すい @SO_far_69 ティアキンの祠の名前が京都地名のアナグラムらしいと聞いたので、夜中にSwitchと地図を広げながらちまちま付箋を貼っていったところ、ある程度の祠の位置関係は京都市内にうまいこと収まったので興奮がとまりませんでした。ヤバい♡♡ 今夜も引き続き調べていきます pic.twitter.com/6dSWCRpogJ
小説家で2009年に早逝した伊藤計劃氏は、はてなダイアリーでブログを書いていました。当然ながらまだはてなブログが出来る前のことです。 なんかその記事のアーカイブ的なサイトが出来たようです。 ■http://keikaku.itoh-archive.com/ ※22017/10/13現在消滅しています ■参考:特設サイト「伊藤計劃記録 はてな版」オープン! はてなダイアリーの原版はこれからも残されるということなので。 さて、2007~8年当時のはてなダイアリーといえば私も一番更新していた時期で、当時はてな記法でセコセコと書いておりました。当時といえばブログブーム真っ最中かやや収まってきた頃で、世間でその代表的なものと広報されていたのはアメブロ、そしてそこの芸能人ブログ。 しかしこのはてなダイアリーはそれとは逆に有名人が多いというわけではなく(ネットでの有名人は除く)、伊藤計劃氏でさえはじめた
うつと診断されて2年、ふと死にたくなり(しかもちょっと楽しくなってしまい)、急に飛行機に乗った。金はなかったので全部カードで借金して、京都に向かった。 なぜ京都かというと、西尾維新の戯言シリーズが好きで、オタクとして行ってみたかったからだ。 んで、せっかくの最後の宿だし、と思って小さい旅館を予約した。 携帯電話の電波とかで場所が割れるのは嫌だったので、アパートに携帯を置いて、遺書を用意して鍵を開けたまま出発した。「俺を探す人が鍵を壊す羽目になったら面倒だろうから」というサイコパス診断の答えかよみたいな理由だった。 季節は夏だったので、京都に着いたときにちょっと後悔した。 あの盆地特有の蒸し暑さ。身体が汗でびしょびしょになるのが不快で仕方なかったが「まぁでもすぐ汗かかぬ死体となるし」と思って流れる汗をそのままにしていた。 向こうで自転車を買い、千本鳥居を観に行っては「七々見奈波が零崎人識と会
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く