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琉球王国の検索結果1 - 27 件 / 27件

  • nix in desertis:高校世界史における中世・近世の「琉球王国」問題

    久々の高校世界史深堀りシリーズ。先日Twitterでこんなアンケートを取った。回答してくれた方々はありがとうございます。 ちょっと気になるので,アンケートをとってみたい。知っている人は知識で,知らない人は調べずにイメージでお答えください。 琉球王国の最盛期はいつ?(最盛期の定義が曖昧ということであれば,万国津梁の鐘の作られた時期をお答えください) — DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) June 3, 2020 正解は万国津梁の鐘の制作年が1458年なので,一番上の「1429年〜16世紀前半」が正しい。実際に琉球王国の最盛期はこの時期であるというのが一般的な認識であろう。後述の理由から正解者は少ないだろうと思っていたのでそこはあまり驚きがなかったのだが,こんなに綺麗に解答が割れたのは予想外だった。琉球王国の盛衰については,Call of Histroryさんの次の

    • 「沖縄は地政学的な要所だとよくわかる」南北を横にした琉球王国の交易ルート図が新鮮な驚きと発見を与えてくれる

      琉球史マンガ@上里隆史 @mangaryukyu 僕の著書では、琉球王国の交易ルート図は一貫して南北を横にして掲載している。この地図のほうが、琉球の活動をより広がりをもって眺めることができると考えたから。地球は丸い。上も下もあるわけない。 pic.twitter.com/x4VWLoKfNx 2020-06-05 22:37:30

        「沖縄は地政学的な要所だとよくわかる」南北を横にした琉球王国の交易ルート図が新鮮な驚きと発見を与えてくれる
      • 琉球王国はあったのにアイヌ国家はなかったというが

        そもそもあの頃の国家の定義ってなんなんだろうな。 近代国家よりは当然後世の研究者が国家と認めるうえでの要件が緩いはずなんだが。 アイヌ民族 ・すくなからず大和朝廷や武家政権から対外的に独立してる時期はあった。 ・一定の土地に一定の民族意識を持った人々が世代交代を繰り返していた(ある意味で領土人民が存在してる) あれ?これってほとんど国家じゃね?? 琉球王国は我々は琉球王国だと名乗ってる文献でもあったんだろうけど、別に現代のイスラミックステートがそうであるように名乗ってることは国家の要件じゃないからねえ。 自称がないのならば教科書等でどうアイヌ人の国家を指し示すかというのは議論の余地があるが、国家があったかどうかはまた別の問題なんよね。 指導者がいないから国家じゃないってところだろうか?でも直接民主主義ならそういうの不要だしなあ。 各々が家族規模で狩り等やっててその隣接する集団間で多少なりと

          琉球王国はあったのにアイヌ国家はなかったというが
        • 琉球王国の国王の肖像画 アメリカで見つかる 沖縄県に引き渡し | NHK

          太平洋戦争末期の沖縄戦の混乱で行方がわからなくなっていた、琉球王国の国王の肖像画「御後絵(おごえ)」などが、アメリカ国内で見つかり、沖縄県に引き渡されました。県は、琉球・沖縄の美術史や文化史の研究で重要な手がかりになると期待を寄せています。 沖縄県によりますと、太平洋戦争末期の沖縄戦の混乱で行方がわからなくなっていた、 ▽十三代尚敬王と ▽十八代尚育王の 2点の肖像画が含まれています。 いずれも1メートル60センチ四方の大きさで、▽十三代尚敬王は1817年、▽十八代尚育王は1852年の、琉球王国時代に描かれたとみられています。 県は2001年、アメリカのFBI=連邦捜査局に日本国外に流出したとみられる文化財の捜査を要請していましたが、2023年3月、外務省を通じて、アメリカ国内で22点が発見されたとの連絡があり、14日、県に引き渡されたということです。 琉球王国の国王の肖像画は日本国内で現

            琉球王国の国王の肖像画 アメリカで見つかる 沖縄県に引き渡し | NHK
          • 『琉球王国は誰がつくったのか』沖縄は海賊の島だった? - 歴ログ -世界史専門ブログ-

            琉球王国形成の典型イメージを変える一冊 『琉球王国は誰がつくったのか 倭寇と交易の時代』(七月社 吉成直樹 著)を読みました。 文字通り沖縄の琉球王国の成立に関する著作です。 従来は、琉球王国は沖縄本土の農業社会の発展によって力をつけた支配者が、山北、中山、山南の三王国を形成し、最終的に中山の尚氏が統一を果たすと考えられてきました。 しかし本書によると、琉球王国は倭寇の大きな影響力のもとで成立した国であり、王族の尚氏も日本からの移住者、具体的には肥後の佐敷、現在の熊本県芦北町からの移住者ではないかという説が述べられています。 さらに、王国の成立には中国の政治環境が大きく関わっていたことも詳しく述べられており、琉球王国や沖縄の歴史を知る上で新たな発見がある本ではないかと思います。 1. 琉球列島は倭寇の影響下にあった 琉球王国の王族は熊本からの移住者説 14世紀初頭から沖縄本島には山北、中山

              『琉球王国は誰がつくったのか』沖縄は海賊の島だった? - 歴ログ -世界史専門ブログ-
            • 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ | 琉球王国交流史デジタルアーカイブの公開資料の拡充について(2022/8/4)

              浦添市教育委員会発行『琉球王国評定所文書』 下記の通り、浦添市教育委員会の協力を得て、琉球王国交流史デジタルアーカイブの公開資料に『琉球王国評定所文書』(1~18・補遺別巻等)を追加いたしました。なおPDFの公開は著作者の承諾が得られたものに限り、第1~3巻についてはテキストデータも公開しています。 今後とも琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブをご活用いただきますよう、よろしくお願いいたします。 また、よろしければ本デジタルアーカイブへのアンケートにご協力ください。 【令和4年8月4日付け公開資料】 1 琉球王国評定所文書 第1巻(巻頭論考および解題含む22件、30.2万字) 2 琉球王国評定所文書 第2巻(巻頭論考および解題含む26件、27.7万字) 3 琉球王国評定所文書 第3巻(巻頭論考および解題含む16件、26.2万字) 4 琉球王国評定所文書 第4巻(巻頭論考および解題

              • 今帰仁城跡【世界遺産】…琉球王国の面影を訪ねて - kumakuma blog   クマ子の奈良歩き

                さて、今回も「クマ子のおでかけ・沖縄編」ですが、第二弾にして、完結編であります! 前回の沖縄編・第一弾では、祖父の慰霊の旅の様子をご紹介させていただきました☟ www.norikuma2.com また、別ブログ「クマ子の卒母DAIRY」の方の最新記事では、沖縄美ら海水族館へ行った時の様子をレポさせていただきました☟ www.xkumaco.com 今回は、クマ子が沖縄旅行で一番行きたかった場所をご紹介します( *´艸`) その名は…「今帰仁城跡」です♪ 世界遺産「今帰仁(なきじん)城跡」と桜 琉球王国時代に想いを馳せる遺跡「今帰仁城跡」 琉球での祭祀・御嶽(ウタキ) 今帰仁城跡からの素晴らしい眺め 今帰仁城跡で見つけた意外なモノ まとめ 世界遺産「今帰仁(なきじん)城跡」と桜 以前から、琉球王国特有の城(グスク)であるという今帰仁城跡に行きたいなぁと思っていた私は、母が「美ら海水族館」に行

                  今帰仁城跡【世界遺産】…琉球王国の面影を訪ねて - kumakuma blog   クマ子の奈良歩き
                • 海を渡った琉球王国時代の“家譜”  ブラジルから寄贈 | TBS NEWS DIG

                  沖縄戦などで多くが散逸した琉球王国時代の士族の家系図「家譜」がブラジルで見つかり、沖縄県立図書館に寄贈されました。この家譜は、1767年に生まれた志良堂筑登之親雲上清格からおよそ90年間、4代にわたる士族…

                    海を渡った琉球王国時代の“家譜”  ブラジルから寄贈 | TBS NEWS DIG
                  • 琉球王国はどんな国家だったの? 沖縄の近現代を学ぶ高校副読本 プリントなど活用しやすく 沖縄歴史教育研

                    琉球王国はどんな国家だったの? 沖縄の近現代を学ぶ高校副読本 プリントなど活用しやすく 沖縄歴史教育研 沖縄大客員教授で沖縄歴史教育研究会顧問の新城俊昭さんはこのほど、高校の新学習指導要領で必修科目となった「歴史総合」の副読本「歴史総合と沖縄」を発行した。学習プリントとして活用できる「学習ノート」を作成し、イラストや写真を多用するなど、授業でスムーズに活用できる形になっている。 同書は主に新城さんが執筆し、沖縄歴史教育研究会の協力を得て編集した。六つの章で構成する。第1章ではウチナーンチュはどこからやってきて、琉球王国はどのような国家だったかについて、第2章はアヘン戦争やペリー来航などについて図などを交えて解説。第3章「琉球王国から沖縄県へ」、第4章「沖縄県政と日本への同化政策」、第5章「15年戦争と沖縄」と続き、第6章は戦後の沖縄をテーマとする。 生徒の関心を引き出すよう写真やイラスト、

                      琉球王国はどんな国家だったの? 沖縄の近現代を学ぶ高校副読本 プリントなど活用しやすく 沖縄歴史教育研
                    • 琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

                      問い合わせ先:沖縄県教育庁文化財課 TEL:098-888-3939 / FAX:098-888-3944 MAIL:aa318005@pref.okinawa.lg.jp

                      • 琉球王国末期に撮影、首里城「最古の写真」…平成復元の正殿とは異なる姿

                        【読売新聞】 那覇市の首里城火災から31日で2年を迎える。再建に向けた検討が進む中で、琉球王国末期の1877年(明治10年)に撮影された、現存最古の正殿の写真が確認された。2019年に焼失した平成復元の正殿と違って、正面階段脇の「大

                          琉球王国末期に撮影、首里城「最古の写真」…平成復元の正殿とは異なる姿
                        • 【写真特集】琉球王国から沖縄県へ…よみがえる戦前の姿:朝日新聞デジタル

                          大正~昭和の沖縄の街や人を写した写真165枚が、朝日新聞大阪本社で見つかりました。禁止された裸足、帯を締めない着物、南国ならではの建築スタイル……。「琉球王国」から日本の「沖縄県」へと変容し、のちに戦争で失われることになる沖縄のありし日の姿が、沖縄タイムスとの取材でよみがえりました。 ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN

                            【写真特集】琉球王国から沖縄県へ…よみがえる戦前の姿:朝日新聞デジタル
                          • 沖縄のシンボル・首里城とは 琉球王国450年の政治と文化の中心 沖縄戦で全焼し復元された世界遺産 - 琉球新報デジタル

                            首里城正殿=2018年12月撮影 首里城は1429年から1879年までの約450年間、琉球王国の中心的な城で、政治と文化の中心だった。首里城公園の公式ホームページによると、内郭(内側城郭)と外郭(外側城郭)に大きく分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成している。 昭和初期頃の首里城正殿 公式ホームページによると、首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国を統治する行政機関である「首里王府」の本部でもあった。各地に配置された神女たちを通じて、王国祭祀を運営する宗教上のネットワークの拠点でもあった。首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が数多く活躍。首里城は文化芸術の中心でもあった。 陥落後の崩壊した首里城=1945年(県公文書館所蔵) 首里城正殿は1925年に「沖縄神社拝殿」として国宝に指定されたが、1945年の沖縄戦で焼失。戦

                              沖縄のシンボル・首里城とは 琉球王国450年の政治と文化の中心 沖縄戦で全焼し復元された世界遺産 - 琉球新報デジタル
                            • 琉球王国に朝鮮、欧州系が定着か 15~16世紀、DNAを分析 | 共同通信

                              Published 2022/05/22 15:49 (JST) Updated 2022/05/22 16:05 (JST) 沖縄県南城市の神座原古墓群に納骨されていた男性3人のDNAを分析した結果、年代は15~16世紀ごろで、それぞれ日本や朝鮮半島、欧州などに由来していたことが22日、研究チームへの取材で分かった。「交易拠点として栄えた琉球王国に外国人が定着していた」と説明している。 2019年、住民の依頼を受けた土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム(山口県下関市)の松下孝幸館長(形質人類学)らが詳しく調べた。 研究チームによると、細胞内のミトコンドリアに含まれるDNAを分析。1人は沖縄を含む日本列島、1人は朝鮮半島、残る1人は西欧か中央アジア由来で、母系の遺伝子が異なっていた。

                                琉球王国に朝鮮、欧州系が定着か 15~16世紀、DNAを分析 | 共同通信
                              • 琉球王国時代の衣服について、王族・士族と庶民の着分けについて記載された資料はないか。 | レファレンス協同データベース

                                以下の資料を案内した。 1 『沖縄大百科事典 下 ナ~ン』(沖縄大百科事典刊行事務局、沖縄タイムス社、1983年) p949「琉装」の項で、王府時代の成人男女の装束について説明がある。 p334-335「紅型」の項で、「紅型は王族・士族の礼服として、また冊封使歓待の宴で演じられる御冠船踊の衣装として着用された。・・・着用が王族・士族に 限られていた・・・」と説明がある。 2 『沖縄民俗辞典』(渡邊欣雄ほか、吉川弘文館、2008年) p569-571「琉装」の項で、琉球時代の人々の服装について説明がある。 p35-36「衣服」の項で、琉球時代の衣類について説明がある。 3 『わたしの琉装研究』(渡口文子先生定年退官記念事業会 編・刊、1988年) p15-21「琉装の形態」の項で、「琉装の服装は、男女共ウフソデの衣裳で、女子は二部式の胴衣にかかんが平常着で、外出着には打かけを着る姿が貴族 を

                                  琉球王国時代の衣服について、王族・士族と庶民の着分けについて記載された資料はないか。 | レファレンス協同データベース
                                • 首里城 琉球王国時代の正月儀式再現 火災の影響で規模は縮小 | NHKニュース

                                  火災で主要な建物が全焼した那覇市の首里城で、琉球王国時代の正月の儀式を再現する催しが例年より規模を縮小して開かれ、訪れた人たちからは、城の早期の再建を願う声が多く聞かれました。 ことしの催しは、城の「正殿」前にある中庭が火災によって立ち入りが禁止されているため、手前にある門の付近で開かれました。 ドラやラッパの音が鳴り響くなか、門の扉が開くと色鮮やかな朱色の衣装に身を包んだ国王と王妃の役の2人が姿を現しました。 例年は、正殿前の中庭で王族役など数十人が参列して華やかな儀式が行われてきましたが、今回はスペースが限られたため規模は大幅に縮小されました。 訪れた人たちは、火災で一部が焼けた門を背景に、国王と王妃役の2人の姿を写真に収めていました。 新潟県から訪れた女性は「王妃の姿が美しくて感動しました。こうして観光で訪れることで復興につなげていきたいです」と話していました。 また、首里城の近くに

                                    首里城 琉球王国時代の正月儀式再現 火災の影響で規模は縮小 | NHKニュース
                                  • 2月1日は春日神社王祇祭、ヤーヤ祭り、石清水八幡宮湯立神事、ゆでたまごの日、かに看板の日、ギョーザの日、二月礼者、重ね正月、2分の1成人式の日、琉球王国建国記念の日、仙台市天文台の日、フレイルの日、ケンハモ「メロディオン」の日、ニオイの日、LG21の日、テレビ放送記念日、等の日&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

                                    おこしやす♪~ 2月1日は何の日? その日の出来事は? 2023年 2月1日は春日神社王祇祭、ヤーヤ祭り、石清水八幡宮湯立神事、ゆでたまごの日、かに看板の日、ギョーザの日、二月礼者、重ね正月、2分の1成人式の日、琉球王国建国記念の日、仙台市天文台の日、フレイルの日、ケンハモ「メロディオン」の日、ニオイの日、LG21の日、テレビ放送記念日、等の日です。 ■王祇祭(黒川能)(~2日)【山形県鶴岡市櫛引町、春日神社】 春日神社王祇祭 カスガジンジャオウギサイ www.youtube.com 黒川能が奉仕される黒川地区の最大の祭。1日には当屋の上座下座の神宿で行事が、2日には春日神社で神事が行われます。王祇様という御神体が宮下りして当屋に迎えられ、氏子を招いて饗宴を開き夜を徹して能が舞われますが、このふるまいには豆腐が出されるため、豆腐まつりとも呼ばれます。 毎年2月1日から2日にかけて行われる春

                                      2月1日は春日神社王祇祭、ヤーヤ祭り、石清水八幡宮湯立神事、ゆでたまごの日、かに看板の日、ギョーザの日、二月礼者、重ね正月、2分の1成人式の日、琉球王国建国記念の日、仙台市天文台の日、フレイルの日、ケンハモ「メロディオン」の日、ニオイの日、LG21の日、テレビ放送記念日、等の日&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)
                                    • 琉球王国彩る御殿・寺の秘められた歴史 首里城再建で高まる復活への熱望 | 毎日新聞

                                      首里城(那覇市)の再建に向けた動きが本格化する中、火災で焼失した正殿などだけでなく、琉球王国時代に周辺にあった関連施設の復元を求める声が上がっている。「中城御殿(なかぐすくうどぅん)」や「円覚寺」と呼ばれた建物だ。琉球王国にとって重要な施設だったが、太平洋戦争末期の沖縄戦で焼失した。いったいどんな建造物だったのか――。【遠藤孝康/那覇支局】

                                        琉球王国彩る御殿・寺の秘められた歴史 首里城再建で高まる復活への熱望 | 毎日新聞
                                      • <書評>『琉球王国の成立と展開 よくわかる沖縄の歴史』 従来論への容赦ない検証 - 琉球新報デジタル

                                        『琉球王国の成立と展開 よくわかる沖縄の歴史』来間泰男著 日本経済評論社・2200円 本書は2018年1月から20年3月までの間、著者が『琉球新報』紙に連載した沖縄の歴史をめぐる13話の中から10話を選び、まとめた一冊である。著者は本書の前にも『沖縄史を読み解く』と題した5巻9冊の著作を物していた。本書では「その中から本質的なことを選び出し、その要約版にしよう」と考え、まずは琉球国の成立から島津侵攻までを取りまとめたと述べている。 10話の表題は、第1話農耕はいつ始まったか、第2話グスクは戦いの砦か、第3話按司は武士なのか、第4話琉球王国はなぜできたか、第5話三山は武力で統一されたか、第6話阿麻和利の乱はあったか、第7話「大交易時代」はあったか、第8話尚真の時代は「黄金時代」か、第9話琉球中世に租税はあったか、第10話日本と琉球の社会、どう違うか、である。 いずれの表題もこれまでの琉球・沖

                                          <書評>『琉球王国の成立と展開 よくわかる沖縄の歴史』 従来論への容赦ない検証 - 琉球新報デジタル
                                        • 琉球王国トランプとは - 沖縄B級ポータル - DEEokinawa(でぃーおきなわ)

                                          2020年12月に発売された「琉球王国トランプ」。 先日訪れた沖縄そば屋さんになぜか売っていたので買ってみました。 価格は税込1650円。 調べてみると、作製されたのはデザイン、観光などいろいろ学べる専門学校KBC学園に勤める知念さんという方。 トランプの柄はもちろん沖縄モチーフです。 そして気になるキングやクイーンなど人物が描かれる札はこう。 琉球王朝時代の王や活躍した人が描かれていました。 人物一覧がわかる紹介もありました。 尚巴志王と、尚円王。 百度踏揚と恩納ナビー。 裏側は三山の系図も。 ちなみに2枚あるジョーカーの一枚はこちらの方。 木田大時という人で、神通力が嘘だと疑いをかけられた結果処刑されてしまった占い師。 箱に入れられた1匹のネズミを、箱の中にいるのは5匹だと言ったので力がないと判断されたのですが、実はネズミは4匹の赤ちゃんを孕っていたので5匹で合っていたとかなんとかの悲

                                            琉球王国トランプとは - 沖縄B級ポータル - DEEokinawa(でぃーおきなわ)
                                          • 国宝に指定 琉球王国時代の国王の「玉冠」3日から一般公開|NHK 沖縄県のニュース

                                            琉球王国時代に国王が着用したとされる国宝の「玉冠」が、那覇市歴史博物館で3日から一般公開されるのを前に、2日、報道陣に特別に公開されました。 国宝に指定されている「玉冠」は、琉球王国時代に国王が即位などの重要な儀式の際に身につけたとされ、18世紀から19世紀ごろに作られたと見られています。 3日からの一般公開を前に、2日は報道陣に特別に公開されました。 「玉冠」は金や銀、それにサンゴなどで作られた7種類の飾り玉があわせて288個施されているほか、冠についている金のかんざしには、王の権威を表す2頭の竜が精巧に彫り込まれています。 「玉冠」は、戦前までは同じ形のものが複数確認されていましたが、沖縄戦で焼失し、現存するのは今回展示される1点だけだということです。 那覇市歴史博物館の伊集守道主任学芸員は「この時期は多くの観光客も訪れるので県内外の人に見てもらい、琉球王国に思いをはせてほしい」と話し

                                              国宝に指定 琉球王国時代の国王の「玉冠」3日から一般公開|NHK 沖縄県のニュース
                                            • 🌴宮古島ファン🌴 on Twitter: "同僚(60代)がテレビで首里城の火災の様子を見ながら、「もしこれが40〜50年前なら宮古では拍手喝采だっただろう」と言っていた。先島諸島は琉球王国に人頭税で苦しめられた歴史があるため。 正義は一つじゃない。"

                                              同僚(60代)がテレビで首里城の火災の様子を見ながら、「もしこれが40〜50年前なら宮古では拍手喝采だっただろう」と言っていた。先島諸島は琉球王国に人頭税で苦しめられた歴史があるため。 正義は一つじゃない。

                                                🌴宮古島ファン🌴 on Twitter: "同僚(60代)がテレビで首里城の火災の様子を見ながら、「もしこれが40〜50年前なら宮古では拍手喝采だっただろう」と言っていた。先島諸島は琉球王国に人頭税で苦しめられた歴史があるため。 正義は一つじゃない。"
                                              • なぜ沖縄の近代化は遅れたのか…日本に突然編入されて「沖縄県」となった琉球王国の数奇な歴史 上級士族の特権を維持した「琉球処分」は現在も続いている

                                                大久保利通を悩ませた島津久光と琉球王尚泰 明治初期、維新政府の大久保利通の頭を悩ませた2人の人物がいた。島津久光と琉球王尚泰である。 久光はかつての主君で「玩古道人がんこどうじん」と自称する保守派。1871年の廃藩置県は久光への裏切りでしか断行できなかった。久光は花火を打ち上げて怒りを晴らそうとした。廃藩後も全国の旧領主層の輿望を担った久光への対応に大久保は苦慮し、「左大臣」の待遇で政府閣僚にしたものの、大久保の辞職を迫る久光に匙を投げざるを得なかった。 一方、1872年、久光の側近で外務官僚の伊地知貞馨は沖縄に渡り、『沖縄志』を編纂している。同年、維新慶賀使は「尚泰を琉球藩王と為し華族に列する」旨の明治天皇の冊封詔書を手渡された。この時点で、琉球は日本に組み込まれ、琉球藩となったのである。日本政府は「唐の世」を終わらせたかったのだ。 日本政府は「国家統治の証し」の準備に奔走 しかし、あい

                                                  なぜ沖縄の近代化は遅れたのか…日本に突然編入されて「沖縄県」となった琉球王国の数奇な歴史 上級士族の特権を維持した「琉球処分」は現在も続いている
                                                • 喜多野土竜【 ⋈ 🌰🎍】💉💉+💉 on Twitter: "コレはもうひとつ面白い話があって、薩摩藩が琉球王国を利用しての密貿易で、中国へ昆布を大量に輸出していた。 その時に利用されてたのが、越中富山の薬売り。 昆布を薬として東北から買い集めて、富山から薩摩まで薬として発送していた。 結果… https://t.co/xao0CJ8sNN"

                                                  コレはもうひとつ面白い話があって、薩摩藩が琉球王国を利用しての密貿易で、中国へ昆布を大量に輸出していた。 その時に利用されてたのが、越中富山の薬売り。 昆布を薬として東北から買い集めて、富山から薩摩まで薬として発送していた。 結果… https://t.co/xao0CJ8sNN

                                                    喜多野土竜【 ⋈ 🌰🎍】💉💉+💉 on Twitter: "コレはもうひとつ面白い話があって、薩摩藩が琉球王国を利用しての密貿易で、中国へ昆布を大量に輸出していた。 その時に利用されてたのが、越中富山の薬売り。 昆布を薬として東北から買い集めて、富山から薩摩まで薬として発送していた。 結果… https://t.co/xao0CJ8sNN"
                                                  • 明治政府が閉じた琉球王国450年の幕 日清戦争で日本領に|大人の基礎ノート 5分でわかる世界史

                                                    1965年生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科史学専攻修了。現在、東京都立立川高校で世界史を教える。著書に「世界史読書案内」(岩波ジュニア新書)、「やりなおし高校世界史―考えるための入試問題8問」(ちくま新書)、「第2版 ポイントマスター世界史Bの焦点」(山川出版社)、「『なぜ!?』からはじめる世界史」(山川出版社)、「大人の学参 まるわかり世界史」(文春新書)など。

                                                      明治政府が閉じた琉球王国450年の幕 日清戦争で日本領に|大人の基礎ノート 5分でわかる世界史
                                                    • 14色のペン:教科書は間違いなの? 貿易国家・琉球王国の素顔に迫る/上 | 毎日新聞

                                                      琉球王国の繁栄ぶりを記した「万国津梁の鐘」の複製=那覇市の首里城で2022年10月11日午後4時1分、比嘉洋撮影 沖縄は150年近く前まで独立国でした。明治政府が武力で日本に組み入れ、沖縄県とした「琉球処分」(1879年)まで450年以上続いたとされる琉球王国が、その独立国です。大海原にこぎ出し海洋貿易で栄えた王国――。沖縄出身の私はそんな歴史観に誇りを抱いていましたが、「実際は自給自足の遅れた社会だった」と異議を唱える研究者がいます。活発な貿易国家だったことは教科書にも出てくるのに? アイデンティティーが揺らぐ不安を抱えながら、琉球史研究の「今」をのぞきました。【那覇支局・比嘉洋】 「琉球国は南の海の良いところにあり(中略)船で万国の津梁(しんりょう)、いわば架け橋となって貿易を行い、国に宝物が満ちている」。首里城公園(那覇市)のホームページによると、かつて首里城正殿にあり、現在は複製が

                                                        14色のペン:教科書は間違いなの? 貿易国家・琉球王国の素顔に迫る/上 | 毎日新聞
                                                      • 琉球王国時代の正統家譜、戦火逃れ寄贈 志良堂家の子孫が那覇市歴史博物館に - 琉球新報デジタル

                                                        首里王府の公印が押された「新参密姓家譜 正統」 琉球王国時代の那覇の士族(サムレー)、志良堂家の家系に関する記録「新参密姓家譜 正統」が6月30日、子孫から那覇市歴史博物館に寄贈された。沖縄戦で多くの琉球王国時代の史料が焼失した中、戦火をくぐり抜けて子孫が大事に保管していた。同博物館は「琉球王国時代の史料が限られる中で、家譜に書かれた内容は当時を知る上で大変貴重」としている。 志良堂家は、志良堂親雲(ぺー)上清房(ちんせいぼう)(1640年生まれ)が1世。父はトカラ列島中之島出身で薩摩藩那覇在番奉行の随行で琉球に来た日高六右衛門、母は波上宮の内侍だった真寿で、同博物館によると当時、薩摩出身者が琉球の女性と婚姻関係になるのは珍しいという。志良堂家は代々、那覇の泉崎に住んでいたが「琉球処分」を機に、今帰仁村や本部町などに移った。 正統の家譜は1世から8世まで記されている。今帰仁村の日高修さん(

                                                          琉球王国時代の正統家譜、戦火逃れ寄贈 志良堂家の子孫が那覇市歴史博物館に - 琉球新報デジタル
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