神井 早馬 @Sohma_Kamui @A24org @Mr_kasukabian 回答どころか授業も英語です。但し当時は高等学校の段階で既に選抜されていたので東京帝大と京都帝大の理系、その他帝大の医学部以外はほぼ全入でした。この問題も今の京都大学ほど難しいものではないです(当時の高等学校生にとっては猶更) 2020-02-07 21:40:43
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原田 忠男 @harapion ミシェル・フーコー『セクシュアリテの歴史IV 肉の告白』新潮社が刊行された事もあって、新潮社の『波』1月号はフーコーの表紙で、石田英敬氏の「誰でも分かる、フーコー『性の歴史』」が掲載されている。 pic.twitter.com/SdCtrnScYe 2021-01-24 22:23:00 上山和樹 @ueyamakzk なるほど。この1ツイートをめぐって何を語れるのか、それぞれの研究者の言い分を聞いてみたいです。 上野千鶴子らが通りすがりにフーコーを話題にしてるのを、どう見てるのか。フーコーの権威が安っぽくアイデンティティ政治に利用されるのを、どう見てらっしゃるのか。 twitter.com/oubonnn/status… 2021-03-28 19:50:36 うーぼん @oubonnn フェミとかがアイデンティティ政治の都合に合わせてポモ理論を曲解、ハイ
フーコーの振り子の実験を知っていますか? 振り子を使って地球が自転していることを証明した有名な実験です。 この実験を行ったフーコーは、科学に関しては素人として扱われていましたが、それまで誰も思いつかなかった着想で地球の自転をはっきりと示したのです。 当時の背景などを踏まえて、なぜフーコーが大偉業を達成できたのか見ていきたいと思います。 フーコーの振り子の実験の概要 まずは、フーコーの振り子の実験とはどういうものか簡単に説明しておきましょう。 天井からワイヤーで真鍮の錘を垂らして振り子を作ります。 このときワイヤーは、自由に回転できるように天井につないでおきます。 そして、振り子を揺らします。 すると振り子が揺れる角度がゆっくりと変化していく、これがフーコーの振り子の実験です。 上の図は振り子を上からみたものですが、最初は実線の方向に揺れていた振り子が少しずつ向きを変えていく、これがフーコー
思想家として活躍し、世界中に大きな影響を及ぼしたミシェル・フーコー。 彼はある時期以降、人々の行動や考えを絡め取り、ある一定の方向に導こうとする「統治」というものから、どのようにして逃れればいいのか、どのようにして身を引きはがせばいいのかについて深く考えるようになった。 そのさいに一つのキーワードになるのが「ダンディズム」である。 『今を生きる思想 ミシェル・フーコー 権力の言いなりにならない生き方』を上梓した天理大学准教授の箱田徹氏が解説する(本記事は、同書の一部を編集したものです)。 「このようには統治されない技術」 16世紀とは、政治的な近代がはじまるとともに統治の問いがさまざまに噴出する時代であった。フーコーはこのときに統治をめぐっても、いまある統治とは別の統治のあり方を求める動きが生じることになると考えていた。 そして、2度目の来日直前に行った講演「批判とは何か」(1978年)以
英「ザ・サンデー・タイムズ」紙が、フランスの哲学者ミシェル・フーコーについて、「フーコーはチュニジアで少年たちを虐待していた」という記事を出しました。 フーコーは「小児性愛者」の「レイプ魔」だったというのです。 フーコーといえば20世紀を代表するポストモダン思想家で、哲学者で、自分がゲイであることをカミングアウトした最初期の知識人の一人でもあります。上の記事で紹介されているように、現代のWOKEイデオロギーの先駆者でもあります。 「1977年に13歳の子供とのセックスを合法化する請願書に署名したことで知られる」と書かれているように、まあ同性愛者で小児性愛者ということは知られていたといえば知られていたわけですが、今回タイムズで公開されたソーマン氏の証言はなかなかリアルであり、フーコーを神格化してきた左派知識人なんかはこれ、どうすんだろう的な興味も引きます。 告発者であるソーマン氏は、1969
このたび岩波新書の一冊として上梓した『ミシェル・フーコー 自己から脱け出すための哲学』は、20世紀フランスの哲学者ミシェル・フーコーの著作をこれから読み始めようとしている人々に向けられた入門のための書である。 実を言えば、フーコーの入門書は、すでに数多く存在している。そのなかで拙著がいかなる意義を持ちうるのかについては読者のご判断に委ねるしかないが、そもそもそこに今新たに一冊を加えることが可能になったのは、何より、日本におけるフーコーへの関心の高さゆえのことであろう。 実際、いわゆるフランス現代思想を代表する人物として、フーコーの主な著作や講義録のほとんどがすでに日本語に翻訳されているし、フーコーに関する研究、さらにはフーコーを使用した探究が、文学、哲学、社会学などといったさまざまな領域において展開されている。そして日本におけるそうしたフーコーへの注目度は、2018年の『性の歴史』第4巻『
以前にも記事に書きましたが、自分がパリでロマンチックな場所を挙げるとしたら、 3本の指に入れてしまいたいミュージアム、パリ工芸博物館。 過去記事です→、歯車好きの皆さまへ Musée des arts et métiers その敷地内にあるサンマルタンデシャン教会には、あの「フーコーの振り子」が 展示されています。前回は取り上げなかったので再び行ってまいりました。 フーコーは19世紀のフランス人物理学者で「地球の自転を初めて可視化」した 研究者です。 <おさらいで、それでも地球は回っている、の地動説(自転でなく)を唱えて キリスト教会から責められたのはイタリアのガリレオ・ガリレイです。> 写真の左下に見える丸い柵の中で、その「振り子」がゆっくりと揺れています。 上に展示されている飛行機は 1911年にフランス人技術者ブレゲ氏が設計した Breguet Type Ⅵ。 (写真をクリックすると
子どもの時、本当はおかしいなあと思いつつ叱られたらいやだから、という理由でルールに従っていた経験はありませんか? ある行動をとりたくでも、なぜかできない。 金縛りのように行動を制限「してしまう」。 そんな経験があれば、フーコーの哲学がきっと役に立つはずです。 フーコーって誰? フーコーの思想~規律権力~ 規律権力は至る所にある フーコーの思想の意義 余談 参考 フーコーって誰? 本名はミシェル・フーコー かなりの秀才で高等師範学校(フランスのエリート養成機関です)に進学し、その後大学教員になっています。 フーコーは同性愛者でしたが、当時の社会では公言できず、非常に苦しんでいたようです。そうした彼の苦しみは、次第に社会への関心をかき立てていきます。 自分を苦しめる社会とは一体何なのか、かれはこのテーマを生涯追求することになります。 ja.wikipedia.org フーコーの思想~規律権力~
ちょっと確認しておく。フーコーにおける三種の「統治」について。箱田徹『フーコーの闘争』第二章を参照する。 フーコーと言えば「規律訓練(ディシプリン)」で、これは直接に命令されなくても自発的に従属するように教育・訓育するという近代的な統治のやり方。 その前段階にあるのは「主権」権力による統治で、これは直接に暴力を行使し、見せつけ、ビビらせて言うことをきかせるもの。主権権力と規律訓練は『監獄の誕生』で説明されている。 で、規律訓練の後に三つ目がある。これは「安全(セキュリティ)」と呼ばれるもので、講義録『安全・領土・人口』がその議論のメイン。セキュリティのポイントは、規律訓練とは違って、一人一人に質的に働きかける(一人一人の内面に介入する)のではなく、大きな数の「群れ」として人を扱って、その全体に対して外在的・物質的に働きかけて、一人一人完璧にではなく、漏れがあってもいいから統計的に「だいたい
大好評発売中の『ゲンロン叢書002 新記号論』。「記号論」を21世紀的に読み替える野心的な本書は、ゲンロンカフェで行われた石田英敬と東浩紀による連続講義を元に構成されています。そして今回! この伝説的名講義がゲンロンカフェに帰ってくる! タイトルは「フーコーで読むコロナ危機──生権力と統治性をめぐって」。コロナ禍で世界に起こる様々な反応は、現代思想の巨人・フーコーの著作を捉え直す可能性になる? これまでの講義同様、石田が先生、東が生徒として、6時間以上に及ぶ白熱した講義が繰り広げられました。 さあ、現在の世界と現代思想の最前線をめぐる、スリリングな講義の始まりです。(ゲンロン編集部) ※本イベントのアーカイブ動画は、Vimeoにて先行公開中(購入のみ)です。本記事の内容に関心を持たれた方は、こちらのリンクからトークの全容をぜひお楽しみください。 フーコー・モーメントとしてのコロナ禍 講義は
記事:作品社 『フーコー〈性の歴史〉入門講義』(中央)。本「入門講義」シリーズは15冊以上刊行されている。 書籍情報はこちら 緊急事態宣言で人通りもまばらな東京・新宿のアルタ前(2020年4月、朝日新聞撮影) フーコー〈性の歴史〉の“分かりにくさ” フーコーの『性の歴史』は、彼の思想を集大成する最後の著作として知られている。ただ、西欧近代を特徴付ける、「知」と「権力」の結合を、具体的な制度に即して歴史的に論じた『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『監獄の誕生』に比べると、どこに焦点を当てているのか分かりにくい。 「人間」を中心とする近代的な「知の地平」がどのように構成されているか明らかにすることを試みた『言葉と物』のような抽象度が高い著作と比べても、フーコーが最終的に何を明らかにしようとしているか分かりにくい。そのためフーコーをめぐる様々な論議で頻繁に言及される割りには、「西欧の性(セクシュア
ミシェル・フーコー: 自己から脱け出すための哲学 (岩波新書 新赤版 1802) 作者: 慎改康之 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 2019/10/19 メディア: 新書 この商品を含むブログを見る 慎改康之『ミシェル・フーコー 自己から抜け出すための哲学』岩波新書、2019年。 著者は、フーコーの著作、講義録の見事な翻訳と、明晰な解説をすでにいくつも世に送り出している。本書は、その著者による待望のフーコー入門書である。入門書であるのだから、フーコーの主要著作の内容紹介はもちろんなされる(まだ邦訳のない『肉の告白』の解説もなされる)。しかし、それと並んで本書が重視するのは、著作と著作のあいだにあるつながりである。フーコーは次々と主題を変える。その変化をどう説明すればいいのか。 著者によれば、最初期のフーコーの問題意識は、近代社会のなかで失われた人間性をどう取り戻すか、というものだっ
2021.11.05 性はどのようにして罪深いものとなり、その真理を追い求めるべきものとなるのか――『性の歴史IV 肉の告白』ミシェル・フーコー(新潮社) 慎改康之(訳者)フランス思想 『性の歴史』という構想 ミシェル・フーコーの『肉の告白』は、『性の歴史』と題された長大な研究の第4巻として、2018年にフランスで公刊された。1976年に第1巻、1984年に第2巻、第3巻が刊行された後、研究を締めくくるはずであったその最終巻は、すでに出版社に原稿が委ねられていたにもかかわらず、著者の突然の死によって、長いあいだ未刊のままにとどまっていたのだった。 第1巻『知への意志』において、セクシュアリティの歴史をめぐるフーコーの研究は、18世紀以降の西洋における権力のメカニズムとのかかわりで性の問題を扱うものとして提示されていた。しかし第2巻以降、当初の企図は放棄され、古代ギリシア・ローマから初期キリ
SNSは怒りによって拡散するといった記事を読みました。はやかわ五味さんが個人的にめちゃくちゃタイプなのですが、その話は置いておいて https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66352 フーコーの話をしようと思う。 ミシェル・フーコーは「狂気」を論じた。 狂気とは何かを理解すればSNSをすこし客観的に見ることができる。あおり運転をして暴行するような人間やもっと言えばオウム真理教などは「普遍的」に間違っているわけではない。理性よりも狂気に価値が置かれていた時代もあった。僕達は理性や道徳のほうが狂気よりも上位の概念として在るべきだと考えているけれど、それは様々な歴史の場面において獲得されてきたものに過ぎないとフーコーは語っている。 狂気のわかりやすい例として魔女狩りや宗教などがある。14世紀から16世紀のルネサンス期において狂気は人間を基礎づけるものとして社会的
空港を作ってみよう! 前回はロボさん、トミさんのお庭作りをして温泉場もリニューアルオープンしたので今回はバズレーさん、ラムネさんのお庭作りをしてからロケットやスペースシャトルを置ける空港を作ってみたいと思います。 まずはバズレーさんのお庭作りから。 バズレーさんのお庭は少し大人っぽい雰囲気にしたいので似合う家具を選んで持ってきてから 奥にDIYの作業台と机を置き玄関前には台を置いてその上にサボテンや観葉植物を置き右側にはピアノとイスを置いてみました。 いつかバズレーさんがピアノを弾いてる姿を見たいですがイスがあると弾いてはくれないかな? 他にももう少し飾り付けたいですが今持ってる家具ではいいのがないのでまた新しく手に入れたらリフォームしてみたいと思います。 次はラムネさんのお庭ですがラムネさんのお庭は花に囲まれたお庭にしたくて前に少し花壇だけは作っていたので 花壇の周りに花に関連する家具を
現在、コロナ禍において医療と経済、また権力の関係が問題となっており、哲学の領域ではまさにその問題を先んじて論じていたミシェル・フーコーが再読されている。公衆衛生から人口統計にいたる権力として概念化された「生権力」が特に注目されているが、フーコーが直接的に「医学と経済」の関係を語った講演録「医学の危機あるいは反医学の危機?」(一九七六年)がある。 今の状況下で読むに値すると思えるので、その一部(特に「医学の経済学」というテーマに関する文章)を抜粋した。短いテキストなので、興味を持った方は本書を手にとって読んでみることをオススメします。 以下のテキストは、すべて『フーコー・コレクション 4 権力・監禁』(ミシェル・フーコー 著 , 小林 康夫 編集 , 石田 英敬 編集 , 松浦 寿輝 編集、ちくま学芸文庫、二〇〇六年)より引用。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
魔女。箒にまたがって空飛ぶ老婆。大釜で子どもを煮て、その脂肪を取り出す魔法使い。森の奥深くで猥雑の限りを尽くすサバトの集会。こうした魔女にまつわるイメージは、長い時間をかけてヨーロッパの民衆の中で培われてきた。そこには、恐怖と共に畏敬にみちた存在としての魔女の姿が投影されていた。元来、キリスト教と出会う前の魔女信仰には、ケルトやゲルマンの土俗的な母性信仰の名残りがあった。ユングは魔女は元型のひとつであると指摘したが、実際魔女崇拝の神話類型はバビロン、フェニキアなど古代地中海世界の地母神あるいは太母神信仰(ディアナ、アルテミス、キュベレ信仰などを含む)にまで遡ることができる。だが、そうした異教の豊穣神崇拝を拒否するキリスト教がゲルマンやケルトの世界に布教されていく過程で、「原罪」の観念と結び付けられた魔女はそのイメージを歪められ、「悪魔」と契約を交わした悪しき存在として民衆の中で再形成されて
ダニエル・ドフェールが作成したミシェル・フーコーの年譜をぼんやりと眺めていたところ、次のような記述に目がとまった。記された日付は1984年の4月6日、ということはフーコーの死の約三ヶ月前のことである。 自宅で、詩人ブライオン・ジェイシンを伴って訪れたウイリアム・バロウズを迎えてパーティー。これが最後のパーティーとなる。[1] 年譜によれば、この日付から約二ヶ月後の6月3日にフーコーは発作を起こし、意識を失う。弟のドゥニの手配で自宅の近くサン・ミシェル病院に搬送されたのち、サルペトリエール病院に入院する。一時は小康状態を保ち、刷り上がった『性の歴史』第三巻『自己への配慮』を病室で受け取ったりしている[2]。だが容態が急変し、同月25日13時15分、息を引き取った。享年57歳。 フーコーの生涯を取り巻く数々のエピソードの中で、上述のウィリアム・バロウズとのエピソードは、些細な、取るに足らないも
彼女のおしっこを飲むのは男の夢である。 当時高校生だった自分は人生初の飲尿に成功した。 男子たるもの、彼女のおしっこくらいは飲みたくなるものである。 しかし、ここに罠がある。おしっこを飲みたければ「おしっこ飲みたい」とお願いするのは、まず控えておいた方がいい。古来、多くの男子がここで飲尿の道を閉ざされてきた。 常人の感覚で考えてみようか。もし恋人から唐突に「おしっこ飲みたい」と請われたとする。無論、あっさり了承、というわけにはいかない。たいていはドン引きである。 したがって、確実に飲尿するためには、しかるべき手続きを踏まえることが必要だ。 この記事は、彼女の尿を飲みたい全ての男子に捧げる。自分が彼女の尿を初めて飲むに至った経緯を記述したあとに、「飲尿メソッド」をまとめておいた。是非とも参考されたし。 一人の男子高校生は、愛する彼女に「出していいよ」と許可した。 彼女は人前で生理的欲求を解放
「未来はわれらのものだ」と言いながら死んでいったサン=シモン、「未来を構築しなければならない」と言いながら自殺していったマーク・フィッシャー、そして「未来はここで終わる」と言ったリー・エーデルマン――。ルイス・キャロルは暗室の中で少女たちの写真を現像し、カール・マルクスは大英図書館で来るべき革命のための書を執筆する。これは、未来と子どもたち、近代と脱近代、革命と反動、19世紀と20世紀、ユートピアとディストピア、メランコリーとノスタルジー、テクノロジーとオカルティズム、そして失われた未来に捧げるエッセイである。 第十回蜂起を生きる――カント、フーコー、マーク・フィッシャー 資本主義リアリズムとは集団的に夢見られたバッドトリップである。それはひとつのイデオロギーであり夢に過ぎないが、夢であることが忘却された夢である。それどころか、それは強固で避けがたい一貫性のある現実として振る舞い、私達をそ
生権力(英; bio-power, 仏; bio‐pouvoir)とは、古典的な権力である「殺す権力」とは異なり、従属者たちを「生かす権力」を意味します。フーコーは人間の生に積極的に介入して、しかるべきやり方で管理・運営しようとする現代的な権力のあり方を「生権力」と呼びました。 フーコーの「生権力」は現代における権力作用を理解するために極めて重要な概念の一つです。その概念を理解するためには、『監獄の誕生』で提示された規制権力とともに、学ぶ必要があります。 そこで、この記事では、 生権力の意味 生権力と規制権力 生権力とセクシュアリティ をそれぞれ解説していきます。 あなたの関心に沿って読み進めてください。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、冷静さを失って他人の行動に疑心暗鬼になる人も増えているように見える。出版業界に詳しく、古今東西、硬軟あらゆるジャンルの本を読み続けてきたライターの永江朗さんは、古典や写真集で心を落ち着けることを提案する。さらに、フーコーの哲学書「監獄の誕生」を挙げ、人々が相互に監視し合う環境の進行に警鐘を鳴らす。【構成・屋代尚則/東京学芸部】 1000年前から変わらぬ人間の営み 新型コロナウイルスの感染が拡大し、日本中がパニックに陥っている感があります。こういう時こそ古典に向き合うことをすすめます。鎌倉時代にできたとされる軍記物語「平家物語」(岩波文庫など)では、平清盛が台頭してきた時は持ち上げ、落ち目になったらたたき始める周囲の人々の様子が描かれています。 今は、新型コロナに対する施策を次々に打ち出す自治体の首長らを人々がたたえる「ヒーロー待望論」といった動きも見られ
パノプティコン(panopticon)とは、「あまねく(pan)」「見る(optic)」というギリシャ語の語源から「一望監視施設」と呼ばれる監獄施設です。18世紀に功利主義のベンサムが提唱した建築プランであり、現在ではフーコーが権力一般を説明するモデルとして用いたことで有名です。 「パノプティコン」という言葉の意味や誕生する歴史を知ることは大事でしょう。しかし、パノプティコンから近代を代表するベンサムの議論やフーコーの権力論を理解することも重要です。 特に、フーコーの議論は近代資本主義社会における人間がどのように、身体と精神から内部から、鋳造されたのかを理解する上で欠かせないものとなっています。 そこで、この記事では、 ベンサムの刑罰論とパノプティコンの関係 パノプティコンとフーコーの権力論 をそれぞれ解説していきます。 あなたの関心のある箇所から、ぜひ読み進めてください。
精神科医の熊代さんが書いた「ビンタもコミュニケーション能力だった頃を覚えていますか?」という記事がおもしろかった。 いまや教師や親が生徒や子どもにビンタすることは「いけない」ことになっている。しかし、昔は上手にビンタをすることもコミュニケーション能力のうちであり、ビンタをしたからといって学校や地域社会から糾弾されるということはなかった。しかし、コミュニケーション能力は変わるものだ。もはや、ビンタはコミュニケーション能力の外側にある。その代わり、見た目や容姿が重視されるようになった、というのが論考の主旨である。 さて、ここから哲学的な話題に入るのだが、昔の人はなぜビンタをしたのだろうか? おそらく、しつけのためである。つまり、 時間厳守や整列などの規律(ルール)を守らなかったからこそ、ビンタされたわけだ。 このように、人々が規律を守るように訓練することを哲学では「規律訓練」(フーコー)と言う
思想家として活躍し、世界中に大きな影響を及ぼしたミシェル・フーコー。 「権力」について徹底して考えてきたことで知られるフーコーだが、彼の思想が生まれ、受けいられた背景には、彼がリアルタイムで目にしていた1960年代から70年代前半にかけての社会の潮流の転換があった。 では、その潮流とはどのようなものだったのか? 『今を生きる思想 ミシェル・フーコー 権力の言いなりにならない生き方』を上梓した天理大学准教授の箱田徹氏が解説する(本記事は、同書の一部を編集したものです)。 1960年代という時代 フーコーの権力論が生まれ、広く受け入れられた大きな背景には、1960年代後半から70年代前半にかけての騒然とした時代状況がある。 第二次世界大戦が終わってから間もない世界にあって、共産党は左翼運動に絶大な影響力を有していた。ファシズムや軍国主義に抵抗した唯一の政党を名乗り、それが受け入れられたためだ。
フーコーは、1970年に行われたコレージュ・ド・フランス講座の開講講義『言説の領界 L'ordre du discours』が終わるころ、〈哲学の非哲学を介した自己実現〉というヘーゲル的なテーマを「転倒 inversion」した〈哲学と非哲学の繰り返される接触〉というイポリット的なテーマをふまえ、そんな反復において「哲学のはじまり」はどのようなものでありうるかを問題にしはじめている。そこでフーコーは解答方針を2通り提起しているのだが、どういうわけか、『フーコーの〈哲学〉』の著者の市田良彦は2つのうち1番目の方針しか引いておらず、河出文庫版『言説の領界』の訳者の慎改康之は2番目の方針を誤訳している。しかし、これからみるように、フーコーがイポリットとともに選ぶ方針は2番目のものであり、それはヘーゲルから逸脱しハイデガーを放棄するような方針である。読解しなおさなければならない。問題と2つの解答方
「フーコーの議論を勉強したいけど難解そう…」「どの入門書がいいのかわからない」といった悩みが出てきたら、この記事で紹介する入門書を手に取ってみてください。 たしかに、「原著を読むのが一番だ!」という意見も一理あります。 しかし、フーコーの難解な議論に挑戦し途中で挫折するならば、まずは入門書からフーコーの思想を網羅的に触れてみることも大事です。 そこでこの記事では、フーコーの思想を全般的に学べる入門書をランキング形式で紹介します。一冊でも完読すれば、フーコーの問題関心や目指したことが理解できますので、ぜひ読んでみてください。 このサイトは人文社会科学系学問をより多くの人が学び、楽しみ、支えるようになることを目指して運営している学術メディアです。 ぜひブックマーク&フォローしてこれからもご覧ください。→Twitterのフォローはこちら
ども。coltです。 いつも読んでいただきありがとうございます😊 本日のお題 イベント『絶対解明!サイエンス☆プリンセス~2nd Stage~』開催!!水属性獣神化【フーコー】のキャラ考察をしてみる。 2023年9月14日付モンストニュースにて発表がありましたが… www.youtube.com 2023年9月16日(土)より新イベントが開催されていますね。 新たにスタートするイベントとは... 【絶対解明!サイエンス☆プリンセス~2nd Stage~】 となっています。 おっ、遂にこのサイエンスアイドルガチャがシリーズ化することになったんですね。 前回の第1弾が、ニュートン、パスカル、フランクリンと見た目も性能も優秀なキャラで神ガチャとなっていたので、今回の第2弾で登場するキャラ達にも強さを期待してしまいますよね。 今回はこの新イベント【絶対解明!サイエンス☆プリンセス~2nd Sta
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石田英敬・評「誰でも分かる、フーコー『性の歴史』」 ミシェル・フーコー『性の歴史』第四巻『肉の告白』ついに刊行! この事件の意味が分からなければ、きみには現代の思想を語る資格がない。でも、センセイ、思想とか哲学なんてボク/ワタクシには関係ありませんのよって、きみはおっしゃるかな? いや、そんなことはないんだよ。きみの周りのこの世界をみまわしてごらん。そして、きみ自身の生と性と精神の経験をふりかえってごらん。あなたは、処女? きみは童貞? ゲイ? レスビアン? ヘテロ? バイセクシャル? トランス? カミングアウトした? #MeTooとかも知ってるよね? いや、あわてないでほしい、これはとってもまじめな話なんだ。思想とか哲学って、そうしたスベテを徹底的に考えることなんだぜ。それでね、そうしたことをあらためて考えるために読むべきなのが、このフーコーの『性の歴史』なんだ。 このたびめでたく新潮社
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