cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日
星野源さんがニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』の中で『映画ドラえもん のび太の宝島』の主題歌『ドラえもん』について話していました。 明日あさ4:55?放送のテレビ朝日「グッド!モーニング」にて、星野源が手がけた主題歌「ドラえもん」の一部が聴ける『映画ドラえもん のび太の宝島』の90秒の予告映像がOAになります! #星野源ANN でのフルOAに先駆けての放送、ぜひチェックして下さい! #星野源のドラえもん https://t.co/uaD3hGAHvB pic.twitter.com/XFZxobP3BB — 星野源 official (@gen_senden) 2018年1月15日 (星野源)では、ここでいよいよ2月28日(水)リリース、私星野源の11枚目のシングル『ドラえもん』。いいですねー。いい響きですねー。『ドラえもん』、この曲をお聞きいただきたいと思います。メール、たくさ
歌詞サイトのGeniusが、「Hip Hop's Love For 'Dragon Ball'(ヒップホップのドラゴンボールへの愛)」という特集動画を公開した。「ドラゴンボール」シリーズは日本人にとって馴染み深いアニメであるが、「ドラゴンボールZ」はアメリカでも90年代後半にCartoon Networkで放送されていた。これを観て育った当時の子どもたちが現在ラッパーとなり「Goku(悟空)」や「Super Saiyan(スーパーサイヤ人)」といった単語をリリックの中で引用しているという。 Geniusは下のビデオで、「ドラゴンボール」がどのようにヒップホップの歌詞に取り入れられているのかについて紹介している。動画では、Frank Oceanの “Pink Matter” featuring André 3000 からSik Worldの“Dragon Ball Z Rap” まで様々な曲
DJ YANATAKEさんと音楽レーベルorigami PRODUCTIONSの対馬芳昭さんが『TOKYO FM WORLD』の中で全世界的に隆盛を極めるヒップホップとトラップについてトーク。そんな流れに取り残され、「音楽鎖国」状態の日本の音楽シーンなどについて話していました。 【 #tokyofm 】今夜の #tfmworld は 『世界の音楽シーンのキーワードとなっている#Trap #トラップ が日本で火がつかないのは何故か?』@yanatake さんと@origami_PROD @Yoshi_origami さんを迎えて 緊急ディスカッションをお届けします!!!全 #Music Lover必聴な神回♪ → https://t.co/bNINuXOG5c pic.twitter.com/J73aVoqElK — TOKYO FM WORLD (@TOKYOFMworld) 2018年1
先日、本ブログでも紹介した「マンガ批評/研究の転換期―1995年、『マンガの読み方』の成立過程とその時代」に、竹熊とともに参加してきました。 私(小形)も竹熊も、この『マンガの読み方』(以下、本書)を作った経験が、20年後の電脳マヴォ合同会社の創立につながっていることを考えると、こうしたシンポジウムが開催されることに多少の感慨を禁じ得ません。ここでは、当日の報告やその補足をしつつ、本書について振り返ってみたいと思います。 『マンガの読み方』制作の構図 当日は、まず野田謙介さんと三輪健太朗さんから、「マンガの読み方と「マンガ表現論」の成立過程」と題する報告がありました。これは現役のマンガ表現論の研究者であるお二人が夏目房之介さんが保存していた資料に依拠しつつ、本書がどのように成立していったのかを解析したものです。 これに続き「『マンガの読み方』の舞台裏」と題して、私と竹熊に加え、当時宝島社の
11月25日に学習院大学で開催されたシンポジウム「マンガ研究フォーラム マンガ批評/研究の転換期 『マンガの読み方』の成立過程とその時代」について、自分なりに感想をまとめておこうと思う。 文中敬称は略す。また、メモと記憶に基づくものなので、個々の発言について正確さを欠く部分があるかもしれず、その点についてはご寛恕いただきたい。 このシンポジウムは1990年代中頃にあいついで出版された「マンガ表現論」関連書のなかでもとりわけ重要な一冊として評価される(そして現在では入手困難な)『マンガの読み方』をめぐるもので、当時の制作・執筆陣が登壇した。名前を列挙すると小形克宏・近藤隆史・斎藤宣彦・竹熊健太郎・夏目房之介(50音順)となる。小形、近藤の両氏は編集者、竹熊も編集業こそが本職と言えるし、斎藤もこの本をきっかけにその道を歩むことになるわけで、こうしてみると編集者が多い。おそらく、そのことがこの本
この数年、大きな問題となった「AV出演強要」。AV業界改革推進有識者委員会に参加した桐蔭横浜大学教授・副学長の河合幹雄さんが第一回AV業界アンケート調査も紹介しながら、問題点と解決への取り組みを語る。 前編はこちら:「AV出演強要」何が問題だったのか? http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54218 AV業界アンケートの調査結果 AV女優が主体でプロダクションを雇う形で考えていくと、これまでの慣習的なやり方は大幅に変わらざるを得ない。対応に苦労したのは以下に述べる2点であった。 第一は、業界での言葉では「総ギャラ提示」の問題である。 仕組みを説明しながら解説したい。メーカーが映像作品を制作するので、監督、撮影助手、男優、撮影場所等を用意し、プロダクションは女優を連れてくるのが仕事である。 メーカーは業界健全化の意識は高いのだが、最もデリケートな女優の扱い
謎に包まれていたAV業界 2016年3月3日、NGOのヒューマンライツナウ(以下HRN)が、AV業界で女優に対する「出演強要」が起きていることをレポートし法規制による対応を国に求めた。 内閣府の男女共同参画会議が動き、主要新聞、週刊誌等が挙って報道した。警察も動き、2016年に労働者派遣法違反でプロダクション代表を逮捕、有罪になっている。 その後、不起訴にはなっているが公然わいせつ罪容疑も含めて、ガサ入れが続き、2017年1月には、裏ビデオ制作でカリビアンコム関係の撮影会社社長、出演女優、男優が逮捕された。 AV業界には、業界団体はなく、表現自主規制のための審査団体を核に、幾つかの集団があるだけである。監督官庁もなく、しいて言えば警察庁なのかという状態である。 したがって、立法がされるさいには、業界団体から意見聴取されるのが、現在日本の通常の手続きだが、男女共同参画会議から業界側を代弁する
見ようと思って見落としていた映画は何かなと候補を見ていて、『モアナと伝説の海』(参照)が気になった。これもなんとなく機会を逸して見ていなかったのだった。『アナ雪』のほうはかれこれ4、5回は見たというのに。 『モアナ』はどうだったか。見終えて何より、ああ、これは非の打ち所がない作品だなと思った。ポリネシア世界をよく研究している。ハワイのダンスの動きやメンタリティもよく考慮されている。なにより美しい映画だった。水のきらめきや南方の植物のリアリティなど驚嘆すべき仕上がりである。主人公のモアナの肉体表現、肌の質感などもすばらしく、自然なエロスが十分に表現されていた。笑いもよい。マウイの滑稽さもよいが、ヴィランズとしてタマトアの話芸と歌は最高だった。肝心のプロットも悪くない。ひねりは効いているし、メッセージ性はある。 が、奇妙なものだ、これだけ完成度が高い作品だとそれ自体が、微妙に欠点のようにも思え
2018.01.26 14:15 ドラマ『女子的生活』が描く「性別」というファンタジー 男女のあわいを巧みに体現する志尊淳 1月26日に最終回をむかえるドラマ『女子的生活』(NHK)はトランスジェンダー女性である主人公・みき(志尊淳)の、アパレル会社勤務の生活を描いている。周りには、みきの部屋にとつぜん転がり込んでくる高校時代の同級生だった後藤(町田啓太)、会社の同僚のかおり(玉井詩織)と仲村(玄里)、みきと恋人関係になるゆい(小芝風花)らがいる。そう書くとかんたんなのだけど、とても奥深い。その要が志尊淳の見事な演技だ。 トランスジェンダーという存在は、その当事者の生きる社会において、生物学的性別と紐づけられた「男性/女性とはこう」という価値観にもとづく服装、振る舞いに違和感を持ったり、移行するもの、と言える。『女子的生活』のみきは、男性として生まれたけれど(実際は、子どもの出生時にわたし
日本のヒップホップ/ラップはストリートとクラブから生まれてきた。クラブは1980年代まではディスコと呼ばれていた。 日本で最初にヒップホップを専門にプレイするクラブ(ディスコ)がオープンしたのは1985年で、その渋谷「HIPHOP」には、東京のディスコの流れから、既にプレイに定評のあるDJたち、マイケル、モンチ、ユタカ、ヒロ、マーヴィン、マツなどが集まっていた。彼らのなかの数名はM.I.D.という名の下でアイドル向けのリミックスを含むプロデュースを行ったが、なによりもFM横浜開局から、平日の深夜の『MARUI 24 CLUB』という番組でミックス(ヒップホップだけではないが)を流していた影響は大きい。 日本のヒップホップについて、藤原ヒロシ、高木完、中西俊夫、工藤昌之、屋敷豪太によって設立された、日本初のクラブミュージックレーベル<メジャーフォース>と原宿の路上でのブレイカーだけにその起源
見よう見ようとしつつ逸していた映画『この世界の片隅に』(参照)だが、アマゾンから見ろという推しがあって、見た。評判どおりの傑作だった。感動もした。が、違和感というのでもない微妙に、もにょーんという感じが残った。不満というのではない。これはなんなのだろう。受容の不協和音というものでもなく、また深い理解を促すというものでもない。ある意味で奇妙な体験でもあったので、そのあとしばらく考え込み、それからその違和感の感触を静かに無意識に沈ませて時を過ごした。そしてなんとなく浮かんできたものがあるので、書いておきたい。 まず前提として、この映画作品が優れたものであることは微動だにしないだろうというのは理解できる。能年玲奈あらためのんの声優も最適だったし、この声なくしてすずは描けないようにも思った(正確にいうとそれ以外の解釈があってもよいだろうとも思ったが)。そしてこの優れたということの同義であるが、どの
POPなポイントを3行で ユースに大人気のストリートブランド・BLACK BRAIN Clothing 「ネット発のストリート」ってどういう意味? 人はそれぞれ3つの位相で「空間」を持っている 今、ストリートとは何なのか? これまで筆者が考えていたストリートは、大まかに言うと路上の現場だと思ってきた。それは1970年代のニューヨーク・ブロンクスでゲットーな暮らしを送っていた人たちが、生き残る術として、無法地帯の路上で大麻やドラッグの売買を生業にしていたような、そんな雰囲気だ。 そんな文化をラッパーたちが歌ってきたことにより「ストリート」という概念は広まってきたし、すでに「ストリート感」や「ストリートファッション」という言葉は日本でも一般化している。 しかし近年、若い世代たちは現場や路上ではなくYouTubeやInstagramをはじめとするSNSを介して音楽やファッションなどの情報を入手・
「国民的ヒット曲」がなかった2017年の日本の音楽シーン。2018年は国内外で何が起こるのか? 『小沢健二の帰還』著者の宇野維正さんと『ヒットの崩壊』著者の柴那典さんが音楽、映画、テレビ、芸能界、東京五輪……「2018年の展望」を縦横に語り尽くす。 2017年、日本で起きていたこと 柴 今回は2018年の音楽やエンタテインメントがどうなっていくかを語り合おうと思うんですが、まず宇野さんは昨年をどう振り返っていますか? 宇野 海外と日本では状況が全く違うよね。どっちから話をしようか。 柴 まず日本の音楽シーンの話をしましょうか。以前にもコラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53891)に書きましたが、2016年にリリースされた星野源の「恋」が2017年も最大のヒット曲になりました。 宇野 そのことが象徴的だけれど、2016年って異例なほど日本で多くの
「(男女共に『らしくあれ』と)『決められちゃう』のは苦しいじゃないですか。ある程度決めないと(社会を構成するのが)難しいって部分があるから、決められちゃう部分もあると思うけど、音楽の上だったら絶対にそれから自由だ、っていうことが当たり前だと思うんですよね。だから、今後もこのメッセージは言っていきたい」 バンドのドラマーとして音楽シーンに登場し、解散後の2015年に『MC BATTLE THE罵倒』への参戦をキッカケにラッパーとしての活動を本格化。16年には「TOKYO BANANA」「Back to the Jungle」の2枚の作品をリリースし、17年1月にはフィメールMCによるバトル『CINDERELLA MC BATTLE』で優勝。そして、数々のメディアにも登場し、約2年強という短期間で一気にシーンの注目株になったあっこゴリラ。その彼女が新作「GREEN QUEEN」をリリースした。
『職業としての地下アイドル』(参照)という書名がマックス・ウェーバーの主著のもじりであることはさておき、「地下アイドル」とは何か、という関心が、それを知らない人にとってこの書名でまず関心をひくところだろう。「そんなことも知らないの?」という人でなければ、「地下出版」「地下教会」というように「当局から弾圧される文化活動としてのアイドル」を連想するかもしれない。が、そうではない。 本書冒頭に定義は書かれているが、いわゆるメディアに出てくる芸能人アイドルが仮想の対比としての「地上アイドル」であり、そうしたメディア的な世界から離れ、小規模のライブ活動をしているのが「地下アイドル」である。メジャー・デビューを夢見ているアイドル活動と言ってもいいかもしれないし、実際本書を読むとそういう過程として「地下アイドル」が位置づけられ意識されている事例も多いこともわかる。 他方、「地下アイドル」について知ってい
1988.08/筑摩書房 1991.12/ちくま文庫 <電子書籍> 無 【評】うなぎ∈(゚◎゚)∋ ●中島梓の真骨頂 テレビ放映を一度も見ることなく特撮番組『超新星フラッシュマン』にハマった息子の姿を契機に、人間と物語の在り方について論じたエッセイとも評論ともつかない本。 この本の評を書くにあたって大変に困っている。 本書はなんというか、とにかくフリーダムなのだ。エッセイなのか、評論なのか、それすらもわからない。類似した本を見たこともない。 四歳の息子が特撮番組『超新星フラッシュマン』にハマったことをきっかけに、大人の視線からはかくもちゃちに見えるものをなぜ子供が求めたのか、それを敷衍して思索し、人間には物語が必要だからであるという論を展開しているというのが、本書の概要といえば概要なのだが、それだけを語るには、なんというか、あまりにも論に寄り道が多く、そして特撮に対する言葉が過ぎている。
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