新政府から派遣された県令の誰もが、公明正大な行政を行っていたわけではない。中には権力を用いて文化財を私物化する者もいた。 県知事が寺院の名品を収奪することもあった。二代目の奈良県県令であった藤井千尋も積極的に開明政策を進めた。特筆すべき施策は、東大寺を会場にして奈良博覧会を開き、法隆寺や東大寺など各社寺の宝物類、旧家や好事家の所蔵品のほか商工業製品、名産品等を陳列した。数回にわたって開催された奈良博覧会によって、彼は各社寺に伝来する名品に精通していたのであろう、吉野郡某寺所蔵の「文治元年源義経」と銘のある五~六寸の金銅製観音を私物化し、真宗僧侶に無償で与えてしまった。 (同上書 p.33) 藤井千尋は初代県令の四条隆平の後を継いで、明治六年十一月から明治九年四月まで奈良県令を勤めた人物である。前回の歴史ノートで明治六年(1873年)七月十七日に教部省が、社寺にある物品を勝手に処分することを