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ブックマーク / font-da.hatenablog.jp (3)

  • パゾリーニ「豚小屋」(舞台芸術センター主催) - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    今日、パゾリーニ「豚小屋」の14時の回の公演を観てきた。 京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター主催 P.P.Pasolini’s PORCILE『豚小屋』 2011年6月4日(土)14時開演*/18時開演 *14時開演の部、終演後にトークを予定しております。 会場:京都芸術劇場 春秋座 舞台上(京都造形芸術大学内) 作:ピエル・パオロ・.パゾリーニ / 翻訳:キアラ・ボッタ 大崎さやの 構成・演出:川村毅 衣裳・美粧:宇野亜喜良 出演:手塚とおる、伊藤キム 河合杏南、笠木誠、福士惠二、大沼百合子、伊澤勉、柊アリス、中村崇 一般発売は2011年4月6日(水)からです!! (詳細は劇場ホームページでも近日アップいたします!要チェック!) (http://www.kyoto-art.ac.jp/blog-theater/category/2-performance/0604pigsty/) 演

    パゾリーニ「豚小屋」(舞台芸術センター主催) - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
  • ポルノを語るのは誰か - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    「男と女にとって、ポルノは別のものとして存在している」 私はそう思っているが、言いよどむ。このときの「男/女」を分けた境界線はどこか。すべての「男たち」「女たち」の経験や思考をひとまとめにしていいのか。はっきりしていることの一つは、ポルノを語るとき、私は自分が女であるという意識から逃れたことがない、ということだ。 世の中に溢れるポルノのほとんどは、男性向けに作られている。女はバイブ一も安心して買うことができない*1。この圧倒的非対称の中、東京都条例で規制の標的になったのはBLと少女向けの性描写があるコミックである。子どもにポルノを見せていいのかどうか、という議論をするときに、まず問題になるのが「少女たちの性行動」であったこと。この状況の中で、私は「女としての私」の意識を立ち上げる。世の中で認められるポルノが、成人ヘテロ男の、すなわち(行政にとって)健全な性的欲望を満たす性描写だけだという

    ポルノを語るのは誰か - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
  • 姥捨て山の尾根を歩く - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    ある主婦が私に囁いた。 「私、ボケたおばあちゃんを施設に入れてあげたかったの。」 在宅介護で、看取った女性は私に、近所の目を避けるように小声で言った。 私自身は、姥捨山問題とは、端的に「嘘つき・欺瞞」の問題だと考えている。すなわち、「出来るのに、しない」ということを、「出来ない」と言い放ってしまうことに問題があるのでは、と考えている。私が苦しむがいやだから他人を見捨てるのだと、言えばいいのではないか。もしくは、私はそう言わせたい。「いやだから、しない」ということを、「出来ない」と言い放っておけばとりあえずは「許される」、ここに姥捨山問題の萌芽があるような気がしている。「当は、出来るでしょう?」という声を封殺してしまうこと、ここにもまた姥捨山問題が論及する暴力が潜んでいるのではないだろうか。 x0000000000「姥捨て山問題をめぐって」『G★RDIAS』(http://d.hatena

    姥捨て山の尾根を歩く - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
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