前回「神戸移民収容所(1)」の続きです。 1961年ころのことでした。 季節はよく覚えていません。 私の通っていた小学校の校庭に、ふだん見かけない子どもたちが数人遊びにきていました。 校庭の隅のほうにある遊具で遊んでいました。 クラスの誰かが「移民する子たちや」と、教えてくれました。ひょっとしたら「山本通の施設にいる子たちや」だったかも知れません。 かれらは山本通にある「移民斡旋所」に家族で来ていた子どもたちだったのです。 「いみん」という言葉を知ったのは、そのときが最初だったと思います。 ただそれがどういうことかまでは、よくわかっていませんでしたが。 移民斡旋所では、移民船が出航する前の約10日間、語学や現地事情などの研修があり、また各種の予防接種を何度も受けたそうです。 家族ぐるみで移民する人たちが中心でしたから、移民斡旋所には子どもたちも来ていました。 前回紹介した日野さんもそうした