タグ

ブックマーク / nessko.hatenadiary.jp (5)

  • 『前衛』2011年5月号 - 一人でお茶を

    http://www.jcp.or.jp/publish/teiki-zassi/zenei/zenei.html 特集は東日大震災。高橋千鶴子「被災者の実情・要求 いま政治がなすべきこと」がトップ。続いてフォトジャーナリスト・森住卓の双葉町レポート。 柳町秀一「東日大震災下の福島原発災害」は、今回の原発事故と、ここにいたるまでの日の原発行政を取り上げている。これを読んでいると、電力会社や国は「安全神話」というのを一般人向けの広報戦略としただけではすまず、自分たちも半ば気で信じていたのではないかと疑いたくなる。事故の危険を心配する識者からの事故対策に関する提言は続いていたが、電力会社も国もまじめに受け止める気がなかったとしか見えない。 柳町によれば「日は、苛酷事故を国の既成対象から外し、国としての苛酷事故対策も緊急時計画ももっていない。菅直人首相は日の原発行政の現実を自覚してい

    『前衛』2011年5月号 - 一人でお茶を
  • 田中秀征「ミーハーの好き嫌いっていうのはうんと当たる」 - 一人でお茶を

    SIGHT vol.17 2003年秋号より、「投票する政党がない!――さまよえる政党政治難民たち」という特集での田中秀征インタビューで、大勢の無党派層が小泉支持に流れて、市民運動出身で来なら無党派層の一般人の支持をもっと集めていいはずの菅直人の人気がいまひとつであることについての田中秀征の発言。 「とにかく、個人人気が上がらないということを、彼自身が検証する必要あるよね。これはきちっとね。勝つためには考え直さないと。特に婦人層からの人気がないということ。婦人層の直感というのは非常に物事の質に肉迫していくようなものだからね。一般の人たちはものすごく正確に見るんですよ、物事の質を。インテリはダメですよ。そういうものが見えなくなってきてる。やっぱり主婦の人たちっていうのはテレビ政治家が出るでしょ?菅直人とか亀井(静香)さんとか。それを隣りのオヤジとか前の家のオヤジと比べるの」 ―― は

    田中秀征「ミーハーの好き嫌いっていうのはうんと当たる」 - 一人でお茶を
  • イラン有力紙が対日非難 - 一人でお茶を

    四国新聞2007年2月18日より引用 イラン有力紙が異例の対日非難 制裁措置閣議了解で 【テヘラン17日共同】17日付のイランの有力紙ケイハンは「われわれは花束を贈ったのに、日人は弾丸で返した」との見出しで、日政府がイラン制裁措置を閣議了解し、米欧に同調したことを厳しく批判した。革命前からの友好国で最大の輸出相手国の日をイランのメディアがあからさまに非難するのは極めて異例。同紙は、日企業はイランの約七千万人の市場で圧倒的なシェアを持っていると指摘。こうした中で「日政府による違法な措置が行われた」と伝えた。 『SIGHT』でペシャワール会の中村哲医師が、アフガン攻撃、イラク攻撃をする米に日が追従した後、現地での日に対する見方が変わって、これまでなら日人であるがために仕事がうまくいったり、命拾いしたりすることもあったのが、いまや日人であるがために襲撃の対象になりつつあると話し

    イラン有力紙が対日非難 - 一人でお茶を
  • NHK1987年 - 一人でお茶を

    週刊朝日2007年2月23日号「懐かしのスクープ劇場」の『「告発」NHK元社会部長が誌に寄せた遺書』は、まるで今のことかと思えてくるようなものだった。(http://opendoors.asahi.com/data/detail/7909.shtml) 1987年5月1日、元NHK社会部長、神戸四郎氏が投身自殺した。週刊朝日編集部に届いた遺書は「NHKの前身である社団法人日放送協会は国民の受信料によって支えられながら国の出先機関と化し、国民を無謀な戦争へかり立てて行った。NHKはその誤りを二度と繰り返してはならない」と結ばれていたという。 1987年は赤報隊による朝日新聞社へのテロが起こった年だが(参照)、中曽根首相の下、自民党が衆参院とも圧倒的多数を占め、「国家秘密法」が制定へ向けて準備されていた。言論・報道の自由を脅かすものだとしてジャーナリズム界はこれに反発、法案は後に廃案になる

    NHK1987年 - 一人でお茶を
    microtesto
    microtesto 2007/02/16
    わかんなくても何とかなるっていう危機感のなさとか、敢えてわからないというポジションに居続けることが得策だと考えている事が問題なんじゃないかと思われるのですが如何。
  • おだやかなナチ日和 - 一人でお茶を

    戦争中の話など読むと、物資不足が深刻になり空襲がはげしくなるまでは、一般市民は戦争をさして意識することもなく、今と変わらないような生活をしていたのがうかがえる。 これは、ナチに支配されていたドイツも同様だ。ナチというと、その様式美ゆえに映画の中では完成された敵役にされることが多く、またドキュメンタリーでも、当時の光景を伝える際に用いられるフィルムがナチが宣伝用に制作したものだったりするので、当時国民規模でカルト化していたかのような極端なイメージを持たれやすいが、一般人のナチ支持は流動的で、さして政治には関心を持たない大勢の人たちは、ナチ時代も上のすることにぶつくさ言ったりしながら日々の用事をこなしていくという、今の私たちと同じような日常を送っていた。 たしかに一部には、ナチによって弾圧された人々がいた。「国民革命」と称してユダヤ系や共産主義者に代表される左翼系をテロで脅かし、彼らとそ

    おだやかなナチ日和 - 一人でお茶を
  • 1