電通、三菱UFJ信託銀行など大手企業が相次ぎ参入を表明する「情報銀行」。ここに挑むベンチャー企業がDataSign(東京・渋谷)だ。同社の太田祐一社長は情報銀行という言葉が生まれる…続き 中部電力が「情報銀行」参入へ 電力データを活用 [有料会員限定] 「情報銀行」説明会に200社 データ流通の枠組み始動
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これはなかなか的確な分析かと思う。メディアの中の人がまあ見下しているわけではなくて、クリエーターとしてのプライドと言うことだろうし、プロとはそうあるべきだと思うから、そう考えること自体は首肯したいのだけど… では、テレビ局は動画投稿サイトについてどう考えているのだろうか。テレビ関係者はこう言う、「素人動画はゴミだ」。 この意見は2つの内容を含んでいる。一つはドラマなどは制作コストが作品の質に比較的比例しやすいということ。現状の日本では人、物、金すべては地上波キー局を中心とするピラミッド構造から構成されているという指摘である。これはかなり正しい。 テクノロジー : 日経電子版 確かにここで言われていることは正しい。けれども、メディアの中の人は素人の動画をゴミだと思い、またそれと比較されること自体ナンセンスだと思っているのであれば、少し考え直した方が良いと思う。なぜなら そこに登場してきたのが
(どこからか)(承前) 【参考図】 (中略) こういったことからわかるのは、世の中には次のような作り手・作品があるということです。 「そこそこのクオリティでOK(クオリティも求めるが、投入できるコストには制限がある)」「あくまで趣味なので気が向いたときに作れればいい」といった作り手・作品群 →A群 「クオリティを追求するためにはコストがかかる」「作品作りにかなりのエネルギーを投入するので、それで食べていきたい」「必要なコスト・手間を肩代わりする専門家も必要」といったいわゆるプロフェッショナル指向な作り手・作品群 →B群 かつてはこれらのなかから作り手・作品がすくい上げられ、マス向けの商品に仕上げられることで、ごく一部分に日の光が当たるようになっていました(↓海面から出てる部分)。 プロデューサーの手やオーディションやナントカ賞などさまざまなルートを経て。 間口狭い……。 そしてついにネット
以前、ジャーナリスト森健さんとお話させていただいた際、「コンテンツは技術に規定される」というような言葉を教えてもらって、おお!と思った。 連続した技術変化に身を置いていると、なかなか気付かない。でも、文字を持たず口語伝承だった大昔から、象形文字を岩壁に刻んでいた時代、紙とペンが使用され始め、グーデンベルグが活版印刷を発明して、タイプライター、ワープロときていまパソコン、ケータイといった文脈(コンテキスト)でみると、なるほど口語伝承、象形文字で作成されるコンテンツと、タイプやワープロで作成されるそれ、ネットとつながったパソコンやケータイで作成されるそれというのはまるで違う。 12日の朝日新聞に「ケータイが変える 変わる-選択の時 メール感覚 小説『発信』 公開100万作品 続々書籍に」という記事があった。 ケータイ小説が花盛りで、大学ではレポートをケータイで作成する例もあるという。ええ!
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