続きを、少し。 ……しかし、「姥捨山問題」という言葉から思い浮かべるイメージがそれぞれ違うので、難しいですね。 以下、単なるメモ。とりあえず頭を整理。 「決定」の水準だけで考える。「条件」(「行動障害の子どもを入所施設に入れるか」「障害のある子どもを産むか」「200円でおやつを買うかアフガンに寄付するか」等)はカッコに入れる。 そもそも「できる」(1)と「できない」(2)は、「できる/できない」という二項対立の関係にない。 「できる」(1)とは、「する」(2・1)か「しない」(2・2)か、その人が自己決定できる状態にあることを、前提におく。 つまり選択肢(2・1、2・2)がその人には与えられている。 これに対し、「できない」状態には、それらの選択肢自体が与えられていない。前エントリーのコメント欄でこう書いた。《例えば本当に苦しんで行動障害のある子を入所施設に入れる決断をした母親がいるとしま