話題の『東京の生活史』ですが、当店には流通関係諸々の都合により10/1あたりに入荷予定です。なお、事前予約で5冊を取次(問屋)に頼んでいましたが、入荷するのは2冊のみで、ギリギリ客注分が確保できる数なので、店頭には並びません。ご了承くださいませ。
1216頁に織り込まれた 150万字の生活史の海。 いまを生きる人びとの膨大な語りを 一冊に収録した、 かつてないスケールで 編まれたインタビュー集。 ……人生とは、あるいは生活史とは、要するにそれはそのつどの行為選択の連鎖である。そのつどその場所で私たちは、なんとかしてより良く生きようと、懸命になって選択を続ける。ひとつの行為は次の行為を生み、ひとつの選択は次の選択に結びついていく。こうしてひとつの、必然としか言いようのない、「人生」というものが連なっていくのだ。(……) そしてまた、都市というもの自体も、偶然と必然のあいだで存在している。たったいまちょうどここで出会い、すれ違い、行き交う人びとは、おたがい何の関係もない。その出会いには必然性もなく、意味もない。私たちはこの街に、ただの偶然で、一時的に集まっているにすぎない。しかしその一人ひとりが居ることには意味があり、必然性がある。ひと
寄生生物が自分にとって都合の良いように宿主の行動を操る現象は、古くから知られていました。このブログでも以前、アリをゾンビにして操るカビについて取り上げました。 今回、マイマイガの幼虫に寄生するウィルスは、たった一つの遺伝子によって幼虫の行動を変化させることが報告されました。 A Gene for an Extended Phenotype このウィルスは、バキュロウィルスとよばれます。遺伝子工学では、カイコ培養細胞からタンパク質を大量合成する際にベクター*1として使われます。このバキュロウィルスは、節足動物にしか感染しません。マイマイガに感染・寄生する種類のバキュロウィルスは、自分にとって都合の良いように宿主である幼虫をゾンビ化させて、行動を変化させます。 通常、マイマイガの幼虫は昼は地面に近い場所で身を隠しており、夜になると樹上へと上って葉を食べます。しかし、バキュロウィルスが寄生したゾ
ほとんど奇跡のように存在し、なかば事故のように分厚いこの書物を先ほど読み終えた。読み終えた、という言い方が正しいかどうかさえ、正直よく分からない。ある意味では「聞き終えた」とも言えるし、「語り終えた」とさえ言えるかもしれない。 それどころか、150人の聞き手を公募し、約480人もの応募のなかから抽選などで絞り込みを行い、それぞれの聞き手が東京に住んでいる人、住んだことのある人などから生活史の聞き取りを行い、50000字や60000字に及ぶそれぞれの語りを文字に起こし、10000字以内に編集をかけ、それを一冊の本にまとめ上げたという途方もない舞台裏を「あとがき」を通して知ってしまうと、いや、自分はこの本を最後まで読み終えることで、本当の意味でこの本を「作り終えた」んじゃないかという気さえしてくるのだ。 そんな途方もない本にどのような評が可能なのかさっぱり分からないままこの文章をとりあえずは書
2021.10.26インタビュー・対談 対談 岸政彦×林雄司 聞いたそのままが面白い――いまなぜ生活史か 文學界11月号 出典 : #文學界 ジャンル : #ノンフィクション 150人の声を集めた『東京の生活史』が刊行された。無名の人々が語る人生を記録する「生活史」はなぜ面白いのか? 編著者と「デイリーポータルZ」編集長がその謎を語り合った。 「文學界 11月号」(文藝春秋 編) ■作らない、ただ聞く 林 聞き手として参加しておいて言うのも何ですが、すげえデカい本が送られてきてびっくりしました。 岸 『東京の生活史』(筑摩書房)って、面白い本で、厚ければ厚いほどちっぽけになるんです。ひとりの人に二、三時間話を聞けば、五、六万字にはなるけど、一人一万字までにしてもらって、一五〇人で二段組み一二〇〇ページを超える厚さになった。でも、東京の昼間人口は一五〇〇万人ですから、全員の話を聞こうと思った
『裸足で逃げる』は、虐待を受けたり、彼氏からのDVをうけたりした、沖縄の6名の女の子たちの生活史をまとめた作品である。 私は著者の上間陽子さん(以下、敬称略)と2012年から共同研究をはじめて、著書で登場する6名の女の子のうち5名の取材に同行させてもらう機会にめぐまれた。 私は調査の場面で、「裸足で逃げる」女の子たちが、語り出す過程をみてきた。彼女たちが、語り出すまでの過程には、とても大きな困難があった。その困難に対し、どのような調査を積み重ねてきたのかについて、以下では述べる。 調査を続けるという困難 女の子たちのしんどい話には、元旦那からのDVや10代の頃の性暴力も含まれていた。そもそも、暴力や性被害の当事者が、「一度限り」であっても、その話を語り出すことは難しいことである。 しかし、上間と私は共同研究を始めるにあたって、女の子たちとは可能な限り「継続的」に話を聞く形で調査を進めると決
荻上チキさんのラジオ番組「Session」に出演する社会学者の岸政彦さん。著書の執筆に加えて、近年はメディアへの登場も増えている=東京都港区のTBSラジオで2021年8月27日、長谷川直亮撮影 研究も文学も自分の目に映ったありのままの姿を著してきた。大阪に暮らす社会学者で立命館大大学院教授の岸政彦さん(54)は、市井の人の視点に合わせて社会を描く。その文章には意味付けや、派手な展開は存在しない。 岸さんは8月27日、東京都内で複数の取材や打ち合わせをこなす合間に、TBSラジオの情報番組「荻上チキ・Session」にゲスト出演した。リスナーから出口の見えない新型コロナウイルス禍について意見が寄せられると、営業時間の短縮などによって打撃を受けている飲食店経営者の立場を憂えた。 「飲食業の経営者になることは他人に雇われずに自分たちだけで生きていこうとする、ものすごく大きな選択肢だった。だから、自
先日の『東京の生活史』の流通に関する当店の問題提起に対して、版元の筑摩書房さん並びに取次を担当した子どもの文化普及協会さんより、丁寧な経緯説明をいただきました。以下はその報告と、それを受けての再度の意見表明です。 ※本来ならば10/5に開催された「独立系書店の新刊予約また既刊本の《これからの》流通を語る討論会」の前に公開したかったのですが、諸々あって間に合わずでした。この報告書ではイベント内で議論されたものに関してはあまり触れません。アーカイブも公開されているようなので、そちらでご確認ください。↓ まず、SNS上での問題提起というある種の強制力のある手法で問題提起をしたにもかかわらず、早急かつ真剣に対応をしていただいた筑摩さん並びに子どもの文化さんに感謝を申し上げます。この「注文した本が満数入らない」という類の問題は、その詳細に様々なバリエーションがあるとはいえ出版業界の長年の課題だと考え
前年の秋に誕生し越冬を終えた女王バチは,4月から6月にかけて,順次出現する.すぐには営巣活動を開始せず,2~4週間かけて樹液やアブラムシの甘露などを舐めて体力を回復した後,営巣場所を求めてあちこち飛び回り,営巣場所が決まると晴天の暖かな日を選んで単独で巣作りを開始する. 最初の働きバチが羽化するまでの約1ヶ月間は,女王バチが狩りや巣材集めなどの外役活動と子育てを行う(単独営巣期).そのためコロニーの存続にとって最も厳しい時期にあたり,女王バチの死亡により廃巣にる割合は極めて高いと考えらている. 働きバチの羽化後は外役活動の回数はしだいに少なくなる(共同営巣期). 6月から7月にかけて働きバチの羽化が本格化すると,女王バチは外役活動を行わず産卵に専念するようになる(分業期).次々に羽化する働きバチは,巣材集めや幼虫の餌集めに忙しく働き,巣は急速に大きくなる. 秋にオスバチと新女王バチの幼虫が
老人は何度も同じ話をする。例えば、うちの祖父がそうだ。 今年90歳になる祖父は、認知症こそ始まっていないものの、会うと毎回同じ話を繰り返す。例えば、戦後すぐの話。祖父は闇市で飴の販売をしたり、コメや農作物と物々交換をしてもらい生計を立てていた。 「伊東でイカを仕入れて、長野まで夜行で持って行ったんだよ。おい、どうなったと思う?」 「さあ……」 「腐っちゃってたんだよ」 祖父、爆笑。 こちらはうつむきながら調子を合わせて、とりあえず笑っているような雰囲気を作る。100回近く聞かされたこの話が面白いわけがない。だが、こちらの考えなどお構いなしに、おそらく祖父は死ぬまで僕に向かってこの話をしていることだろう……。 大学教授として学生たちに民俗学を教える立場から突然、介護の現場に飛び込んだ民俗学者・六車由実は「介護民俗学」という概念を提唱している。老人ホームで、認知症の老人たちの生活史に熱心に耳を
小学生の『夏休みの友』に生物の画像掲載。 tv asahi | テレビ朝日 山岳写真がOA> 小学生の『夏休みの友』に生物の画像掲載。 高校教材に生物の写真を掲載。 TBSテレビ 毎日放送 生物の写真がOA 東京都葛西臨海水族園 小学校教諭対象の教員研修会、小学生向けのレクチャーとして生物の写真を使っていただきました。 台湾国立自然科学博物館 生物の展示会で生物の写真をビッグ・パネルで使っていただきました。 TBSテレビ 生物の写真がOA tv asahi | テレビ朝日 生物の写真がOA 高校生の教材 理科総合に生物の写真を掲載。 京都府亀岡市文化資料館 「第46回企画展」に生物の写真を掲載。 朝倉書店発行 「環境と健康の事典」に生物の写真を掲載。 丸善出版事業部発行 「パリティ」雁の飛翔に学ぶ宇宙船の編隊飛行に生物の写真を掲載。 tv asahi | テレビ朝日 生物の写真がTVオ
もうずっと前、10年以上前のこと。当時勤めていた大学の学生たちを連れて、神戸の某所で、阪神大震災で被災した語り部の方のお話を伺ったことがある。 まだ若い女性の方で、静かな、穏やかな声で、瓦礫に埋まった近所の小さな子どもの手をずっと握っていた話をされた。その手がだんだん冷たくなっていったんです。 学生たちも泣いたし、私も泣いた。終わってからその方に、こんな辛いお話を大勢の人びとの前でなんども何度もするのは、ご自身が辛くありませんか、と聞いたら、すこしきょとんとしていた。そんな感じがした。とにかく、この話をひとりでも多くのひとに語らなければならない、と思っていたのかもしれない。その話をするときに、自分がしんどいかどうかなんて、考えたこともなかったのかもしれない。 次の年に、またおなじところで、またその年の学生たちを連れて、震災の語り部の方のお話を伺った。 その方は年配の男性の方だったのだが、個
→紀伊國屋書店で購入 『山川 世界史小辞典 改訂新版』(2007年発行の第2刷)の「砂糖」の項目をみると、つぎのように書かれていた。「サトウキビを原料とする砂糖生産は、原産地のインドあるいは東南アジアから中国をへて、17世紀初め頃琉球に伝わった。一方インド以西の砂糖生産は、7世紀初め頃にイラン、イラクの低地に導入され、8世紀にはエジプトでもサトウキビ栽培が開始された。10世紀以降、イスラーム世界の砂糖(スッカル)はヨーロッパ向けの重要な輸出商品となり、その消費の拡大につれてシュガーの呼称が定着した。イスラーム世界の製糖技術は、大西洋を越えて西インド諸島や南アメリカに伝えられ、16世紀以降、黒人奴隷を用いた砂糖プランテーションが行われるようになると、ヨーロッパでは砂糖入りのコーヒーや紅茶を楽しむ習慣が定着した。ヨーロッパなど冷涼な地域でビート(砂糖大根)を原料とする砂糖生産が開始されるのは、
まえがき 岸政彦 あの時の東京はね、お店の正面に「沖縄者お断り」って書いてあったんだよ。野蛮人と言ってから 聞き手=安里優子(五七) 語り手=母・池原春子(八四) 「おい、比嘉君ね、これからが僕らの時代だよ」って言うんだよ 聞き手=安里百合香(六一) 語り手=安里繁雄(九一) おじー必ず、運転したいって言ってさ、どうしても運転したいって 聞き手=東春奈(三六) 語り手=父(七二) 爆弾の破片とか、買いに来る業者がいたわけ。家にね。そこの業者さんに売ったりしてた。小遣い稼ぎ。一キロ売ったらいくらだよということで 聞き手=安谷屋佑磨(二九) 語り手=父(六二) 耕運機買うのも、吉本家が初めて。開墾するのも、吉本が初め。みんなやらないわけよ、こんなの 聞き手=荒井聡(三九) 語り手=吉本良子(九七) なんでないのって聞いたら一番上の兄が(給料を)そっくり持っていってあるわけよ 聞き手=新川真奈美
最近の世界史板@2ちゃんねるの100越えスレッド。秀>優>良>並>可>駄、というのが目安です。 元スレッド。 →生活史 古代中国 ちょっと扱ってるものの幅が広くなりすぎてるけど良。 1 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 01:38:05 0 無いのでたててみた。 生活史の観点から古代中国を見ていきたいと思っている。 冠・衣服・住居・礼儀作法・祭事・食事・酒等 考察・議論・質問等々生活史の範囲ならなんでもおk みんなよろしく。 2 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 01:52:01 0 古代とはいつまで? 3 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 01:55:13 0 中国語では古代は、清朝までだけど。 4 :世界@名無史さん:2009/07/08(水) 01:55:32 0 一応晋代くらいと思ってる。 明清くらいまででもいいが。 古代じゃないからな・・
<収容所は「ものすごい面白い」「めっちゃええ」と話す伯母――。何が「本当」なのか、わからなくなった人に気づきを与えてくれる1冊『家(チベ)の歴史を書く』> 取材をする際にいつも気にしてしまうことがある。それは相手の語りの中から、自分が求めている言葉をうまく拾えるかどうかということだ。 毎回お題を決め、それに沿った話を聞き取っていく。悲しい事件や嬉しいこと、人生に関することなど内容はその時その時で変わるが、当事者の言葉を聞き出し、1つの記事の形に仕上げていく。 誰に取材をするか。事前に調べた候補から選ぶ決め手になるのは、いつも「この人はこういう経験をしているから、きっとこんなことを言うだろう」というカンによる確信だ。実際多くの場合、「そうそう、こういう話が聞きたかった」と手応えを得るが、時にまるで予想していなかった展開になることもある。そうなったら果たして相手の言葉を捨てるのか、それとも趣旨
「この本は書店さんも置き場所に困ったみたいで、棚は『文芸』や『ノンフィクション』『社会学』などばらばらです。人によって『面白い』と言ってくれるところが全然違う。『こういうふうに読んでくれたんだ』とそのつど教えられる。幸せな本だと思います」 社会学者で龍谷大准教授岸政彦(きしまさひこ)さん(48)の三冊目の著書となるエッセー集『断片的なものの社会学』(朝日出版社)が、昨年六月の刊行以来、支持を広げている。先月発表された「紀伊国屋じんぶん大賞」(紀伊国屋書店主催)では大賞に輝いた。「平易に精妙に静謐(せいひつ)に、何より魅惑的に綴(つづ)られたエッセーであり、社会学入門ともなりうる希有(けう)な一冊」と高く評価された。 ライフヒストリー(生活史)の聞き取りという手法で、沖縄や被差別部落問題などを調査研究してきた岸さんが、現場や日常生活で体験したエピソードをもとに、思索をつづった本だ。他者とつな
街の人生 [著]岸政彦 著者の岸政彦は、前著『同化と他者化』において、丁寧な聞き取りと見事な分析で戦後沖縄の社会を浮き彫りにした、いま最も注目すべき社会学者だ。最新作『街の人生』は、実にユーモラスな一冊に仕上がっている。 本書の構成はとてもシンプルだ。外国籍のゲイ、ニューハーフ、摂食障害の女性、シングルマザーの風俗嬢、ホームレスの男性の5人の生い立ちを聞き取り、インタビューの模様をほぼそのまま掲載するというもの。分析らしいものはほとんど加えられない。にも関わらず本書は、読み終えた者の社会認識を改めさせる力を持っている。 「我々が空想で描いて見る世界よりも、隠れた現実の方が遥(はる)かに物深い」——。本書冒頭では、柳田国男『山の人生』のこのような一節が紹介されている。『山の人生』は、「山へ入って還って来なかった人間」や山間部で生きる少数者たちの逸話を聞き取った柳田の初期作品。社会の周縁を漂泊
(前回の記事へ) 中間の秩序をどう作るか 千葉 僕は普段からツイッターで細かな気付きをメモし、それをもとに執筆に取り掛かることが多いのですが、ひとつのツイートの字数が上限140字に制限されていることが書きやすさをもたらしてくれる要因になっている。これもフレームの一種だと思うんです。事実や取材に基づいて執筆することもそうですね。何もない白紙の状態でいまから自由に書きますよ、と意気込んでもなかなか上手くいかない。書くための技法として捉えると、有限の字数設定をすることと具体的な土地について書くんだと問題設定することは、よく似ている。だから実話ベースって書きやすいんですよ。 岸 確かに僕も、小説の中でこれは完全にフィクションのエピソードやなと思って書いているとき、自分が何か意図的に話を作っているというより、そのエピソードに従って書き写しているという感覚の方が近いかもしれない。こちらは流れてくるもの
1280頁に折り込まれた150万字の生活史の海。 いまを生きるひとびとの膨大な語りを一冊に収録した、 かつてないスケールで編まれたインタビュー集。 こういう話はどこにでもあるものだろう。でもやっぱり、大阪だな、と思う。 この街に三五年以上住んで、やっぱりここがいちばん良い街だと思っている。 もちろん、どの街も、それぞれが世界でいちばん良い街だ。 それはちょうど、飼ってる猫が世界でいちばんかわいい、ということに似ている。ほかの子を飼っていたら、もちろんその子が世界でいちばんかわいい猫ということになる。世界中の猫が、それぞれ、世界でいちばんかわいいのだ。 だから、大阪が世界でいちばん良い街だ、ということと、それぞれどの街も世界でいちばん良い街だ、ということは、矛盾しない。 だが同時に、大阪がどうしても合わず、嫌になって出ていくひとも多い。そういうひとにとって大阪は、世界でいちばん合わない、嫌な
一般公募した「聞き手」150人が、語り手をひとり選び生活史を聞く。それぞれが持ち寄った生活史150人分が、解説も説明もなく並ぶ。150万字、1216ページにも及ぶ『東京の生活史』は今までにないインタビュー集だ。編者で社会学者の岸政彦さんに話を聞いた。 取材・文/山本ぽてと 少し距離があった東京 ——なぜ「東京」を選んだのかについてお聞きしたいです。このお話は何度も聞かれているかもしれませんが。 じゃあ、ちょっと思い出話をします。いままで一度もしゃべったことのない話です(笑)。 東京に生まれてはじめて自分の意志で行ったのは、高校1年生のゴールデンウィークだったんですよ。それまでも、親に連れられて、筑波の科学万博に行って、ロケット乗った記憶があるかな。その時、親が儲かっていたので、けっこいいホテル、高輪プリンスホテルかどっかに泊まったんだけど、誰も風呂の使い方が分からなくて(笑)。 とにかく、
前年の秋に羽化して越冬した女王バチは,日中の気温が12~13℃になると越冬を終えて活動を開始します.本州の西南暖地では,出現時期の最も早いキイロスズメバチとクロスズメバチが4月上旬頃,最も遅いヒメスズメバチが5月下旬頃になります. その後,2~4週間かけて樹液やアブラムシの甘露などを舐めて体力を回復した後,気温が16~18℃になると営巣活動を開始します.女王バチは営巣場所を求めてあちこち飛び回り,営巣場所が決まると晴天の暖かな日を選んで,1頭で巣作りを開始します. 最初の働きバチが羽化するまでの約1ヶ月間は,新女王バチが幼虫の餌集めや巣材集めなどの外役活動と子育てを1頭で行います(単独営巣期).そのためコロニーの存続にとって最も厳しい時期にあたり,女王バチの死亡により廃巣になってしまう割合は極めて高いと考えられます. 働きバチの羽化後は外役活動の回数はしだいに少なくなります(共同営巣期).
「将来の野外生態学を担う若者に刺激を与えるような楽しい本を提供する」ことを目的とする『フィールドの生物学』シリーズの最新作である。本書のタイトルにある竜宮城とは、ウミガメの回遊先の餌場のことだ。ウミガメの餌場が二つあるということが、なぜ驚くべきことなのか、そこからウミガメの生態の何が分かるというのか。本書では、著者が大変な苦労の末にかき集めた豊富なデータとともに、ウミガメの回遊行動を軸にその真の姿が明らかにされていく。 本書では、著者の研究者人生の苦楽もありのままに描かれており、研究生活の楽しさ、研究者を取り巻く環境の過酷さをリアルに感じることができるはずだ。大学院博士後期課程を終えて10年以上定職に就くことができていない著者の状況からも分かるように、日本の生態学研究者を取り巻く環境は決して良好とはいえない。著者はそんな状況を愚痴るわけでもなく、資金不足がもたらす困難もヒョウヒョウと乗り越
多くの樹木は毎年同じように結実することはなく,年によって豊凶がある。 なかでもブナは結実の周期が長く,豊作年は5~7年に1回の間隔で訪れる。 東北地方から北海道渡島半島にかけて各地のブナ林で調べた研究によると,結実の豊凶はかなりの広範囲(例えば東北地方全域といった規模)で生じる。 ただし,地域的なずれも見られ、結実が同調する明確な区分はないと考えられている。 例えば,1990年や1995年は東北地方全域で豊作だったが,1992年は青森県など東北地方北部から渡島半島にかけての地域が豊作となり,一方1993年は山形県や秋田県など東北地方南部で豊作となっていた。 渡島半島でも1992年と1997年は全域が豊作だったが,1990年や1994年は一部の地域で結実することもあり,完全に同調してはいなかった。 投稿者: 黒松内町 日時: 16:26 | パーマリンク ブナは開葉に先立って開花する
沖縄戦「まだ終わっていない」 「占領」で自治意識形成―生活史調査25年・岸教授 2022年05月16日07時04分 インタビューに答える立命館大大学院教授の岸政彦さん=4月5日、大阪市 1972年の沖縄本土復帰から15日で50年。沖縄の生活史調査を25年続けてきた岸政彦・立命館大大学院教授(54)は、基地問題などを背景に「人々の間では沖縄戦はまだ終わっていない」と感じている。 〔写真特集〕戦争の記憶~沖縄戦 20代で初めて行った沖縄旅行をきっかけに、沖縄に恋い焦がれる「沖縄病」にかかった。大学院博士課程で沖縄を研究対象にし、現地で聞き取り調査を始めた。観光客が訪れない町や村にも足を運び、「出稼ぎの話を教えてほしいと言っても、なかなか理解されなくて大変だったこともあった」と当時の苦労を振り返る。毎年沖縄を訪れ、25年で数百人の生活史を聞き取った。一人ひとりの話にじっくりと耳を傾けてきた。 戦
記事:じんぶん堂企画室 「紀伊國屋じんぶん大賞2022」大賞に選ばれた『東京の生活史』の編者・岸政彦さん 書籍情報はこちら 「紀伊國屋じんぶん大賞2022 読者と選ぶ人文書ベスト30」は、一般読者からのアンケートをもとに、出版社や書店員による推薦も交えて事務局が集計し、ベスト30を選定。今回で12回目を迎えました。 大賞に選ばれた岸政彦編『東京の生活史』(筑摩書房)は、東京出身や在住の人、東京にやってきた人など150人の語りを聞き手150人がまとめた膨大なインタビュー集です。語り手のプロフィールも説明もなく、ただ人生の語りがあるのみ。多様な背景を持つ人々の声から、東京という都市の姿が浮かび上がってきます。 岸さんは贈呈式で、「たいへんな本を作ったなと自分でも思っています。語り手150人の方、参加いただいた聞き手150人の方に心からお礼を申し上げます」と述べ、歴史学者から昔聞いたという話を交
記事:筑摩書房 大学院での研究のため聞き取りをする齋藤さん 書籍情報はこちら 齋藤あおいさんが聞き手をつとめた内容見本はこちら(本文より冒頭部分抜粋) 溢れ出る思いをただ受け止める ――普段は大学院で社会学の研究をされているんですよね。 中国の上海をフィールドに、「坐月子(ツオユエツ)」という産後ケアの研究をしています。学部生の時に上海に留学し、そこで仲良くしてくれた方から産後養生のことを聞いて興味を持ちました。コロナで渡航できなくなるまでは、毎年上海に行って、産後ケアを経験した女性たちに聞き取りを行っていました。 ――今回の語り手にインタビューするのは初めてですか? 初めてです。友人として普通のおしゃべりしかしたことがありませんでした。自分が聞き取りをするなら中国の方がいいなとは思っていて、仲良くしてもらっている彼の顔が浮かびました。 ――研究としてやってきた聞き取りと、今回の生活史の聞
(平凡社・4104円) 容赦ない普遍的苦しみ この本を手に入れた時のことはよく憶(おぼ)えている。土砂降りの雨の夕方、書店や古書店が軒を連ねる神保町は東京堂の平台で見つけた。手に取った時、「白地に赤く日の丸染めて」という唱歌の旋律が、何故かふと頭に浮かんだ。 タイトルに「古都」とあるからには京都の話だろう。だが京都は、先の大戦でも激しい空襲がなかった雅(みやび)な千年の都だったのではなかったか。その京都が、「占領」という言葉と結ばれる不穏さが、私の意識の古層を揺るがしたものとみえる。 読み始めるとページをめくる手は止まらず、気づけば朝までかかって五百頁(ページ)超の本を読んでしまっていた。本書は正真正銘の研究書だが、ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』や、グレアム・グリーンの『名誉領事』を読んだ時と同じカタルシスを与えてくれた。名作の誉れ高い両作は、国家というものの愚かしさを嫌というほ
人生の語りを聞く。 10人の社会学者による 生活史の語りに基づく論文を収録した 社会学的質的調査の最前線。 ●著者紹介 岸 政彦 立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。社会学。専門は沖縄、生活史、社会調査方法論。『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社)、『はじめての沖縄』(新曜社)、『マンゴーと手榴弾』(勁草書房)、『地元を生きる』(打越正行・上原健太郎・上間陽子と共著、ナカニシヤ出版)、『東京の生活史』(編著、筑摩書房)など。 * 石岡丈昇 日本大学文理学部教授。社会学。専門は身体文化論、都市エスノグラフィー研究。主な著書に『ローカルボクサーと貧困世界――マニラのボクシングジムにみる身体文化』(世界思想社)、『質的社会調査の方法──他者の合理性の理解社会学』(岸政彦・丸山里美と共著、有斐閣) など。 金菱 清 関西学院大学社
紹介療養所への隔離を余儀なくされたハンセン病者は、戦後社会でどのように実存を模索して、療養所の内外の他者との関係性を編み上げてきたのか。多磨全生園の入所者の声を丹念に聞き取り、さまざまな日常の営みや実践からそのリアリティーと歴史に迫る。 目次序 章 ハンセン病療養所で生きるという経験をめぐって 1 全生園というフィールド――ハンセン病療養所の過去と現在 2 ハンセン病問題とは何か――既存研究のアプローチから 3 隔離を生きる経験への社会学的接近――日常的実践と共同性 4 調査の概要と本書の構成 第1章 隔離を構成する機制と実践――戦前期の全生園の日常から 1 「全生村」という呼称の奥行きをめぐって 2 病者を取り巻く近代の機制 3 構造的制約を異化する実践 第2章 〈社会復帰〉という実践――ハンセン病療養所退所者の経験から 1 ハンセン病療養所における「戦後の変化」とは何か? 2 〈社会復
さいきん気になっているCMがある。それがこの「からだすこやか茶W」のCMなのであった。このCMの老師や刑事を演じている左側の役者さんはモロ師岡さんという。ドラマでもよく出てくるヒトだし、一般には俳優さんという認識だろう。 けれども僕の中ではモロ師岡さんは、お笑いのヒトというイメージがある。げんにいまでも一人コントなどをやっていたりするのだが、舞台が中心で、テレビではまずお目にかかれないのである。 モロ師岡さんをはじめてみたのが、僕が高校生のころ。もう20数年前のハナシである。そのころに高田純次さんと山瀬まみさんが司会のお笑い番組、「ライブSHOW ME」というのが日本テレビで金曜の夕方にやっていた。 この番組は、5週勝ち抜くと番組レギュラーになれるという番組で、爆笑問題やホンジャマカなどがレギュラーだった。タイマンバトルで勝つと5点、負けるとマイナス5点というシステムだったのだが、モ
2024/04/06 更新 顔にアザや傷など目立つ何かがある人(ユニークフェイス当事者)の インタビューを始めます 当事者の体験の聞き書きです。 その取材協力者を募集します。 詳細は、以下のリンクに書きました。 https://sites.google.com/ishiimasa.com/uniqueface/project?authuser=0 1999年にユニークフェイス活動を初めて25年。 書籍をいくつか書いてきました。 しかし、私以外の当事者が体験談を書く、この数がきわめて少ない、というのがずっと気になっていました。 専業の物書きだった時期に、100人の当事者をインタビューして書籍にしようと構想したことがあります。2-3人インタビューしたら、フリーライター業が忙しくなって中断。その後NPO法人ユニークフェイスをつくってその活動で時間を取られたことと、代表という立場で、当事者のインタ
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