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念仏と浄土真宗に関するmaemaemaemaeのブックマーク (5)

  • 『正信偈』と『御文章』(字幕入り)

    浄土真宗では、朝晩の勤行で親鸞聖人の書かれた『正信偈(しょうしんげ)』と蓮如上人の『御文章』を拝読いたします。 『正信偈』は漢字ばかりで書かれてありますので、お経だと思っておられる方も多いようですが、『正信偈』はお経ではありません。 お経は、お釈迦様の説かれたことを書き残したものを言います。 『正信偈』は親鸞聖人が書かれたものですから、お経とは言わないのです。 『正信偈』には、親鸞聖人の90年の教えのすべてがおさまっています。 その親鸞聖人の教えられたことを正確に、多くの方に伝えられた方が蓮如上人です。 『御文章』には、親鸞聖人の教えられたこと以外、書かれてありません。 朝晩、親鸞聖人の『正信偈』と蓮如上人の『御文章』を拝読することは、親鸞聖人、蓮如上人から教えを聞かせていただく大切なご縁なのです。 正信偈の意味を学びたい方には、下記のサイトでご案内をしております。 http://

    『正信偈』と『御文章』(字幕入り)
  • 帰命無量寿如来

  • しんらん交流館HP 浄土真宗ドットインフォ | 真宗大谷派による浄土真宗のポータルサイト

    【原文】 帰 命 無 量 寿 如 来 南 無 不 可 思 議 光 【読み方】 無量寿如来〈むりょうじゅにょらい〉に帰命〈きみょう〉し、 不可思議光〈ふかしぎこう〉に南無〈なむ〉したてまつる。 「帰命」と「南無」とは同じ意味で、ともに「敬い信じて順う」ということでありました。前回申し述べた通りです。また「無量寿如来」と「不可思議光」とは、いずれも「阿弥陀仏」のことであって、「無量寿如来」は阿弥陀仏の「慈悲」を、「不可思議光」は阿弥陀仏の「智慧〈ちえ〉」を、それぞれ表わしているということも申し述べました。 そうしますと、「帰命無量寿如来〈きみょうむりょうじゅにょらい〉」(無量寿如来に帰命し)ということ、そして「南無不可思議〈なむふかしぎ〉光〈こう〉」(不可思議光に南無したてまつる)ということは、結局、「南無阿弥陀仏」(阿弥陀仏に南無したてまつる)ということと同じことになるわけです。「阿弥陀仏を

    しんらん交流館HP 浄土真宗ドットインフォ | 真宗大谷派による浄土真宗のポータルサイト
    maemaemaemae
    maemaemaemae 2017/05/03
    名号について
  • 浄土真宗聖典|山寺

  • WikiArc:浄土真宗聖典目次 - WikiArc

    生きることに意味があるように、死ぬることにも意義がある、と説くのが往生浄土の真宗です。その据わりは親鸞聖人の『教行証文類』です。 ※➡ 「隠/顕」 宗教とは、宗と教え、また、宗の教えの意で仏教のもろもろの教え、あるいはその中の一つを指していう。それは自らの存在の意味を確認しようといふ「存在理解の枠組み」でもあった。この種々の仏教の中で、浄土真宗は大人の宗教だといわれる。梯實圓和上は、それを、 浄土教というのは、元来大人の宗教なんです。いい歳をして悪いことだと知りながら、性懲りもなく愛欲や憎悪の煩悩を起こし、人を妬(ねた)んだりそねんだりして、自分で悩み苦しんでいる、そんな自分の愚かさと惨めさに気づきながら、その悪循環を断ち切れない自分に絶望したところから、浄土教は始まるのです。その意味で浄土の教えは決して「きれいごと」の宗教ではありません。 そうした自分のぶざまな愚かさを見すえながら、そん

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