言論人よ、群衆と真剣に向き合え 2007年7月10日[中央公論]より ネットがない頃と現在の「知的生産」のあり方の違いについて考えるために久しぶりに『知的生産の技術』(梅棹忠夫著、岩波新書、一九六九年)を読み、その先見性に改めて感動した。 梅棹は「知的生産」を「頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら−−情報−−を、ひとにわかるかたちで提出すること」と定義した。「人間の知的活動を、教養としてでなく、積極的な社会参加のしかた」ととらえる時代なのだという問題意識から、「知的生産」を「現代をいきる人間すべての問題」だと説いた。 言論人がその「知的生産」の成果を「ひとにわかるかたちで提出」する場として、本誌をはじめとする論壇誌の意味があった。そして成果の提出には二つの効果がある。ひとつは生み出された新しい知が政治や行政の現場に届き、活かされ、社会に還元されることだ。そしてもうひとつは、莫大な数の