ラットをほとんど眠らせないようにして5日間活動させると、脳内にあってホルモン分泌にかかわる下垂体の細胞の一部が死んでしまうことを、大阪市立大の木山博資教授らが16日までに実験で確かめた。 強いストレスが過剰なホルモン分泌を呼び、細胞が働きすぎて死んでしまうらしい。木山教授は「人間にも同じホルモン分泌細胞がある」と指摘。「徹夜勤務が続くなど過労が原因で起きる病気に関係しているかもしれない」としている。 木山教授らは、ラットが水を嫌うのに着目。浅い水を張った箱に入れて興奮状態にし、ほとんど眠れない状態で5日間放置した。すると脳下垂体の中央付近で特定のホルモンを分泌する組織のうち数%が細胞死を起こしていた。 ただラットを2、3日休ませると、分泌細胞は元通り近くに再生。木山教授は「早めに休み、疲れをため込まないことが肝心だ」と話している。
ネットを使ったコミュニケーションを快適に行なうためには、情報の受け手と送り手の双方がリテラシーを備えている必要がある。両方にそれがない場合はもちろん、片方だけにリテラシーがある場合にも悲劇は起こる。 例えばあなたにはこんな覚えがないだろうか? 自分のブログやSBM(ソーシャルブックマーク)であなたはAさんの記事を取り上げ、反対意見を書いた。あなたは単に異論を述べただけで、悪意はない。ところが当のAさんは「そんな解釈のしかたもあるのか?」と思えるほどあなたの意見を曲解し、ヒステリックな反応が返ってきた……。 理由はケースバイケースだが、ネットを使ったコミュニケーションでは、他人に否定的な言及をされた側が過剰なマイナス反応をすることがしょっちゅうある。 もちろんAさんが、単に反対意見をぶつけられるのがとにかくイヤな人なのだとしたら話は別だ。情報の送り手の側がどんな書き方をし、どう表現しようがA
同感です。文学部出身者としてつくづく思うに、読解力は必要以上にあるが、論理的思考ができない。人の言いたいことが読み取れても、思考はあふれ出しても、組み立てるのに苦労する。きっと数学が得意だと、最初からきちんと主張があって、それに至った理由が筋道だっていて、わざわざ組み立てなくても容易に発表できるんだろうなー。 あ、でもねー、理系に比べて文系が秀でているところがもう一つあるよ。感情を表現すること。言葉でも絵でも態度でも。この点では理系の人はちょっと損してると思うことしばし。不器用というか、素直じゃないというか。論理的思考が身についていると、感情と表現の間に不純物が入るのかな。
僕は物思うところあって、理工学部から文系学部に転部した。 周りにいるのは、いわゆる私文専願な人ばかり、つまり数学をろくにやったことのない人ばかりだ。 彼らに本当に思うのは、論理的思考力がないということ。 彼らと議論をしても、論理的なつながりがまったくない。文章を見てもめちゃくちゃだったりする。 数学を修めてきて、知らず知らずのうちに論理的な思考力が身についていたんだなと感じた。 もちろん、彼らは彼らで、文章を読解する力なんかは優れていて、僕はまだ追いつけそうにないんだけど。 なぜ特に数学をやるのかって点は、 古来からみんな通ってきた道だから、他の道に比べてノウハウの蓄積が圧倒的って点を指摘すればいいんでないかな。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く