”善男善女”というのが一番タチ悪い、と思っている。マイネームイズ善男善女、という人たちだ。たとえばである。初詣にいったりすると、なにやら行儀よく人々がならんで、しばし列におさまっているうちに「初詣をするわたくしたち」のような一体感が醸成される。おなじ目的に向かって行動するのであるから、これは目的を問わず醸成される集団意識である。それ自体は不快ではない。私が不快なのはもうすこし先にあるものなのである。どう説明したものか、とてもむずかしいのだが、なんとか説明してみようと思う。醸成された一体感に乗じて、互いに善男善女であることを自明化しようする、あるいは当然であるかのごとく振る舞い、「初詣をしているわたくし/あなたであるから、悪人であるはずがない。われわれは疑いようもなくすばらしいことをなしている人間である」というアイデンティティが我彼に無批判にばらまかれているのである。そこでわたしはげっそりす
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