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ポリティカルコレクトの検索結果1 - 40 件 / 346件

  • それ、本気で聞いてます? 僕に「ポリティカル・コレクトネス」の話をさせたら長くなりますよ?

    僕のTwitterのタイムラインに「ポリティカル・コレクトネス」という単語を見かけるようになった。 「ポリティカル・コレクトネス」自体はともかく、「ポリティカル・コレクトネス」的な正義感をもとに人の行動を制約すること、またそのような正義感で守られるべき人を守っていないこと、などが反感を買っているようだ。 僕は現在アメリカに住んでいるので、「マイノリティー攻撃ご勘弁を」モードなのだ。そんな自分の考えをまとめてみた。 コレクトネス指向 僕個人は「ポリティカル・コレクトネス」(以下PC)に準じて発言している。 というのも「コレクトネス」というだけあって、「正しさ」指向だからだ。 僕のいとこは看護師なのだが、「看護婦」と呼べ、と言われると「婦じゃねーし」と思う。 かつての保健婦助産婦看護婦法が、保健師助産師看護師法に名前を変えたのは、現状に合ったものだ。 時代によって言葉を変えたほうがいい例として

      それ、本気で聞いてます? 僕に「ポリティカル・コレクトネス」の話をさせたら長くなりますよ?
    • アメリカ人、差別批判が怖くてうかつに口を開けず エスカレートする「ポリティカルコレクトネス」に四苦八苦 | JBpress (ジェイビープレス)

      カリフォルニア大学は、「バークレー校」や「ロサンゼルス校」など10大学の連合体として、学生23万8000人、教員19万人を抱える大所帯だ。2015年、その頂点に君臨するナポリターノ学長がすべての教員に向けて発した通達が、関係者を驚かせた。 それは、教員は次のような表現を口にしないよう求めるものだった。 「アメリカは機会の土地だ」(America is the land of opportunity.) これは勤勉に働けば報われるという意味の、アメリカ人が誇りにしてきた言葉だ。だが学長によれば、この言葉は「有色人種は怠け者で能力が低いから、より努力する必要があることを暗示」するものであり、人種差別につながるリスクがあるという。 一方で、さまざまな人種・民族の共存を意味する「アメリカは人種のるつぼ」(America is a melting pot)、「人類はひとつ」(There is onl

        アメリカ人、差別批判が怖くてうかつに口を開けず エスカレートする「ポリティカルコレクトネス」に四苦八苦 | JBpress (ジェイビープレス)
      • 「アメリカ人はポリティカル・コレクトネス文化を強く嫌悪している」という米アトランティック誌の記事を訳してみた - tarafuku10 の作業場

        「アメリカ人はポリティカル・コレクトネス文化を強く嫌悪している」という記事を訳してみた。学識者による全国的な調査の結果、米国でも圧倒的多数の人がポリティカル・コレクトネス(PC)文化を嫌っていることがわかった、という記事。 記事の要点は以前こちら(↓)にまとめたのでご興味のある方はどうぞ。 tarafuku10working.hatenablog.com この記事は、2018年10月に米国のアトランティック誌に掲載されたもの。筆者は政治学者のヤシャ・モンク(Yascha Mounk)氏。アトランティック誌は歴史の古い雑誌で、リベラル寄りと言っていいと思う。ちょっと古い記事なのですが、80%が嫌っているという数字に私自身びっくりしたし、日本語で参照できるようにしとくのもいいかな、と思ったので訳しました。 www.theatlantic.com (翻訳ここから) アメリカ人はポリティカル・コレ

          「アメリカ人はポリティカル・コレクトネス文化を強く嫌悪している」という米アトランティック誌の記事を訳してみた - tarafuku10 の作業場
        • 海外ゲーム業界で蔓延する、ゲーム製作者へのポリティカルコレクトネスの強要と規制の実態 - Togetterまとめ

          白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー) @terrakei07 必読。現在の西欧諸国のゲーム規制の実勢と、日本のゲーム業界の表現についての課題が見事にまとまってる / 海外でのゲーム規制の実態について―”World of war craft”開発責任者、Mark Kern氏のインタビューから thegg.net/articles/a-mes… 2016-03-09 12:40:10 白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー) @terrakei07 “海外において一般の人々は、ゲームに関する表現規制など大した問題ではない、と見逃しているだけで、積極的に日本のゲームを糾弾する側に賛同などしていない、ということです。ある意味で、欧米の一般人の鷹揚な態度によって、規制推進派の不寛容さ・わがままが黙認されている状況だと言うことです” 2016-03-09

            海外ゲーム業界で蔓延する、ゲーム製作者へのポリティカルコレクトネスの強要と規制の実態 - Togetterまとめ
          • ポリティカルコレクトネスの主目的は、多様性を守ること。

            Dai Tamesue 爲末大 @daijapan とても正しくて、完璧な人の言葉の端々に、何かダメな自分が裁かれているような居心地の悪さを感じてすっと距離をとってしまうことがある。多様性の本質は誰もが素晴らしくなることではなく、ダメな自分も寛容に受け止められることだろうと思う。 2016-12-12 11:27:49 Dai Tamesue 爲末大 @daijapan その点において、ダメであった過去を持っている人のおおらかさや優しさというのは人を受け止めるので、やはり人生のどこかに傷を持つというのは大切なことなんだろうなと思う。 2016-12-12 11:28:40

              ポリティカルコレクトネスの主目的は、多様性を守ること。
            • 田母神俊雄 on Twitter: "ヘイトスピーチ禁止、男女差別はダメ、LGBT否定発言糾弾、ポリティカルコレクトネス、グローバルスタンダード、SDGs、歴史認識、放射能の恐怖、軍事忌避、そしてコロナなど、これらは全て日本の弱体化のために仕掛けられた罠であると思う。… https://t.co/ChcTRbY9UB"

              ヘイトスピーチ禁止、男女差別はダメ、LGBT否定発言糾弾、ポリティカルコレクトネス、グローバルスタンダード、SDGs、歴史認識、放射能の恐怖、軍事忌避、そしてコロナなど、これらは全て日本の弱体化のために仕掛けられた罠であると思う。… https://t.co/ChcTRbY9UB

                田母神俊雄 on Twitter: "ヘイトスピーチ禁止、男女差別はダメ、LGBT否定発言糾弾、ポリティカルコレクトネス、グローバルスタンダード、SDGs、歴史認識、放射能の恐怖、軍事忌避、そしてコロナなど、これらは全て日本の弱体化のために仕掛けられた罠であると思う。… https://t.co/ChcTRbY9UB"
              • プラックローズ&リンゼイ 著『特権理論:ポリティカルコレクトネス、アイデンティティポリティクス、フェミニズムはいかなる理論的根拠に基づいているのか』(2020年)/90点 - リベラルアーツの扉:海外教養書を読む

                はじめに(評者・田楽心 Den Gakushin) 原題 著者について 序論 第一章 ポストモダニズムーー知識と権力における革命 第二章 ポストモダニズムの応用的転回ーー抑圧を見えるようにすること (評者補足)応用ポストモダニズムの各理論について 第三章 ポストコロニアル理論ーー他者を救うために西洋を解体する 第四章 クィア理論ーー「普通」からの解放 第五章 批判的人種理論とインターセクショナリティ ーーいたるところにある人種差別を終わらせるために 第六章 フェミニズムとジェンダー研究ーー洗練された単純化 第七章 障害学と肥満研究ーー支援グループのアイデンティティ理論 第八章 「社会正義」の研究方法と思想、第九章 実践の中の「社会正義」ーー理論はいつも、紙の上では良く見える 第十章 「社会正義」イデオロギーの代わりとなるものーーアイデンティティ・ポリティクス抜きのリベラリズム 評価(評者・

                  プラックローズ&リンゼイ 著『特権理論:ポリティカルコレクトネス、アイデンティティポリティクス、フェミニズムはいかなる理論的根拠に基づいているのか』(2020年)/90点 - リベラルアーツの扉:海外教養書を読む
                • ポリティカル・コレクトネスは表現の幅を狭めるか - 宇野ゆうかの備忘録

                  最近のネット炎上を受けて、竹下は、「表現の幅が狭まってる」「昔はもっと自由にできた」と感じている制作者と、不快な表現に批判的な声を上げるようになった受け手の間で、「分断」が起きていると指摘した。 「ネット炎上→削除」の先にあるもの。小島慶子さんらと「メディアと表現」考えてみた | ハフポスト よくある「最近はポリコレポリコレうるさくて、自由に表現できないよ」というやつだ。でも、それは本当なんだろうか。私は、むしろ逆だと思っている。 オードリー・ヘップバーンが主演を務めたことで有名な1961年のハリウッド映画『ティファニーで朝食を』に、「ユニオシ氏」という日本人(日系人)キャラクターが登場する。ミッキー・ルーニーという白人俳優が「イエロー・フェイス」をして、つり目で出っ歯で眼鏡をかけて、LとRの区別がつかない、いかにもステレオタイプな日本人を演じている。 Breakfast at Tiffa

                  • 落語と「ポリティカル・コレクトネス」との葛藤 - いつか電池がきれるまで

                    落語をときどき聴きにいくようになりました。 20代くらいの頃は、漫才やコントはさておき、落語には、まったく興味がわかなくて、時間は長いし、背景はわからないし、この時代に落語を聴くなんていうのは「古典芸能に理解があることをアピールしようとしている腐れインテリ」みたいだな、と思っていたんですよ。 でも、40代も半ばになって、あらためてこの世界に触れてみると、落語というのは噺の内容そのものだけでなく、演者の個性というか、「どう客に聞かせるか」を楽しむものなのだな、ということがわかってきました。 率直に言うと、昔の落語の「ネタ」って、いま聴いても、そんなに面白くはないと思うんですよ。 少なくとも、それが作られた時代にリアルタイムで聞いていた人たちと同じ感覚では、楽しめない。 でも、その「そんな現代的ではないネタを、面白く聴かせる落語家の話術」は、本当にすごい。 まあ、こんなことを書きながら、僕自身

                      落語と「ポリティカル・コレクトネス」との葛藤 - いつか電池がきれるまで
                    • 【エッセイ】これからは「田舎」の話もしよう: ポリティカル・コレクトネスが絶対に直視できない「地域格差」を考える|堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi

                      はじめに先日『意識高い系は「弱者の視点」を持ち得るか?: キラキラ界隈の「冷や飯食い」として「意識高い系」エコーチェンバーを考える』と題したエッセイを投稿し、これを機にABEMAプライムに出演してから「地域格差」について考えています。 このエッセイでも述べたように、たとえば大学進学のハードルは「都会と地方」と「男性と女性」で敢えて比較すると、圧倒的に前者でこそ格差が大きい(よって【地方×女性】のように、弱者性が交差して「掛け算になる」属性こそ最も大変になる)はず。そして、この格差は大学進学に限らず、就職活動ほかキャリア形成全般で指摘できます。つまり、「地域格差」は「階級の格差」であり、地域格差は「階級の再生産」に繋がっているのです。しかし、本稿で述べるように、旧態依然とした価値観が蔓延る田舎を含む地方はポリティカル・コレクトネスに反する(政治的に正しくない)存在であり、よってポリティカル・

                        【エッセイ】これからは「田舎」の話もしよう: ポリティカル・コレクトネスが絶対に直視できない「地域格差」を考える|堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi
                      • 強者にポリティカル・コレクトネスは不要か否か

                        この話題は相当熱量が高かったが、元増田を巡るトラバ・ブクマはそれ以上に熾烈だ。 今まで女性専用車両に批判的な意見は容易にミソジニーが干渉できたために、 論理的に雑な女性専用車両擁護があったとしても、敵失の方が大きかったためにさほどの問題にはならなかった。 だがここにきて相当交通整理のスキルの高い増田が現れて、 党派性を徹底的に排除してポリティカルコレクトネスを厳密に適用したがために、 女性専用車両擁護派の中で「差別ではない」とする人々の論理的瑕疵が一気に露呈した。 1階ブクマと2階ブクマとで論調が正反対なのも興味深い。 1階で差別ではないと釈明する人々を、2階の人々が醒めた目で眺めている風情だ。 おそらく炎上する本質は 「強者とされる属性にポリティカル・コレクトネスを適用する」からだと思われる。 つまり、男女間では権力勾配論で言えば男が強者とされるのだが、 本件ではポリティカル・コレクトネ

                          強者にポリティカル・コレクトネスは不要か否か
                        • ポリティカル・コレクトネス - Wikipedia

                          ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC、ポリコレ)とは、社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された政策(または対策)などを表す言葉の総称であり[1][2][3]、人種、信条、性別、体型などの違いによる偏見や差別を含まない中立的な表現や用語を使用することを指す[4]。「政治的正しさ[5][6][7]」「政治的妥当性[8][9][10]」などと訳される。なお、特に性別の差異を回避する表現をジェンダー・ニュートラル言語(英語版)と言う。またハリウッドなどでキャストやスタッフの多様性を確保するよう求める条項は包摂条項と言う。 具体例として、看護婦・看護士という呼称を性別を問わない「看護師」に統合したことや、母子健康手帳という名称を父親の育児参加を踏まえて「親子手帳」に変更したことなどが挙げられる(後述)。 学術界や教育

                          • ポリティカル・コレクトネスの問題点を指摘した記事の雑なまとめ - 道徳的動物日記

                            jbpress.ismedia.jp 当ブログでは、ポリティカル・コレクトネスについて批判的であったりポリティカル・コレクトネスの問題点を指摘した英語記事をいくつか訳してきた。上記記事と上記記事に付いたコメントを見て思ったのが、ポリティカル・コレクトネスに対しては具体的にはどのような批判がなされているかということはまだあまり知られていないようなので、私が今まで訳してきた記事を紹介していこう。ついでに、まだ訳されていないが有意義な英語記事へのリンクも貼っておく。 davitrice.hatenadiary.jp ↑ 憲法学者のグレッグ・ルキアノフと社会心理学者のジョナサン・ハイトによる「アメリカン・マインドの甘やかし:トリガー警告はいかにキャンパスの精神的健康を傷付けいるか」は昨年の9月に書かれた記事で、英語圏ではこの記事をきっかけにポリティカル・コレクトネス批判に勢いが付いた感もある。 「

                              ポリティカル・コレクトネスの問題点を指摘した記事の雑なまとめ - 道徳的動物日記
                            • 黒人音楽をめぐるポリティカル・コレクトネスの現在 “ステレオ・タイプな表現”をどう脱するか

                              音楽ライターの磯部涼氏と編集者の中矢俊一郎氏が、音楽シーンの“今”について語らう連載「時事オト通信」第4回の前篇。今回は、ラッツ&スターがももいろクローバーZとともに黒人を模して“顔の黒塗り”という表現をしたことにより巻き起こった議論や、韓国のラッパー・Keith Apeが中心となって日韓のラッパーをフィーチャーした楽曲「It G Ma」が世界中で話題となったことを取り上げ、ミュージシャンの表現とポリティカル・コレクトネスの関係について考察を深めた。(編集部) 磯部「ラッツ&スターの件で表面化した問題は、彼らだけのものではない」 中矢:最近、ネットでポリティカル・コレクトネス(差別や偏見を含まない言葉/表現を用いること。以下、PC)に基づいた炎上が盛んに起こっているように思います。ポピュラー音楽をめぐったものに関していうと、例えば、2月、「ニューヨーク・タイムズ」の田淵広子記者がツイッター

                                黒人音楽をめぐるポリティカル・コレクトネスの現在 “ステレオ・タイプな表現”をどう脱するか
                              • 「ポリティカル・コレクトネス」の汚名  特集「差別と想像力」『新潮』12月号を読む|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

                                なぜ、本を読むのか? Why do we need to read books なぜ、本を読むのか?本書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれた本の中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

                                • ジョセフ・ヒース「なぜカナダの大学教授は学生を恐れないのか:アメリカの大学がポリティカル・コレクトネスに席巻された理由」(2015年6月8日)

                                  ジョセフ・ヒース「なぜカナダの大学教授は学生を恐れないのか:アメリカの大学がポリティカル・コレクトネスに席巻された理由」(2015年6月8日) カナダのジャーナリストが陥りがちな怠惰な習慣の一つが、カナダとアメリカが同じ国であるかのように語ってしまうことだ。アメリカで何が悪いことが起こっていると、カナダでも同じことが起こっていると彼らは思い込んでしまうことからも明らかで、この思い込み故に彼らは実際の取材に赴かない。 大学が最近「ポリティカル・コレクトネス」に席巻されているのを懸念する件でもこれを観察することができる。アメリカで、大学教授達がトラウマを負っている話が多く報じられ、なぜ学生を怖がるようになってしまったのかが解説されている。また、アドミニストレーター〔アメリカの大学の学生課の職員〕は、デリケートさを募らせている学生を不快にするのを恐れるあまり、学生に隷属してしまっていたり、傍観を

                                    ジョセフ・ヒース「なぜカナダの大学教授は学生を恐れないのか:アメリカの大学がポリティカル・コレクトネスに席巻された理由」(2015年6月8日)
                                  • ポリティカル・コレクトネスの拡大と「2010年代のアメリカ社会」の深い関係(ベンジャミン・クリッツァー) @gendai_biz

                                    なぜアメリカの大学ではポリティカル・コレクトネスを重視する風潮が強まったのか。その要因を「世代」にスポットを当てながら社会学的・心理学的に分析した書籍『アメリカン・マインドの甘やかし』(未邦訳)の議論を紹介する本連載。 第一回:「アメリカの大学でなぜ「ポリコレ」が重視されるようになったか、その「世代」的な理由」 第二回:「「ポリコレ」を重視する風潮は「感情的な被害者意識」が生んだものなのか?」 第三回:「アメリカでの「ポリコレ」の加熱のウラにいる「i世代」の正体」 背後にある「三つの不真実」 これまで三回にわたって、憲法学者のグレッグ・ルキアノフと社会心理学者のジョナサン・ハイトの共著『アメリカン・マインドの甘やかし:善い意図と悪い理念は、いかにしてひとつの世代を台無しにしているか(The Coddling of the American Mind: How Good Intentions

                                      ポリティカル・コレクトネスの拡大と「2010年代のアメリカ社会」の深い関係(ベンジャミン・クリッツァー) @gendai_biz
                                    • 次は情報処理学会学会誌に関してポリティカルコレクトな表紙かを語ろう - 発声練習

                                      あの表紙に不快を感じるというのは問題ない。ただ、過度な一般化や裏を読み過ぎるのはやめてほしいところ。「無意識の差別(偏り)がある」と指摘されるのは、気分良くはないけれども、基本的にありがたいこと。だけど、社会におけるジェンダー差別への怒りを叩きつけられると「いや、そこまで言わんで良いだろ」とか「もっと***なやつが〜にあるじゃない」と言いたくなる。 人工知能学会:学会誌名の変更と新しい表紙デザインのお知らせ Togetter:人工知能学会の表紙は女性蔑視? コメント欄は「不快に感じること」自体も否定しているようでよろしくない流れになっていると思う。 言われてみれば、「家事=女性」という印象を与える表紙になっていると思う。あの電源コードみたいなやつは女性が人間でないことを表すための記号なのだろうけど、行動を制限するひもと受け取られても変ではない。でも、私はアニメを見慣れているせいか「古いSF

                                      • 多様性の視点からのポリティカル・コレクトネス批判を、差別主義者の影響を受けたバカ扱いするのは暴論|ヤヤネヒロコ

                                        「ポリティカル・コレクトネスがアメリカの表現文化の多様性を狭めている論」=「コミックゲーターやオルタナ右翼の一派である」と言いたげな一部の自称アメコミ通の方(※)のご意見を見たので、非常にもやもやしていたわけです。「そんなんいるか?」というご意見も見ましたが、このまとめを見る限り、「ポリコレ批判者はコミックスゲートの寝言を真に受けている」と煽っている人、少なくとも昨年の時点で複数います。 コミックゲートって、過激な人たちが社会的マイノリティや左派の対論者や小売店に破壊行為を行ったり脅迫したりをやったムーブメントだったわけですけど、なんか言ったら「あいつはコミックゲートに影響されている」ってレッテル貼るの、「あいつはナチス信者だ」に近いじゃん。酷い侮辱だよ。自分が言われたわけではないが。 赤松先生の物言いはちょっと過激だと思いますが、紙媒体の漫画で日本が圧倒的に本場なのはいちおう事実だし、「

                                          多様性の視点からのポリティカル・コレクトネス批判を、差別主義者の影響を受けたバカ扱いするのは暴論|ヤヤネヒロコ
                                        • ポリティカル・コレクトネスは創作の敵ではなく、むしろ味方であると言うこと

                                          シネマンドレイク @cinemandrake みんなも目にする機会が増えたあの言葉。「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」とは何なのか。その意味と歴史を私なりに整理しました。作品をポリコレという言葉で語る意義はあるのかという話も。安易にその言葉を使う前にぜひ考えてほしいです。 cinemandrake.com/what-political… 2023-02-13 07:01:00 シネマンドレイク @cinemandrake 一部の政治家や論者がポリコレを徹底的に憎み叩くのは、おそらく自分が「正しさ」を決める側ではいられなくなるのが嫌なんだろうな。結局はそういう人たちは「私流ポリコレ」を推進したいだけで、「みんなで考えて合意を形成する」という共同の場を嫌っている。ただの昔からいる自己中ですね 2021-05-14 20:00:01 シネマンドレイク @cinemandrake 映画のポ

                                            ポリティカル・コレクトネスは創作の敵ではなく、むしろ味方であると言うこと
                                          • 「イギリスはメシマズ」話を「ポリティカル・コレクトネス」の面から考える

                                            「イギリスの料理」は以前から、ジョークの種として語られており、「ヘタリア」などにも登場するほか、togetterにも数多くのまとめがあります(冒頭参照) しかし、これが一種の民族性の単純化であり、ステロタイプであることも間違いありません。 まとめ主は「許容範囲」だと思っているのですが、それでもこの「英国メシマズ」ネタを「ポリティカルコレクトネス」や「差別問題」と関連付けると、いろいろな議論があります。そこに集中してまとめてみました。

                                              「イギリスはメシマズ」話を「ポリティカル・コレクトネス」の面から考える
                                            • 世界一簡単なポリティカルコレクトネスの解説 - 包帯のような嘘

                                              サーバーが不安定だったり、ちょっとした設定ミスで表示されなくなったり、これまでこの WordPress サイトにはずっと悩まされてきたのですが、このたび theLetter というニュースレターサービスをメインに発信していくことにしました。 https://masakichitose.theletter.jp 詳細はリンク先の「このニュースレターについて」をご覧ください。 2022年11月20日 ポリティカルコレクトネス(以下、PC)に関して、それに反対する側にも支持する側にも同意できない部分があリます。これまで少しずつツイートでも書いてきましたが、改めて書きます。連投ツイートで出す予定だったので、140字で区切れてますw まず、差別を肯定する、あるいは条件付きで許容するような人たちがいます(以下、差別主義者)。一方で、差別を否定する、あるいは条件付きで非難するような人たちがいます(以下、

                                                世界一簡単なポリティカルコレクトネスの解説 - 包帯のような嘘
                                              • ドナルド・トランプはなぜ支持されるのか?~ポリティカル・コレクトネスやリベラル言論の息苦しさへの反発を中心に~

                                                和田憲治 ON THE BOARD @media_otb 「アメリカが今抱えている大きな問題の一つは『ポリティカル・コレクトネス』だ。私はそんなことに気を使っている時間はないし、この国にもそんな余裕はない!この国は大きな問題を抱えていて、中国にもメキシコにも負けているんだ」ドナルド・トランプの支持を集めた言葉は日本にも当てはまる。

                                                  ドナルド・トランプはなぜ支持されるのか?~ポリティカル・コレクトネスやリベラル言論の息苦しさへの反発を中心に~
                                                • 変容するポリティカル・コレクトネス 誰が何のためにPCを振りかざすのか

                                                  柴田英里 @erishibata 私は最近のディズニーのズートピアをはじめとしたポリコレ万歳アニメよりも、日本のクィアなアニメの方がずっとずっと素晴らしいと思っている。「みんな我慢しよう、みんな平等だ」というのは、得てして「みんな我慢しよう、そのかわり、ヤバいやつを排除することでウサを晴らそう」となりがちだから。 2016-07-04 18:54:39 柴田英里 @erishibata 先日、二村ヒトシさんのお話を聞いて、『貞子対伽椰子』は観に行かなくちゃと思っている。貞子の怨みって、「凡庸で正しくてまともな人たちから排除されたマイノリティの怨み」なんですよ。だから、「ダビングして、他の人に見せる」という、最も「凡庸で愚かしい行為」でしか、呪いから逃れられない。 2016-07-04 19:07:13

                                                    変容するポリティカル・コレクトネス 誰が何のためにPCを振りかざすのか
                                                  • 【テキサス親父「トランプ大統領」誕生を分析】行きすぎた「ポリティカル・コレクトネス」アメリカはいつから社会主義になったのか

                                                    【テキサス親父「トランプ大統領」誕生を分析】行きすぎた「ポリティカル・コレクトネス」アメリカはいつから社会主義になったのか トランプ氏が俺たちのような保守派から人気を集めている理由は、おかしな米国型リベラリズムの象徴ともいえる「ポリティカル・コレクトネス(Political Correctness)」(PC)の考えに汚染されていないからなんだ。 PCは、「人種や民族、ジェンダー、職業の違いによる差別、キリスト教以外の宗教などへの差別をなくそうという考え方は『政治的に正当である』」という意味で使われる。ところがアメリカでは近年、このPCが行き過ぎていて、意味のない言葉狩りや、マイノリティー(少数派)保護と称した被害者ビジネス、個人中心主義が蔓延している。そのため、白人以外の人や女性、あるいは同性愛者のようなマイノリティーに対して少しでも否定的な発言をすると、すぐに「差別だ!」と大きな批判を浴

                                                      【テキサス親父「トランプ大統領」誕生を分析】行きすぎた「ポリティカル・コレクトネス」アメリカはいつから社会主義になったのか
                                                    • この世界の片隅に、老人ホーム、NHK,紅白歌合戦、ポリティカルコレクトネス、トランプ

                                                      2016年の漢字は「反」かなって思った話 この世界の片隅にを見た たいへんいい映画だと感じたが、正直アニメに関する知識がないのでその点ではなにも言えるものではないのだが 言いたいのはアニメ云々じゃなく戦争というものの描き方だ ここまで趣味のようなものが全開な戦争ものを、とくに邦画で見たことがなかったので、正直にいうと興奮してしまった。 どこかのブログでも書かれていたが、押しつけがましくないのである。 はっきり言って邦画で戦争を扱うとすぐ「戦争はよくない」とかいう人物が出てくる(女子供に言わせればなお良し) 辛気臭くてしょうもなくて、いっちゃなんだが北朝鮮のプロパガンダレベルな定型句だ(そもそもそういうのをセリフで言わす?って話だったりするけど) 思ったのはこれはいつだったかの老人ホームの話に似ているなと思った 老人ホームで老人がやらされているのは、手をつないで童謡をうたったり、お手玉をした

                                                        この世界の片隅に、老人ホーム、NHK,紅白歌合戦、ポリティカルコレクトネス、トランプ
                                                      • 「ポリティカル・コレクトネスは表現の幅を狭めるか」について、海外ドラマ好きからの雑な意見 - サラダ好きのくろーん

                                                        yuhka-uno.hatenablog.com 上記の記事に対しての僕のブックマークがこれ。 ポリティカル・コレクトネスは表現の幅を狭めるか - 宇野ゆうかの備忘録 海外ドラマ好きからすると、PCのせいでキャストの人種構成が限定され、明らかにつまらなくなった時期があるから、反発する声も分かる。だけど「メジャークライム」みたいなドラマも出てきたし、製作者側の慣れだなと 2018/12/01 18:56 b.hatena.ne.jp 海外ドラマ、と一口にいっても、日本の高齢者に人気の「韓ドラ」、かつてお世話になった洋画劇場の延長線上にある「アメドラ」、Netflixでお手軽に視聴できる「欧州ドラマ」、そのほかにも最近評判のいいカナダの作品や、学園モノのBLシチュエーションを実写でやってるインドネシアのドラマとか、まぁ色々あるわけです。 ここでいいたいのは主にアメドラですね。というか、僕はとく

                                                          「ポリティカル・コレクトネスは表現の幅を狭めるか」について、海外ドラマ好きからの雑な意見 - サラダ好きのくろーん
                                                        • ポリティカル・コレクトネスとは? 「平等」の本当の意味が面白い

                                                          ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC)とは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現、およびその概念を指す (Wikipedia)。 要するにポリティカル・コレクトネス(略称:PC)とは「差別的な表現をなくそう」とする概念のことなんです。日本語にすると「政治的正しさ」みたいな訳になってしまいますが、これは例えば「自民党が正しくあるためにはこうあるべき」とかそういう正しさのみを指すものではないです。

                                                            ポリティカル・コレクトネスとは? 「平等」の本当の意味が面白い
                                                          • 『アメリカ人、差別批判が怖くてうかつに口を開けず エスカレートする「ポリティカルコレクトネス」に四苦八苦 | JBpress (ジェイビープレス)』へのコメント

                                                            世の中 アメリカ人、差別批判が怖くてうかつに口を開けず エスカレートする「ポリティカルコレクトネス」に四苦八苦 | JBpress (ジェイビープレス)

                                                              『アメリカ人、差別批判が怖くてうかつに口を開けず エスカレートする「ポリティカルコレクトネス」に四苦八苦 | JBpress (ジェイビープレス)』へのコメント
                                                            • 「ポリティカル・コレクトネス」は言葉狩り? 花王の事例が問う論点(石田 健) @gendai_biz

                                                              花王のプロジェクトと「言葉狩り」 13日、花王は働き方改革や家事分担について提唱する「#BeWHITE」プロジェクトを休止、関連サイトの閉鎖を発表した。12日にプロジェクトを公開してから、わずか1日の出来事だった。 ネットには「#BeWHITE」に対して批判的な声よりも、差別や炎上に対して過度に敏感とも取れる姿勢を疑問視する声が広がっている。中には、ポリティカル・コレクトネスが「言葉狩り」であることの証左だという声も見かけられた。 つい「職場」での働き方みたいなものだけがやり玉にあがりがちなご時世ですが「家事」は毎日あるし、なんだったら死ぬまで続きます。だからそんな「家事」の在り方にもそろそろ目を向けてもいいのかも。#BeWHITE https://t.co/14NmVXaGk1 pic.twitter.com/fOuzn0bJSY — 花王 アタック (お洗濯全般) (@kao_atta

                                                                「ポリティカル・コレクトネス」は言葉狩り? 花王の事例が問う論点(石田 健) @gendai_biz
                                                              • はてなブックマーク - 海外ゲーム業界で蔓延する、ゲーム製作者へのポリティカルコレクトネスの強要と規制の実態 - Togetterまとめ

                                                                おもしろ 海外ゲーム業界で蔓延する、ゲーム製作者へのポリティカルコレクトネスの強要と規制の実態 - Togetterまとめ

                                                                  はてなブックマーク - 海外ゲーム業界で蔓延する、ゲーム製作者へのポリティカルコレクトネスの強要と規制の実態 - Togetterまとめ
                                                                • 人の心は規制できない。日本のポリティカル・コレクトネス意識に足りない想像力 - messy|メッシー

                                                                  新年あけましておめでとうございます! 今年も宜しくお願い申し上げます。 年明け早々、テレビでは社会学者が「ハーフって劣化するのが早くないですか?」と発言して炎上したり、アニメ『おそ松さん』の最新話(第13話)がポリティカル・コレクトネス的に望ましくないのではと話題になったり、新年早々ジェンダー問題が盛り上がりましたね。 「ハーフって劣化するのが早くないですか?」発言に関しては、レイシズム(人種差別)でありルッキズムであるので、大人だったら思っていても絶対に言ってはいけない「ポリティカル・コレクトネス」的にアウトな発言です。 「ポリティカル・コレクトネス」というものに対して、あえて「差別は許されてはいけない」ではなく、「思っていても絶対に言ってはいけない」基準だと述べたことには理由があります。それは私が、差別は「絶対に許されてはいけない」ことであると同時に、「人は悪意ではなく、無意識や親切心

                                                                    人の心は規制できない。日本のポリティカル・コレクトネス意識に足りない想像力 - messy|メッシー
                                                                  • ポリティカル・コレクトネスが障害者から医療を遠ざける|小山(狂)

                                                                    これは書くと100%怒られる話なのだが、そのような「みんな知ってるけど口に出来ない話」を公言するのが狂人の社会的役割であろうと考えるので、あえて書く。 タイトルの通り「ポリティカル・コレクトネスと障害者」のお話だ。 ポリコレによって社会はどう変わったのか。社会が変わるというのは、当然、得をした者と、損をした者が現れるだけだが、ポリティカル・コレクトネスの躍進によって、どのような人が割を食っているのか。 この問いは、英語圏においてはかなり議論が蓄積されてきたテーマだった。そして近年その一例として、「フェミニズムと自閉症」というキーワードが、一定の注目を得始めている。 英語版のGoogleで「feminism autism」あたりのキーワードで検索すればゴロゴロと記事や論文が出てくるわけだが、本稿ではその中でも最も読まれているテキストのひとつを紹介しよう。著者はペネロペ・トランク。アメリカ合衆

                                                                      ポリティカル・コレクトネスが障害者から医療を遠ざける|小山(狂)
                                                                    • ポリティカルコレクトネスは「制限・足枷・規制」なのか?多様性はどこまで許容されるべきなのか?という話

                                                                      tomomi 智美 @TOMIAM77 この国の表現界隈にも、PCの必要性がさざなみのように押し寄せてるのを感じる。 大変良いことだ。 PCは表現規制ではない。 表現の中にあった不平等を取り払い、より多くの人たちに表現を届けるようにしようという取り組みだ。 2015-12-29 18:52:24 紙魚エビ🏳️‍⚧️†🏳️‍🌈トランス差別反対 @bookfishswim RT、PCは「表現の中にあった不平等を取り払い、より多くの人たちに表現を届けるようにしようという取り組み」、ほんとそれだよね。「PCなんてワガママ!そんなワガママ聞いてたら面白いものは作れない!」って言う人は、表現者ではない側の人たちに多いのかもしれないなあ… 2015-12-29 18:57:57 紙魚エビ🏳️‍⚧️†🏳️‍🌈トランス差別反対 @bookfishswim PCはむしろ表現の幅を広げるものだと思っ

                                                                        ポリティカルコレクトネスは「制限・足枷・規制」なのか?多様性はどこまで許容されるべきなのか?という話
                                                                      • ポストモダニズムとポリティカル・コレクトネス - 道徳的動物日記

                                                                        The Science of Liberty: Democracy, Reason, and the Laws of Nature 作者: Timothy Ferris 出版社/メーカー: Harper Perennial 発売日: 2011/02/08 メディア: ペーパーバック この商品を含むブログを見る 先日から読み始めたティモシー・フェリス著『自由の科学(民主主義、理性、法の支配)』の第11章「学問的な反科学(Academic Antiscience)」を読んでいて考えたこと。 科学と民主主義はそのシステムも似ているし(データ/人々の投票の集合に基づいて、仮説/政策の正否を実験/実行によって確かめて、上手くいかなかった場合にはまた別の仮説を繰り返して…というシステム)、科学的な発想こそが自由民主主主義をもたらしたのであり、そして科学は自由民主主的な社会の下でしか発展しない、というの

                                                                          ポストモダニズムとポリティカル・コレクトネス - 道徳的動物日記
                                                                        • 『ポリティカルコレクトネスの主目的は、多様性を守ること。』へのコメント

                                                                          ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有

                                                                            『ポリティカルコレクトネスの主目的は、多様性を守ること。』へのコメント
                                                                          • ポリティカル・コレクトネス - アンサイクロペディア

                                                                            本記事は、産経新聞社の発行する雑誌『正論』2019年5月号に、評論家潮匡人(元航空自衛隊3佐、帝京大准教授)が寄稿したコラム「ポリコレという言葉狩りの時代」で、「ポリティカル・コレクトネス」の定義として引用された、正確な記事です。みなさまも世界に名だたる産経新聞社および一流評論家、潮匡人大先生に敬意を表して、正しいポリティカル・コレクトネスの啓発にご活用ください。 ポリティカル・コレクトネス(英:political correctness、PC)とは、言葉の使い方に偏見や差別が含まれていないことを指す言葉である。日本語では「政治的に正しい」と訳される場合もあるが、一般的には「言葉狩り」を婉曲にオブラートに包んであたかも言論の自由を侵害するものではないかのように装うために言い換えているものであると認識されている。すなわち、この言葉自体がある意味ポリティカル・コレクトネスなのである。 実例[編

                                                                            • 今回の件で男性にはポリティカルコレクトネスは適用されないんだ、って事が良くわかったよ

                                                                              anond:20180225232021 無実の男性に「痴漢を捕まえるのは男性の責任」みたいな言説があってビビる。 (逆に女性の社会進出が低いレベルなのは女性が悪いの?というな) あと女性の心理的な部分では(あるいはひょっとすると論理的な部分も)「男性には政治的な正しさを適用する必要がない」って捉えてるんでビビる。 いやまぁ昔からそうかな、とは思ってたが。 別に私は女性専用車両自体には反対ではないんだけど、あれだな、男性は考慮されないんだな、と。 犯罪をしない弱者男性観点だとさ、女性を守る意味、インセンティブみたいのが無いんだよね。なんだろう接点がないので男女で感謝しあうという事もないし。 女性は男性から「政治的な正しさ」で様々な制限をかけるが、女性自身の欲望には政治的な正しさはかけなくて良い、というのは、それ平等になるの。 追記 あー、女性全体といったつもりはなかった。女性にもいろいろい

                                                                                今回の件で男性にはポリティカルコレクトネスは適用されないんだ、って事が良くわかったよ
                                                                              • ポリティカル・コレクトネスにおける「模範的なマイノリティ」という問題 - messy|メッシー

                                                                                『ユリイカ9月号 特集・男の娘—“かわいい”ボクたちの現在』(青土社)を読みました。私も「ヘルマフロディトスの身体 ーオブジェとしての男の娘は如何にして誕生し、何を求めるのか」というタイトルで寄稿しています。 同号には二次元、三次元、当事者、研究者、様々な視点からの論考やインタビューが寄せられており、もりだくさんの内容で、改めて、日本はジェンダーギャップ指数においては世界104位という後進国ですが、セクシュアリティ表象においては先進国であり続けているなと思いました。 漫画やアニメの「男の娘」だけでなく、日本神話でヤマタノオロチを女装して倒したスサノオノミコトや、若衆歌舞伎・陰間茶屋(女形の格好をした男性が客をとる遊郭、初期は僧侶をはじめとした男性客中心であったが、女性客も利用できた)の文化を含めた歌舞伎の女形、シスターボーイやニューハーフ、ドラァグクイーン、性同一性障害(GID)におけるM

                                                                                  ポリティカル・コレクトネスにおける「模範的なマイノリティ」という問題 - messy|メッシー
                                                                                • ジョセフ・ヒース「ポリティカル・コレクトネスについて付記」(2015年6月8日)

                                                                                  The words “Political Correctness 101” on a blackboard in chalk More on political correctness Posted by Joseph Heath on June 8, 2015 | education オタワ・シチズン紙に論説(『カナダの大学教授はなぜ学生を恐れないか』を寄稿し今日掲載された〔日本語訳はここで読める〕ことで、どうやら私は今現在、ポリティカル・コレクトネスに関して無敵の人になっているようだ。そもそものきかっけは、アメリカの単科大学――特にリベラル・アーツ系の小さな単科大学(カナダだとノバスコシア州を除けばほとんど存在しないタイプの大学)――で何か馬鹿騒ぎが起こるたびに、概して「総合大学」が悪評を浴びる事態に、私が苛ついたことにある。カナダの総合大学に問題があるのを否定はしないが、アメリカで起

                                                                                    ジョセフ・ヒース「ポリティカル・コレクトネスについて付記」(2015年6月8日)