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これはもはや文学だに関するmatsuoka_mikiのブックマーク (2)

  • 「はい二人組み作って〜」という教師を恨んだぼくたちが行き着いた先に -

    あのころのぼくたちは、「はい二人組み作って〜」などと無神経なヒトコトをほざく教師どもを軽く脳内惨殺していたものだけれども、その怒りは自分がクラスレベルでハブられるからなどという矮小な理由からではなかった。 もっとこう地球レベルで怒っていたのだ。だってもし地球人口が奇数だったら絶対にハブられるヤツがでてきちゃうじゃん。そんなのって悲しすぎる。 だからぼくらは「はい二人組み作って〜」勢の殲滅に邁進していたし、それはある種聖戦の様相を帯びてすらいた。 「はい二人組み作って〜」勢を一人、また一人と抹消していったぼくらは、世界を正しい姿にするまであと一歩のところまできた。 そう。いまぼくらは最後の障壁、1最小奇数単位(1ドリカム)問題に直面したのだった。 にらみあうぼくら。みつめる彼女。 結局ぼくはまた二人組み側になることができず、残るふたりは二人組みになった。 ぼくはふたりをうらみ、世界をうらみ、

    「はい二人組み作って〜」という教師を恨んだぼくたちが行き着いた先に -
  • 伝えることをためらうとき〜悪趣味なのか、臆病なのか - 余暇の記録

    変わらないでいることを相手に望むために、その人が知りたいと思っていることを伝えずに立ち止まる自分がいる。 それは「エゴ」かもしれないし、もしかしたら見えない「好意」と呼べるものなのかもしれない。 伝えることに立ち止まるとき はてな村からは遥か離れてはいるが、自分がブックマークしたくなるような記事を書き綴るブログがある。 いつも揺るぎない沈着冷静な筆の運びと造詣の深さに敬意を表しながらそのブログを購読しているのだが、先日珍しくアクセス数に言及した記事がアップされていたときのことである。 「自分のブログに、もっとアクセスやコメントがあってもいいのに」 見られることや読まれることへの渇望が率直に記されていて、ああこの人もそうなのかと、少しだけ安心する。 「どこからアクセスがくるかわからない」「どう読まれているかわからない」 ひとりごちるような文章を読んだあと、そのブログの開設以来半年以上通ってい

    伝えることをためらうとき〜悪趣味なのか、臆病なのか - 余暇の記録
    matsuoka_miki
    matsuoka_miki 2006/10/21
    都筑道夫の名作「風見鶏」を思い出した。あれを読んだのはもう20年以上も前だなぁ(遠い目)
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