころでした。特にカズダンスにはものすごく影響を受けた記憶があります。あと、シザースのフェイントもよく真似をしていましたね。その2つはカズさんの十八番ですから、特に印象に残っています。 実を言うと、僕はカズさんと小学校1年生の時に

    <三浦知良と香川真司の往復書簡> 香川選手との初対戦に秘められた不思議な縁。(Number編集部)
    kinut
    kinut 2011/02/03
    年を重ねるにあたって大事なことは、変わることであり、そして、変わらない自分もあること。
  • <通訳から見たイビチャ・オシム> 千田善 「言葉だけでは人は動かない」(猪狩真一)

    代表監督時代から現在まで、4年以上にわたり通訳として 向き合ってきた彼に、人間オシムの魅力とは何かを聞いた。 '06年7月の日本代表監督への就任以来、イビチャ・オシムの隣には常に彼の姿があった。その光景は、オシムが脳梗塞に倒れて職を退いた後も変わることなく、厳しいリハビリをこなしながら日協会のアドバイザーを務め、ついに6年間過ごした日を離れることになる'09年1月まで続いた。 千田善。旧ユーゴスラビアをフィールドとする研究者として、'80年代から'90年代にかけ、留学時代も含めて10年近い在ユーゴ経験を持っていた彼は、突然舞い込んだオシムの通訳という仕事をなかば歓喜しながら引き受けた。中学、高校とサッカーに打ち込み、現在もシニアリーグでプレーする元サッカー小僧の千田にとって、オシムは、魅力的なサッカーを見せてくれる稀有な指揮官として、在ユーゴ時代の憧れの存在だったのだ。 オシムが好むサ

    <通訳から見たイビチャ・オシム> 千田善 「言葉だけでは人は動かない」(猪狩真一)
  • <モスクワ直撃取材> 本田圭佑 「革命児の美学」 ~ついに明かした“W杯を語らない理由”~(木崎伸也)

    W杯で一躍ヒーローとなった男は、周囲の喧騒をよそに その活躍を振り返ることなく、ロシアへ発った。 なぜ、彼は未だすべてを封印しているのか。 8月上旬、巨大な煙に包まれた猛暑のモスクワで、 田圭佑の大いなる“野望”と独自の“哲学”に迫った。 南アフリカW杯後、メディアから田圭佑の「声」が消えた。 TVをつけても、新聞や雑誌をめくっても、田がインタビューに答えている姿が一切見つけられないのだ。 W杯で活躍できず、戦犯扱いされていたのなら、メディアを避けても不思議ではない。だが、田は日のベスト16進出に貢献したエースなのだ。にもかかわらず、「声」を残さず、そのままロシアへ旅立った。 なぜ、田圭佑は口を閉ざしたのか? 8月4日、モスクワ。街は巨大な煙に包まれていた。 連日、35度を超える異例の猛暑で、近郊の森林の泥炭層で火災が発生し、約13万ヘクタールもの土地が焼け野原と化したからだ。

    <モスクワ直撃取材> 本田圭佑 「革命児の美学」 ~ついに明かした“W杯を語らない理由”~(木崎伸也)
    kinut
    kinut 2010/08/26
    本田△
  • 柳沢敦 愛される理由。 ――なぜ彼はあの時、蹴らなかったのか?[元チームメイトが明かす] - サッカー日本代表コラム - NumberWeb

    シュートチャンスでもパスを選択するそのスタイルには、たしかに賛否両論ある。 しかし、プレーをともにした選手はみな「また一緒にやりたい」と口を揃える。 なぜか。最大の理解者といえる田泰人らがヤナギの真髄を語る。 「点を取るだけがFWじゃない」 シュートのみを第一義としない柳沢敦のポリシーは、時に「消極的」とみなされ、ゴールを決められなかった場合のエクスキューズとして捉えられてしまうことすらあった。 柳沢に対するバッシングの嵐が吹き荒れたのは、ドイツW杯グループリーグ第2戦のクロアチア戦。右からの絶好のボールを、ゴール前に入ってきた柳沢が右足アウトサイドに当てて、決定的なチャンスを逃したことで、「ゴールに固執しないストライカー」への不満が爆発したのだ。ドイツW杯以降、日本代表に招集されることはなくなってしまう。 だが、世間が柳沢に抱く印象と、柳沢と同じピッチに立ってきたチームメイトが