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労働と教育に関するodd991のブックマーク (8)

  • L型大学のモデル - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    ブログが先週木曜日に取り上げた実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議の冨山和彦さんの資料が、ネット上で大騒ぎを引き起こしているようで、すでにそのエントリへのツイート数が1000件を超えていますが、 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-e593.html 冨山さんのプレゼンの変なところが増幅されて伝わっていることもあってか、批判的な意見が多数を占めて、池田信夫氏のような逆張り論者が褒めちぎるというあまりよろしくない状況に陥っているようです。 冨山さん自身、職業教育論におけるこの問題の経緯をあまりわからないまま、自分の経験と世間的常識論で論じているところがかなりあるようなので、そこをきちんと指摘していくことは必要なのですが、反応の大部分がその大学教育を受ける人々の立場に立ったものではほとんど

    L型大学のモデル - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • 金子良事さんの理解と誤解 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    先日のわたしのエントリに金子良事さんから再びコメントがされました。 http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-178.html(大卒の就職が厳しいのは景気と労働市場の需給で説明できるんじゃないか) 始めに申し上げておくと、今までも何回か金子さんから指摘されたような気がしますが、 >私の理解では濱口先生は現実がそんなに劇的に変わらないことを織り込み済みで、それでも多少ベクトルを変えるために極端なことを主張する必要があるという極めてブラグマティックな立場なのだと思っています。 というのは、ある意味でその通りです。わたしが田先生のレリバンス論を繰り返し「活用」するのも、社会全体の方向付けと言うよりも、ある部分に関心を引きつけたいからであり、そここそ、まさに言葉の正確な意味での「マージナル」と呼ばれるような部分であるからです。 実をいうと、日の大

    金子良事さんの理解と誤解 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • 「僕達の職業訓練」とは何か――佐々木輝雄講義録より - もどきの部屋 education, sociology, history

    むかし,いまから15年ほど前,その被差別部落は日でも有数の大規模部落であったが,1990年代半ばのその時点で私がそこに行ったとき,その地区で現役の高校生は1人しかいなかった。中卒で働くか,高校に入学したとしても1学期のうちに退学するのが通例だったからだ。 「中卒で働く」とか「高校を中退」という事実に「貧困」がかかわっている,というのは正しいが,しかし,不十分である。ほぼ全員の教師も含めた地区外の人間からもたらされるさまざまな有形無形の差別,それを避けたいと思う心性――当然の心性――が複合的に折り重なってかれらを下層へと押し留める。規模が大きいだけに,そのような不愉快な「外の世界」との接触をもたなくとも,地区内に留まっても生活が――最低限の生活が――成立するがゆえの低進学状況であったかもしれない。 私が「職業訓練校」――高等学校,ではなく――に通っている/いた,という人間と直接の接触,面識

    「僕達の職業訓練」とは何か――佐々木輝雄講義録より - もどきの部屋 education, sociology, history
  • 「卒後3年新卒扱い」というおまけよりも本論を読んでほしい - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    先日(3月29日)、朝日が「卒業後3年は新卒扱いに 大学生の就職、学術会議提案」という、報告書のごく一部だけ取り上げた記事を書いたのを受けて、 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-a8ee.html 昨日の朝日の社説が http://www.asahi.com/paper/editorial20100403.html#Edit1 >さらに進めるべきは、大企業が実施してきた新卒一括採用という方式の見直しである。日学術会議の分科会が、大学生を卒業後3年間は新卒と同様に扱うよう提案した。だが、新卒以外の若者が「既卒」として不利に扱われる現状を抜的に改善する道を考える時ではあるまいか。 などと、いかにもこの検討会が「卒後3年新卒扱い」という枝葉末節的対策だけを主張しているようなことを書いていますが、そればっかり強調してい

    「卒後3年新卒扱い」というおまけよりも本論を読んでほしい - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
    odd991
    odd991 2010/04/04
    ソースを読まずに社説を書くなんて、そんなブログレベルのことをしてはいけません。
  • 教師論の矛盾 - 今日行く審議会

    ISBN:4130513001:detail の佐藤学「教師文化の構造‐教育実践研究の立場から」の冒頭で佐藤氏は次のように述べている。 一般に語られる教師文化は矛盾に満ちている。人々は、教師の権威的体質を批判しながら、厳格な教育を要求し、教師の偽善的ふるまいを批判しながら、高潔な倫理と私心のない献身性を讃えている。また、教師の学問的意識や教養の不足を嘆く声の一方で、学識よりも人格だという俗論が後を絶たず、教師の保守意識を嘆く声の一方で、政治意識の過剰に対する警告が「中立性」を盾として繰り返される。さらに、教師の同族意識が批判される一方で、職場における連帯の欠如が問題にされ、専門的な知識や技術の不足を嘆く声の一方で、教師は専門家でなく一般人であるべきだという意見が述べられる。これら矛盾に満ちて語られる教師文化の実態と規範をどう理解したらいいのだろうか。 佐藤氏が指摘しているように、よく語られ

    教師論の矛盾 - 今日行く審議会
  • 日教組というスケープゴート - 今日行く審議会

    日教組批判があちこちで盛んに行われている。例えば、こんなのやこんなの。 日教組がスケープゴートになることで、教育の問題が解決し、素晴らしい未来が訪れるというのなら、日教組は喜んでスケープゴートになればいい。 最近、政治家やマスコミ、識者は日教組批判を強めている。彼らにはなぜ日教組というスケープゴートが必要なのか。そこに目を向けるべきだ。 教育法の改正にしても、いじめの問題、未履修の問題、やらせの問題。法改正の理由や、要因が把握できていて、それに対してきちんとした対策がたてられるならスケープゴートなんて必要ない。また、国民の支持を得られるという自信があればスケープゴートは必要ない。 日教組というスケープゴートが必要なのは、自分たちの無為無策を隠蔽し、無為無策にいらだつ国民の不満をそらすためだ。

    日教組というスケープゴート - 今日行く審議会
  • 各種の仕事に要求される知識や技術を身につけることの困難性の軽視 - la_causette

  • 強制的にボランティア(語義矛盾) - debyu-boのブログ

    たまたま日テレの「太田総理…秘書田中。」をみた。泉ピン子が提案した(という設定になっている)マニフェストは「若者は老人ホームでボランティアすることを義務化する」というもの。番組の収録がいつだったかは分からないが、なんだかタイムリーといえばタイムリーなので、一番組のネタとはいえ考えてみる。 途中で風呂に入ったりして後の方はあんまりみてないんだけど、この提案に賛成する意見として主に二種類あったと思う。一つはピン子が主張する「最近の若者はマナーや道徳がなってないから、ボランティアで高齢者と接することで何かを学ぶべきだ」というようなもの、もう一つは松尾貴史なんかが言ってた「これからは高齢化で介護の担い手が必要になるから」というようなもの(うろ覚えなので多少間違ってるかもしれません)。 前者については反対派からも「子どもが老人ホームを訪問してとても嬉しそうだったし、高齢者にもいい影響があるようなので

    強制的にボランティア(語義矛盾) - debyu-boのブログ
    odd991
    odd991 2006/09/16
    職業の専門性 高齢者に接すれば差別(否定的感情)はなくなるはずという幻想
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