くりーむぱん。 @ha__ha__haa うちらんとこの皇族最高だと思う。誰が良いとか悪いとか無しで皆さん最高だよね。 また一般参賀行きたいなー。 x.com/pen2/status/18… 2024-06-13 22:24:16
秋篠宮家の眞子さまが小室圭さんと臨んだ婚約会見から4年が経過した。読売新聞などは、年内に結婚し、米ニューヨークで新生活を始められる見通しだと報じている。ジャーナリストの藤澤志穂子さんは「学習院OGで、ニューヨークに留学した経験を持つ立場からすると、2人の結婚、新生活には『一時金』よりも重大な問題がある」という――。 “ご結婚”にみる「甘え」の構図 私の「違和感」は、眞子さまと小室さんが、最初に婚約会見を開いた時からありました。 4年前の小室さんの職業だった「パラリーガル」は、法律事務所の弁護士見習いの事務職員で、年収はそう高くありません。その20代男性が、大学同窓の女性と結婚するなら、普通は共働きを考えるでしょう。 もしくは男性が弁護士になってから結婚に踏み切るか。でもお2人には、最初からそんな人生設計があったようには見えません。ただただ一緒にいたい、それだけで周囲を押し切った「純愛」なの
記者会見で「いじめ的情報」と発言 秋篠宮さまが、11月30日の59歳の誕生日を前に行った記者会見で、「いじめ」という言葉を使われた。最近の、秋篠宮家に関する報道やネットの書き込みなどについて、記者から「秋篠宮家へのバッシングとも取れる情報について、妃殿下が誕生日に当たっての文書で『思い悩むことがあります』と記されました。殿下の受け止めや、宮内庁に求めていることもお聞かせください」という質問があり、それに答えられたときのことだ。秋篠宮さまは、以下のようにお答えになった。 「一般的には、バッシング情報と言われております。ただ、本当にたくさんの情報があるわけですけれども、その中でのバッシング情報というのは、これは第三者と当事者では恐らく意味合いが異なってくるように思います。当事者的に見るとバッシング情報というよりも、いじめ的情報と感じるのではないかと思います」 紀子さまは「バッシング」という言葉
歳が20歳近く離れた20代女性が、 「日本の天皇家は世界最古の王朝で~」 と始めたものだから、ここはまぁ納得(というか詳しく私は存じ上げないがそうらしい)なのだが、 「神武天皇のときからずっと大和朝廷が途切れず~」 と続いたものだから、ちょっと待った、と心がつぶやいた。 え?神武天皇って実在したっけ? いや私が詳しくないだけで、最近の学説や学校では実在が確定したことになってる? はてな民はこの辺り博識だと思うので、ちょっと教えて欲しい。 (追記) Googleにはこうある。 神武天皇とは何者?大和を平定した日本国の創始者・初代天皇。 アマテラスをはじめとする天津神の末裔で、山・海といった大自然の神々の系譜も取り込み、さらに国津神の末裔と婚姻を果たし、あらゆる神々を合一化。 そのため国家安寧や安泰を意味し、建国記念の日においては、その即位を祝う紀元節が祝われてきた。 ウィキペディアの「皇室」
東アジア最大の蛇行剣(長さ237センチ)の初公開など、今年最も話題を集めた古墳の一つが奈良市の富雄丸山古墳(4世紀後半)だ。ただ、半世紀前に高度経済成長期に伴う住宅開発で消滅する危機にあったことはあまり知られていない。当時若手研究員だった奈良県立橿原考古学研究所元副所長の泉森皎(こう)さん(83)が、保存の必要性をあの手この手で業者に訴えた。その熱意が、今の「蛇行剣フィーバー」につながった。 3月中旬に邪馬台国(やまたいこく)の女王、卑弥呼(ひみこ)の鏡ともいわれる三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)などが埋葬時の状態で見つかり、現地説明会には2日間で4500人が訪れた。3月末~4月の同研究所付属博物館(橿原市)での蛇行剣の初公開には8日間で1万7千人以上が詰めかけ、2時間待ちの列ができるほどだった。 ふた開けた缶詰
政治の世界からレッドカードだろ 共産党の村井あけみ「天皇家は途切れた系譜で殺戮の果てに残ってきた氏族」 「天皇であろうが、私の写真であろうが、ただの紙」 「皇族はいつまでも国民の扶養家族のまま、人としていかがなものか」 共産党の村井あけみ「天皇家は途切れた系譜で殺戮の果てに残ってきた氏族」 むしろ、武力で他の氏族を撲滅、支配下に置いた暴力氏の末裔ですね。天皇家は、自分の親族も抹殺しながら権力を集中してきた部族です。万世一系どころか、途切れ途切れた系譜で、殺戮の果てに残ってきた氏族です。 — 村井あけみ (@murai_akemi) 2022年1月6日 魚拓 村井あけみが「天皇家は途切れた系譜で殺戮の果てに残ってきた氏族」とツイートしていました。 「暴力氏」などと意味不明な用語を用いています。 村井氏の見解によれば、天皇に一般国民と同様の人権が保障されていないことがかわいそう、ということのよ
納豆って日本における最高の食文化ですよね。正直、本当においしい納豆はそのまま食べても美味。醤油、カラシ、タレ、さまざまな調味料を足して、自分なりのおいしさをアレンジできるのも楽しいところ。 天皇家に伝わる『インペリアル納豆』 そんな納豆レシピのひとつに、天皇家に伝わる『インペリアル納豆』があります。あくまで『インペリアル納豆』は愛称や俗称のようなものですが、これが本当に心から美味しいと思える納豆レシピなのです。しかもカンタンに作れてしまう。 『インペリアル納豆』を生み出したのは高松宮殿下 この『インペリアル納豆』を生み出したのは高松宮殿下で、高松宮宣仁親王とも呼ばれています。わかりやすくお伝えすれば、昭和天皇の弟ということになります。ではいったい、どんなレシピなのでしょうか。 パセリとオリーブだけ 『インペリアル納豆』のレシピはシンプルでカンタン。パセリとオリーブをきざみ、納豆に混ぜて食べ
兄弟が争った歴史的事例は、中国では宋の太祖と太宗がよく知られている。日本でも、天智天皇と大海人皇子(後の天武天皇)、源頼朝と源義経、徳川家光と徳川忠長など、いくつもある。 最近でいえば、贈賄の容疑で逮捕されたKADOKAWAの角川歴彦会長(当時)と、兄である角川春樹元社長(現・角川春樹事務所会長兼社長)との骨肉の争いが週刊誌を賑わせてもいる。 兄弟は他人の始まりとはよくいわれるが、万に一つも、兄・天皇と弟・秋篠宮が争うことなど考えられない。 では、週刊新潮(9月29日号)は何を根拠に「『天皇家vs.秋篠宮家』相克を演出する宮内庁の罪」などという物騒なタイトルをつけて報じたのだろう。 天皇皇后は、英国エリザベス女王の葬儀に急遽参列したが、当初は、慣例に従って秋篠宮夫妻が出席するという可能性も取り沙汰されたという。しかし、 「英国王室との縁の深さに鑑み、なにより陛下ご自身の強いご意思もあって、
本日2月23日は天皇誕生日。新型コロナウイルス禍の影響で2020年以降中止が続いていた一般参賀も予定されており、天皇誕生日としては、令和への代替わり後初の実施となります。そこで今回、毎日新聞社で皇室担当記者を務めた成城大学文芸学部教授・森暢平さんが、天皇家の家族のあり方を記して好評を博した記事を再配信いたします。 **** 恋愛から家族をつくったとされる明仁(あきひと)上皇・美智子妃の登場後、一夫一婦制のもとで子どもを家庭で養育する、いわゆる「近代家族」としてそのあり方が語られがちな天皇家。しかし、森暢平さんによると、もっと前から、天皇家では多くの皇族たちが近代家族を目指し、その時代なりの恋をしていたそうで――。 60余年前、明仁皇太子はテニスコートで見染めた正田美智子(しょうだみちこ)妃と恋に落ちた。秋篠宮眞子(あきしののみやまこ)内親王は、大学キャンパスで出会った同級生小室圭(こむろけ
天皇や皇族には戸籍がないという話をしばしば聞く。世間でいうところの「苗字」もないらしい。日本国憲法では法の下の平等をうたっているのに、なぜなのか。本書『天皇と戸籍――「日本」を映す鏡 』(筑摩選書) はその理由を明かす。天皇と戸籍の関係を古代までさかのぼって論じ、そこから浮かび上がる日本とはどういう国なのかというところにまで踏み込んでいる。 著者の遠藤正敬さんは1972年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。博士(政治学)。専門は政治学、日本政治史。現在は早稲田大学台湾研究所非常勤次席研究員。宇都宮大学などで非常勤講師。著書に、第三九回サントリー学芸賞を受賞した『戸籍と無戸籍――「日本人」の輪郭』(人文書院、2017年)などがある。戸籍研究ではよく知られた研究者だ。 戸籍法の規定通りにはいかない まず著者は「婚姻」の説明から始めている。一般国民が結婚する場合、戸籍法に基づき、夫
昨年、結婚に伴う国からの一時金を辞退した元皇族の眞子さん。そんな眞子さんを心配してか、「天皇家や秋篠宮家から援助してもらえば贅沢な暮らしは十分できるんじゃないの」という声もあったが、残念ながらそれは的外れである。 いったいなぜ小室眞子さん・圭さん夫婦が「天皇家の財産」を頼ることは難しいのか? ジャーナリストの奥野修司氏による新刊『マコクライシス』より一部抜粋してお届けする。(全3回の3回目/#1、#2を読む) 皇籍を離脱した者に支給される「一時金」とは何か? 本来なら眞子さんが小室圭さんと結婚して皇籍を離脱すれば、一時金として1億数千万円が支給されたはずなのに、一時金を受け取ることに猛烈な批判があったことを配慮して、眞子さんは受け取りの辞退を決めた。結局、政府と宮内庁はこれを追認するかたちで、一時金を支給しないことを決定している。 おそらく眞子さんにある程度の貯蓄があったからだろうと思われ
米国の空港に到着し、関係者らにガードされながら送迎車に乗り込む際には、うれしそうに笑みを浮かべた。これまでファインダーをのぞいていた自分は一度も見ることができなかった笑顔。それを見た時『眞子さんは結婚以上に、外の世界に飛び出したかったんだ』と確信した」(12月18日付スポニチより) 小室圭との婚約延期以来、公務の際にも見せることがなかった笑顔を、日本を発つ飛行機の搭乗口からニューヨークに着いても取材陣に撮らせていたと知ったら、秋篠宮と紀子さんはどう思うのだろう。 なぜ、娘はそれほどまでに皇室という世界から離れたかったのだろう。自由に育て、学習院ではなく国際基督教大学にも行かせたのに、どこでどう間違ってしまったのか。両親の頭の中では、混乱と後悔が渦巻いているのかもしれない。 週刊文春(12月9日号)は「『娘の離反』を生んだ秋篠宮家『15年の蹉跌』」と題して、宮内庁関係者にこう語らせている。
菊花紋が皇室の紋章として用いられたのは、鎌倉時代初期、とりわけ菊を好んだとされる後鳥羽上皇の頃からといわれています。その後、弁の単複・数、花の中心円などに規定はなく、皇室からの下賜もあり、武家・神社仏閣・商標など様々に使用されましたが、大正15年の「皇室儀制令」によって内廷皇族の紋は「十六葉八重表菊形」、各宮家は「十四葉一重裏菊形」と厳密に定められました。 以下の所蔵資料と掲載箇所を紹介、利用方法を案内しました。 (1)『皇室の百科事典』(新人物往来社)pp.279-282 (2)『日本の皇室事典』(主婦の友社)pp.221-222 (3)『新版 平成皇室事典』(主婦の友社)p.384、pp.262-263 (4)『皇室事典 令和版』(角川書店)p.312 (5)『日本家紋大事典』(新人物往来社)pp.244-262 (6)『家紋の事典』(東京堂出版)pp.126-127 1. 分類番号2
先の自民党総裁選で高市早苗候補(現・政調会長)が皇室継承問題について、「男系男子の維持」とともに「旧宮家の復活」を掲げたことで、「旧宮家って何?」となっている。 旧宮家というと、平安朝のようにみやびな宮廷の中で天皇のそばで仕える人たちを連想するが、江戸時代、天皇も宮家もそれほど優雅ではなかった。当時、天皇家は「禁裏十万石」といわれたが、実際は3万石ぐらいだったから、地方にある小大名ぐらいの収入だったはずである。 天皇は日常の食事も節約しなければならないほどつつましやかで、即位しても即位礼ができなかったこともあったという。 天皇の周りには親王家といわれる宮家が4家あったが、彼らも経済状況は天皇家と同じで苦しかったようだ。例えばそのひとつに伏見宮家がある。 600年ほど前の室町時代に天皇家から分かれた宮家で、戦後、皇籍離脱した11宮家は、血のつながりでいえば、すべてこの伏見宮の子孫である。 そ
壬申の乱は、672年、兄・天智天皇の後継を望んでいた同母弟・大海人皇子が、天智天皇崩御後、子どもの大友皇子が弘文天皇に即位したことを恨み、兵を挙げ、自害に追い込んだといわれる内乱である。 時代背景も人心も違う現代で、このようなことは起こりえないだろうが、似たような構図が天皇と秋篠宮にあることは否定できないのではないか。 天皇家と秋篠宮家との関係を年代順に見てみたい。 萌芽は2004年だった。皇太子(当時)が会見で、「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあった」と発言した。「浩宮の乱」とまでいわれて騒ぎになった。 「壬申の乱の勃発を招きかねません」 秋篠宮はそのことについて、「記者会見という場で発言する前に、せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったかと思っております」と苦言を呈した。 秋篠宮のいい分に利ありとメディアは挙こぞって秋
手元に、日本銀行を筆頭に26社が並ぶ手書きのリストがある。昭和11年に皇室が所有していた株式のリストで、所有株数や払込額も書かれている。これが収められているのは『昭和十一年度 宮内省豫算案』という極秘文書だ。ペンで「内大臣」とあるから、当時の牧野伸顕内大臣に説明するために書かれたものだろう。 このリストによれば、皇室が株式に払いこんだ金額は総額約6230万円。現在の貨幣価値で約1800億円(大卒初任給などと比較して2800倍に。以下同)で、ここから得られる配当収入は約150億円になる。所有株26社のほとんどが「特殊銀行」か「国策会社」だ。特殊銀行とは、特別な法律を基に設立した政府系金融機関のことで、日本銀行を含めて8行あるが、このすべてを所有している。国策会社は、南満州鉄道のように、国策を推進する目的で設立された半官半民の会社である。いずれも戦前の日本の屋台骨だ。 総額4400億円の資産
えいいちのはなしANNEXこのブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。 現在の天皇家は「北朝」の子孫です。 なのになぜ、「南朝が正統」とされているのか? 足利義満が「南朝を正統と認めます」という政治的決着で南北朝を合一したから、です。 そんな馬鹿な、南北朝は「北朝勝利」で終わったから、南朝の子孫は消えて、北朝の子孫が今の天皇に至るのではないのか? 実質的にはそうでも、形式的には、南北朝の分裂は「南朝正統」で決着したんです。 「南北朝の戦い」というのは、実は「源平合戦」と同じくらい、誤解を招く表現です。南北朝時代を「南朝と北朝が戦った時代」と考え「北朝の勝利で終結した」という捉え方は、あまり実情を反映していないからです。 つまり、北朝
“ご結婚”にみる「甘え」の構図 私の「違和感」は、眞子さまと小室さんが、最初に婚約会見を開いた時からありました。 4年前の小室さんの職業だった「パラリーガル」は、法律事務所の弁護士見習いの事務職員で、年収はそう高くありません。その20代男性が、大学同窓の女性と結婚するなら、普通は共働きを考えるでしょう。 もしくは男性が弁護士になってから結婚に踏み切るか。でもお2人には、最初からそんな人生設計があったようには見えません。ただただ一緒にいたい、それだけで周囲を押し切った「純愛」なのかもしれません。 でも、意識の底に、皇室の存在と支援を頼りにしていた「甘え」がなかった、とは言い切れないでしょう。秋篠宮家もそれを黙認したことが、発表に至った理由とも考えられます。 その後さまざまな問題が発覚して、小室さんは米国へ。金銭トラブルがあるにも関わらず、学費の安い地方の州立大などではなく、お金のかかるニュー
「卑弥呼ひみこ」と言えば弥生時代やよいじだいの「邪馬台国やまたいこく」の女王としてあまりにも有名です。中国ちゅうごくの歴史書「三国志さんごくし」に登場し、当時の日本にほんで大きな力を持っていたような記述をされる卑弥呼ですが、日本側には記録がありません。 気になるのは女王卑弥呼と「天皇家てんのうけ」との関係なのではないでしょうか。今回の記事では卑弥呼と天皇家との関係について考えてみましょう。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメ
進学先に注目が集まっていた秋篠宮家の長男、悠仁さまについて、12月11日、各メディアが一斉に、筑波大学に推薦入試で合格したと報じた。秋篠宮さまは11月25日に行った記者会見で、悠仁さまの進学先などをめぐる「いじめ的情報」について発言されたが、武蔵大学社会学部教授の千田有紀さんは「近年の秋篠宮家への風当たりは確かに強く、当事者としてはいじめと受け取り心を痛めるのは当然のことだ。しかし、いじめという言葉はかなり強い言葉であり、『いじめの主体は、国民である』とも受け取られかねないのではないか」という――。 【写真】笑顔を見せる秋篠宮さまとどこか緊張気味な悠仁さま ■記者会見で「いじめ的情報」と発言 秋篠宮さまが、11月30日の59歳の誕生日を前に行った記者会見で、「いじめ」という言葉を使われた。最近の、秋篠宮家に関する報道やネットの書き込みなどについて、記者から「秋篠宮家へのバッシングとも取れる
感染力の強い新型コロナウイルス・デルタ株の勢いは衰えず、日本国内の新規感染者減少は見えてこない。 非常事態宣言は開催地・東京を含む21都道府県に拡大、「まん延防止等重点措置」が適用された自治体は12県になった。 そうした中で東京パラリンピックが始まった。 天皇陛下が「呼吸機能の弱いアスリートや基礎疾患を抱えるアスリートの重症化のリスク」を心配される(国際パラリンピック委員会=IPO=幹部へのご挨拶)中でのパラリンピックの開催強行だった。 世界はどう見たか。 意外なこと(?)に、海外メディアは、五輪の時とは異なり、好感を持って開幕の模様を報じた。 全米地方紙が掲載するAP通信の特派員はこう報じた。 「五輪の時と同じく無観客の開会式だったが、パラリンピック開催に反対するデモは少人数で、開催にこぎつけた安堵感とパラリンピック・アスリートへの歓迎ムードにあふれていた」 東京五輪報道では、最初から最
天皇家の長男は将来の天皇となるために特別な教育を受ける。一方でその兄弟は天皇を補佐する役目を果たすように求められ、同じ家庭に育つ兄弟であっても人柄には差が現れてくる……。皇族について多くの著書を持つ小田部雄次氏は天皇家の教育についてそのように紹介する。 それでは、天皇陛下と秋篠宮殿下の間には、具体的にどのような人柄の違いがあったのか。ここでは同氏の著書『皇室と学問 昭和天皇の粘菌学から秋篠宮の鳥学まで』(星海社新書)の一部を抜粋し、お二人の幼少期の振る舞いに迫る。(全2回の2回目/前編を読む) ◆◆◆ 平成の天皇の次男として、令和の天皇の弟として 秋篠宮文仁親王は令和の天皇の5つ下の弟である。明治以後、代々の天皇家はその長男が皇位を継承してきた。天皇家の長男は将来の天皇になるために特別な教育などを受けてきた。しかし、次男や三男たちは、皇位を継ぐ長男と対抗することによる混乱を生じさせないため
9月19日に行われたエリザベス女王の国葬には、日本から天皇皇后両陛下が参列した。ジャーナリストの大門小百合さんは、「亡くなったエリザベス女王は、イギリスにとっても激動だった70年間王位を務め、国民から高い人気を集めていた。しかし、王室への支持は世代によって温度差があり、跡を継いだチャールズ新国王の前途はバラ色ではない」という――。 注目を集めた天皇皇后両陛下 エリザベス女王の国葬が、9月19日、ロンドン市内のウェストミンスター寺院で営まれた。過去70年間にわたりイギリスと英連邦の君主であった女王の死を、イギリスだけでなく、世界中の人が悼んだ。 そんな中、欧米のメディアでも注目されたのが、天皇、皇后両陛下の葬儀への参列だ。イギリスの新聞テレグラフは9月16日、「日本の天皇は、世界のリーダーが女王の葬儀に集うなか、バスでやってくる」という見出しの記事を載せた。 ワシントンポストも9月17日に、
NHK大河で描かれた中宮彰子の挫折感 NHK大河ドラマ「光る君へ」の第40回「君を置きて」では、中宮彰子(見上愛)の挫折感が描かれた。 父の藤原道長(柄本佑)は、彰子が一条天皇(塩野瑛久)の第二皇子、敦成親王(濱田碧生)を出産してから、この親王を一刻も早く東宮(皇太子)の座に就けることに腐心してきた。本来であれば、皇后定子(高畑充希)が産んだ第一皇子、敦康(片岡千之助)が先に東宮になるのが順当で、一条天皇も彰子もそれを望んでいた。 彰子はなぜ自分の子である敦成親王より敦康親王を優先しようとしたのか、と疑問に思うかもしれない。これは一条天皇の思いに寄り添おうという意思だけでなく、早くに母を亡くした敦康を、彰子が長年養育してきたという事情による。 それに、寛弘8年(1011)のこの時点では、敦康親王は数え13歳で敦成親王はまだ4歳。彰子にすれば、実子の立太子を急ぐ必要はなかったが、当時は老齢と
国民の8割は“女性天皇”を支持 3月17日に行われた敬宮としのみや(愛子内親王)殿下の記者会見は、幅広い国民に清らかな感動を与えた。 ご誠実さとユーモア、穏やかで優美な雰囲気が、ご会見を印象深いものにした。国民が皇室に対して漠然と抱いているイメージや憧れを、目に見えるお姿、挙措動作によって、鮮やかに具現化された。これぞ“皇室直系”との感を深くした人も少なくなかっただろう。 もともと国民の間には、「女性天皇」という選択肢への支持は高い。たとえば令和3年(2021年)4月に共同通信が実施した世論調査では、賛成が87%、反対が12%という数字だった。そのような素地があった上で、光輝くようなご会見が行われた。そのために、“愛子天皇”待望論がますます高まったのは、ある意味では当然とも言えよう。 これは誰彼と比較しての話ではない。天皇陛下のお子様が、お健やかでご聡明というレベルを超えた、まばゆいばかり
宮内庁のHPより 常人には理解に苦しむトリッキーな主張と、「会話をとっさにICレコーダーで隠し録り」という裏社会の住人が使うような手口に多くの国民がドン引きした「小室文書」。だが、皇室を長く取材してきたジャーナリストやメディアの間では、新事実が何もない「言い訳文書」などより、ある前代未聞の事態のほうが注目を集めている。小室圭さん・佳代さん親子と元婚約者の金銭トラブルに、眞子さまが自らの意志で「介入」していたのだ。 「小室文書」が発表された翌日、秋篠宮家の最側近・皇嗣職大夫は会見を催して、この文書については眞子さまと小室家側が相談した上で出されたものだと明かし、小室圭さんが主張している「名誉を守るために金を返さない」という方針も、「眞子さまのご意向が大きかった」と述べている。これを耳にした元婚約者が、どれほどの恐怖とプレッシャーを受けたのかは容易に想像できよう。 戦後の象徴天皇制になってから
男系男子による皇位継承の維持を選択した政府の有識者会議。「旧宮家の男系男子の皇族復帰」案が、皇族数の確保策として初めて明記されたことで、旧宮家が注目されている。かつて天皇家に跡継ぎがない時には宮家から天皇を出し、明治維新以降も、天皇の皇女(内親王)の嫁ぎ先になり、皇后の生家にもなった。戦後に11宮家51人が皇籍離脱して一般国民となったが、「もう一つの天皇家」とも言われる旧宮家の歴史を連載でたどる。 1964年秋の東京オリンピックの直前に、当時、東洋一の規模を誇る国際ホテルとして都心(千代田区紀尾井町)にオープンした「ホテルニューオータニ」。ここに旧宮家の「伏見宮(ふしみのみや)」家の広大な邸宅があった。約7ヘクタールで、東京ドームの面積の1.5倍にもなる。同ホテルの庭園にその名残りをとどめている。 旧宮家の中でも最も古く、宗家とされる伏見宮家は、南北朝時代の北朝3代崇光(すこう)天皇の第一
問題視されたパワハラの内容について警察関係者が語る。 「今年4月、赤坂護衛署の50代の副署長が、皇宮警察内で初めて新型コロナウイルスに感染しました。数週間以上の療養後に職場復帰したのですが、菅弘悦署長が彼の席の周囲にパーテーションを立てることを指示。すでに陰性となっていた副署長に対して無意味な“隔離”を行ったのです」 皇宮警察本部 ©共同通信社 菅署長はほかにも“パワハラ”といえる行為をしていた。 「冠婚葬祭のために署員が遠出を申し出ると、『行ってもいいが、それで新型コロナに感染したら職を辞するという念書を書くように』と迫ったのです。署員は困惑していました」(別の警察関係者) そうした菅署長の行為は、やがて署内で問題視されるようになったという。 「過剰ともいえる新型コロナへの対応に署員の不満が高まり、『あまりにひど過ぎる』という内部告発が寄せられ、調査も行われたようです。菅氏はまだ50代半
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