『応仁の乱』著者が力説「富子は悪女ではなく、終戦の功労者である」 あの名言やエピソードは史実じゃない! どこまで研究結果を採り入れるか では、なぜ応仁の乱が起きたのか。 これは畠山家の家督問題が原因だったと、最近では考えられています。この時代、畠山政長と畠山義就という従兄弟同士が、有力な大名家である畠山家の家督、当主の座を巡って争っていました。 この家督争いにおいて、細川勝元は畠山政長を応援していたのに対して、山名宗全は娘婿の勝元に遠慮して、しばらくは介入してきませんでした。ところが、応仁の乱の直前に宗全が畠山義就を応援する形になり、これによって細川と山名の関係が断絶し、両者が対決することになってしまったのです。 すなわち畠山家の家督問題をきっかけに細川と山名が敵対関係になってしまい、これが直接の引き金となって応仁の乱が起こったということになるわけです。 ただし、「学習まんが」にどこまで最