出産の自由意志という『最後の一線』 www.jstage.jst.go.jp 少子化という現象は、資本と国家が最後の一線を越えて人間性を蹂躙するに至っておらず、世代の再生産に関する意思決定の自由がわれわれの手元にあることの証なのである。 ↑少子化を資本主義への抵抗運動とみなし語る論文を読み感銘を受けた。 しかし同時にこの論文が危惧する「最後の一線」はいとも容易く踏み越えられ、世代再生産の意思決定権が私たち個人から国家や資本の側に移る可能性はすでに十二分にあるだろうとも感じてしまった。 個人の自由意思は『勤労』の領域でとっくのむかしから侵害されまくっている 結婚出産はいまのところ国民の義務ではないけれど、日本国憲法が規定する国民の三大義務「勤労/納税/教育」に勤労が入っている事を考えれば、これも絶対不可侵領域なわけではないことに思いが至る。 現在、結婚出産が個人の自由意思とされているのは、国