『ツォツィ』という映画を見ていた。今年の春頃、日本でかかっていた映画で、DVDになっていた。南アフリカとイギリスの資本で撮った映画である。アフリカの事柄についてアフリカ人の立場から撮られる映画というのは、まだ余りないのだと思う。「ダーウィンの悪夢」(フーベルト・サウザー監督)のように、それは西洋の立場から西洋的視点をアフリカに持ち込むことによって成立している映画はあるにしても*1いまだ、アフリカ人の立場から自らを語るという映画は少ない。「ツォツィ」の場合、ギャビン・フッドという南ア人監督の手による映画だが、資本はイギリスで撮られているようだ。つまり西洋的に伝統的な枠組、近代的映画の構造というのを、南アフリカ的な現実の上に重ね合わせることによって、一つの現実が映画というフィルターを通じることによって、他の国の人々にまで伝わることになる。 あくまでも近代映画、近代ドラマ、そして近代文学的な枠組