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趣味>昭和の検索結果41 - 80 件 / 106件

  • <独自>「桐島」名乗る男「後悔している」と供述 死亡前の警視庁聴取に 連続企業爆破

    昭和49~50年の連続企業爆破事件で、警視庁公安部に身柄を確保された過激派「東アジア反日武装戦線」の「さそり」グループメンバー、桐島聡容疑者(70)とみられる男が公安部の任意聴取に「後悔している」と話していたことが29日、捜査関係者への取材で分かった。 男は29日朝、神奈川県鎌倉市の病院で死亡。公安部はDNA型鑑定などで身元が確認できれば、容疑者死亡で書類送検する方針。 捜査関係者などによると、男は「内田洋」と名乗り、同県藤沢市内の工務店で、数十年間にわたり住み込みで勤務。入院時も内田を名乗っていたが、25日になって「桐島聡」と名乗ったため、連絡を受けた公安部が身柄を確保した。 死因は病死で、関係者によると、死亡確認は午前7時33分。末期の胃がんだった。公安部はこれまでの逃亡手段や、手助けした人物について調べている。 桐島容疑者は一連の事件に関わった同戦線メンバー10人のうち唯一、逮捕され

      <独自>「桐島」名乗る男「後悔している」と供述 死亡前の警視庁聴取に 連続企業爆破
    • 作家・眉村卓さん死去 85歳 「ねらわれた学園」「妻に捧げた1778話」、本紙「朝晴れエッセー」選考委員も(1/2ページ)

      SF小説「ねらわれた学園」や短編集「妻に捧(ささ)げた1778話」などで知られる作家で、本紙朝刊1面の読者投稿「朝晴れエッセー」の選考委員を務める眉村卓(まゆむら・たく、本名・村上卓児=むらかみ・たくじ)さんが3日午前4時1分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため大阪市内の病院で死去した。85歳だった。通夜は8日午後6時、葬儀・告別式は9日午後0時半、大阪市阿倍野区阿倍野筋4の19の115、やすらぎ天空館で。喪主は長女、知子(ともこ)さん。 昭和9年、大阪市出身。大阪大学経済学部を卒業後、会社員として勤務する傍らSF同人誌「宇宙塵(じん)」に参加、36年に「下級アイデアマン」が「SFマガジン」の「空想科学小説コンテスト(現ハヤカワSFコンテスト)」に佳作入選し、デビュー。40年から専業作家となり、54年に「消滅の光輪」で泉鏡花文学賞と星雲賞を受賞した。 SF作品にとどまらず、短編やエッセー、中学生向

        作家・眉村卓さん死去 85歳 「ねらわれた学園」「妻に捧げた1778話」、本紙「朝晴れエッセー」選考委員も(1/2ページ)
      • 黒部ダム、苦難経て60年 改めて見えた原発の有用性

        約7年の難工事を経て完成した黒部ダム。現在では観光地としても人気を集めている=富山県立山町(井上浩平撮影) 黒部ダムの黒部川第四発電所=くろよん(富山県)は来年で完成から60年となる。戦後、関西の電力不足を解消するため多くの犠牲者を出しながら成し遂げられた大工事。今夏の電力需給逼迫(ひっぱく)が懸念される中、現在も水力発電を続ける現地を取材すると、電力確保に情熱を燃やした先人の苦労とともに、既存施設の効率的な利用の観点からも原子力発電の有用性がみえてきた。 黒部ダムは標高1470メートルの中部山岳国立公園内にあり、一般の乗用車で直接訪れることはできない。日本海側のふもとにあたる宇奈月駅(同県黒部市)から、トロッコ電車で知られる黒部峡谷鉄道に乗り込みダムを目指した。 トロッコは宇奈月-欅平(けやきだいら)間の山間部約20キロを1時間半かけて結ぶ。「もともとは観光用でなく、黒部川流域の発電所を

          黒部ダム、苦難経て60年 改めて見えた原発の有用性
        • 米女優ニシェル・ニコルズさん死去、「スタートレック」の女性通信士役 89歳

          (CNN) SFドラマ「スタートレック」の通信士役で知られる米女優で歌手のニシェル・ニコルズさんが7月30日に死去した。89歳だった。 息子のカイル・ジョンソンさんが公式サイトを通じて31日に訃報(ふほう)を知らせ、老衰だったことを明らかにした。 ニコルズさんは、テレビシリーズのスタートレックやその続編でニヨータ・ウフーラ通信士を演じて有名になった。スタートレックの放送が始まった1966年当時のテレビ界ではまれな存在だった。それまで黒人女性は家政婦などの脇役で出演することはあっても、主要登場人物を演じたことはなかった。ニコルズさんが演じたウフーラ通信士は、スタートレックの多文化クルーにとって欠かせない存在だった。 マーティン・ルーサー・キング牧師は「テレビ史上初めて黒人女性が演じる非ステレオタイプの役柄」と評した。 ウフーラ通信士は、カナダ出身の白人俳優ウィリアム・シャトナーが演じるジェー

            米女優ニシェル・ニコルズさん死去、「スタートレック」の女性通信士役 89歳
          • 冷戦時代の英国人二重スパイ、ブレイク氏死去 98歳

            冷戦時代の英国人二重スパイ、ジョージ・ブレイク氏。ロシア・モスクワにて(2001年6月28日撮影)。(c)Yury MARTYANOV / Kommersant Photo / AFP 【12月26日 AFP】冷戦(Cold War)時代に旧ソ連の国家保安委員会(KGB)に機密情報を流していた英国人二重スパイ、ジョージ・ブレイク(George Blake)氏が26日、死去した。98歳。ロシアの国営ニュースが報じた。 ロシア対外情報局(SVR)のセルゲイ・イワノフ(Sergei Ivanov)広報官は国営タス通信(TASS)に、「伝説的な情報高官であるジョージ・ブレイク氏が本日、死去した」とコメント。「ブレイク氏はわが国を心から愛し、第2次世界大戦(World War II)におけるわれわれの功績をたたえていた」と述べた。 ブレイク氏は朝鮮戦争(Korean War)時、米軍機による民間人へ

              冷戦時代の英国人二重スパイ、ブレイク氏死去 98歳
            • 【訃報】三本和彦氏がご逝去されました(ベストカーWeb) - Yahoo!ニュース

              写真右が三本和彦氏、写真左は故小林彰太郎氏。自動車ジャーナリズムの第一世代として共にこの業界とともに歩んできた。写真は2011年、当編集部にて撮影 三本和彦氏は1930年生まれ、東京都出身。都内入居中の施設でお亡くなりになりました。死因は老衰と見られます。 1950年代後半、東京新聞在籍時代から自動車に関する記事を執筆し、日本におけるモータージャーナリストの第一世代として活躍、業界の礎を作った功労者でした(ご本人をこの肩書で紹介すると、「モータージャーナリストなんて堅苦しい肩書なんてまっぴら、ぼくは単なるジャーナリストだ。自動車は人々の社会や生活の中にあるもので、そこから切り離して語れるものではない」と怒られました)。 日本に自動車産業が根付き、発展し、世界へ羽ばたいてゆく過程を見つめ続け、「羊の皮をかぶった狼」や「猫足」など、いまも馴染み深いキャッチフレーズを発案。1977年から2005

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              • 創業58年 時が止まったようなバス会社のドライブインに起きた奇跡 “エモさ”で人気沸騰 | 乗りものニュース

                開業から五十数年、長く低迷してきた香川のドライブイン「大川オアシス」が、いま突然の人気に沸いています。海を一望できる眺望だけでなく、夢の世界のようにキラキラした純喫茶メニューが、SNS映え重視の現代で“見つかった“のです。 バス会社のドライブインがSNSで“見つかる” 戦後日本が高度成長を遂げる中、モータリゼーションと呼ばれる自家用車の普及とともに、幹線道路沿いには広大な駐車場とゆったりした客席を備えた「ドライブイン」が昭和30~40年代に数多く建設されました。その後、コンビニエンスストアの増加や道の駅の整備、あるいは道路整備に伴う旧道化などの社会変化もあって激減、今ではその存在も貴重なものとなりつつあります。 その中で2022年現在、香川県さぬき市にあるドライブイン「大川オアシス」に多くの人々が訪れています。コロナ禍前と比較しても150~200%の売り上げがあるとか。 拡大画像 海を望む

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                • 警視庁「寝耳に水」 連続企業爆破事件の桐島聡容疑者の確保劇 発生から半世紀の急展開

                  連続企業爆破事件で指名手配された桐島聡容疑者(70)とみられる男の身柄が、警視庁に確保された。昭和49~50年に起きた「戦後最悪の爆弾テロ」と呼ばれる事件は発生から今年8月で半世紀。過激派「東アジア反日武装戦線」の犯行グループの大半はすでに逮捕されたが、逃走を続けた容疑者は何を思い、どう身を隠し続けたのか。警視庁公安部は全容解明を急ぐ。 「寝耳に水だ」。ある警視庁幹部は、神奈川県鎌倉市に入院中の男が桐島聡容疑者だと名乗ったとの一報を受けた衝撃をこう振り返った。 過激派メンバーの多くは、警察当局に反感を抱き、徹底抗戦の構えで取り調べに応じないことが多い。だが、捜査関係者によると、入院先で接触した捜査員に、男は「桐島聡」と名乗り、「末期がんで余命数カ月」と打ち明けた。 指名手配犯に関する情報は、各地の警察に日々寄せられる。警察はその都度、確認を進めるが、過激派メンバーが自ら容疑者を名乗るのは異

                    警視庁「寝耳に水」 連続企業爆破事件の桐島聡容疑者の確保劇 発生から半世紀の急展開
                  • 全国に名車続々登場、「私鉄特急」黄金期の記憶

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                      全国に名車続々登場、「私鉄特急」黄金期の記憶
                    • アントニオ猪木さん死去 79歳、心不全 プロレスや政界で活躍 アリと異種格闘技戦も - プロレス : 日刊スポーツ

                      元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんが1日午前7時40分、都内の自宅で心不全のため亡くなった。79歳だった。 力道山にスカウトされ1960年(昭35)に日本プロレスでジャイアント馬場さん(故人)とともにデビュー。72年に新日本プロレスを旗揚げし、プロボクシング世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(米国)との異種格闘技戦など数々の名勝負を繰り広げた。89年には参議選で初当選した。近年は腰の手術に加えて心臓の難病「全身性アミロイドーシス」も患い、入退院を繰り返していた。 ◇   ◇   ◇ 晩年は自ら“最強の敵”と語る病魔との格闘だった。猪木さんは19年6月の政界引退直後の同8月に最愛の田鶴子夫人を亡くした。同時期に自身も腰を手術。同9月には数万人に1人の確率で発症する「全身性アミロイドーシス」と診断された。タンパク質線維が心臓に沈着して、多臓器不全などを発症する難病で、20年11月

                        アントニオ猪木さん死去 79歳、心不全 プロレスや政界で活躍 アリと異種格闘技戦も - プロレス : 日刊スポーツ
                      • URまちとくらしのミュージアム|UR都市機構

                        公団・UR都市機構は、1955年からずっと、新たなくらし方を探求してきました。 「URまちとくらしのミュージアム」は、その過去・現在・未来を、体験しながら一望します。 団地、都市再生、震災復興、ニュータウンなど、その時代そのまちで、 私たちはいかにして幸せにくらすことができるかを追い求めてきました。 UR都市機構はこれからも、新たなくらし方を探求し続けます。 URまちとくらしのミュージアム チラシ 公団・UR都市機構は、1955年からずっと、 新たなくらし方を探求してきました。 「URまちとくらしのミュージアム」は、 その過去・現在・未来を、 体験しながら一望します。 団地、都市再生、震災復興、ニュータウンなど、 その時代そのまちで、 私たちはいかにして 幸せにくらすことができるかを 追い求めてきました。 UR都市機構はこれからも、 新たなくらし方を探求し続けます。 URまちとくらしのミュ

                          URまちとくらしのミュージアム|UR都市機構
                        • 悲願かなえた19km…西武秩父線、運行開始55周年へ 西武鉄道がキャンペーン あの花スタンプラリー開催中(埼玉新聞) - Yahoo!ニュース

                          西武鉄道(本社・埼玉県所沢市)の西武秩父線が運行を開始し、10月で55周年を迎える。西武鉄道は今後、記念ウォークやスタンプラリー、「旅するレストラン 52席の至福」記念運行などのキャンペーンを展開し、鉄道沿線や秩父地域の活性化に寄与していく。 西武秩父線は1969年10月に、当時私鉄最長とされた正丸トンネル(4・8キロ)で山を貫き、吾野駅(飯能市)と西武秩父駅(秩父市)を結ぶ19キロの路線として開通。同時運行した5000系特急レッドアローは、西武秩父駅から池袋駅間を最短83分(現在は78分)でつなぎ、これまで秩父鉄道経由で約3時間かけて都内へ通っていた秩父地域住民の悲願をかなえた。 記念キャンペーンの一環として、西武鉄道は5月19日までの期間、秩父が舞台のアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(あの花)」スタンプラリーを、秩父アニメツーリズム実行委員会と連携して展開している。 秩

                            悲願かなえた19km…西武秩父線、運行開始55周年へ 西武鉄道がキャンペーン あの花スタンプラリー開催中(埼玉新聞) - Yahoo!ニュース
                          • ビックリ建築、UFO型住宅〈フトゥロ〉を知ってますか?

                            October 30, 2020 | Architecture, Art, Culture, Design | casabrutus.com | text_Housekeeper キューバ、ブラジル、メキシコ、フランスなど世界中の「ビックリ建築」を追いかけ、それをまとめた建築カルチャー本が出ました。なかでも注目は1968年フィンランドで生まれたUFO住宅〈フトゥロ〉。それはなぜ生み出されたのか? その秘密に迫ります。 UFO住宅〈フトゥロ〉をご存知だろうか? 1968年フィンランドでつくられ世界中へ輸出されるも、プラスティック製だったがゆえに、1973年のオイルショックで生産中止に追い込まれ、この世から姿を消してしまったレジャーハウスだ。 雑誌『Casa BRUTUS』ではかつて、幾度となくこの〈フトゥロ〉を誌面で追いかけてきた。フィンランドまで行きこの住宅を設計した建築家にインタビューし

                              ビックリ建築、UFO型住宅〈フトゥロ〉を知ってますか?
                            • 国鉄に対抗「起死回生策」、福井鉄道200形の記憶

                              現在のような低床式の路面電車がまだ存在しなかった時代、福井鉄道(福鉄)の200形電車は福井市内の路面区間に入ると、郊外型の大型高床式電車でありながら2段式のタラップを「パタン」と降ろして、乗客は「よっこらしょ」と言いながら乗り降りした。 福鉄200形は、昭和30年代、鉄道が華やかだった時代に郊外区間と路面区間を直通運転する画期的な車両として登場し、全国の鉄道ファンに親しまれてきた。2017年に引退したが、多くの人の熱意によりクラウドファンディングによって保存に向けた整備が進んでいる。 筆者は福鉄の本社のある武生市(現・越前市)の出身で、幼いころから福鉄と共に成長してきた。鉄道好きとなったのも福鉄の歴代の電車、沿線による影響が大きい。今回は福鉄のこれまでと、200形の誕生から廃車、そして修復への過程をたどってみたい。 かつては3路線あった福井鉄道 福鉄は現在、越前武生駅から福井市の田原町駅ま

                                国鉄に対抗「起死回生策」、福井鉄道200形の記憶
                              • 「桐島聡に複数回会った」ジャーナリスト黒井文太郎氏、「自分のことは話さず独特の雰囲気」

                                1974~75年に起きた連続企業爆破事件に関与したとして、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されていた過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者(70)を名乗り、死亡した男の逃亡生活が徐々に明らかになっている。軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏は10年ほど前、男が暮らしていた神奈川県藤沢市内で複数回、顔を合わせたことがあるという。当時の様子を証言した。 男の遺体は鎌倉市の病院から県内の警察署に移送された。警視庁公安部はDNA型鑑定などで身元の確認を進め、本人と確認されれば容疑者死亡で書類送検する方針。 「(報道された逃亡中の)写真を見て、あの風貌は間違いないと感じた」と黒井氏は話す。 男は「内田洋」を名乗り、約40年前から藤沢市の工務店に住み込みで勤務していた。1960~70年代のブルースやロックなどの音楽好きでライブハウスにも足を運んでいたという。黒井氏が男を複数回見かけたのも藤

                                  「桐島聡に複数回会った」ジャーナリスト黒井文太郎氏、「自分のことは話さず独特の雰囲気」
                                • 桐島聡容疑者名乗る男「ガリガリ」「どこで寝てる?」 困窮、部屋は乱雑

                                  「自分は桐島聡だ」。神奈川県鎌倉市の病院に入院し、そう名乗り出た男が29日、死亡した。連続企業爆破事件で指名手配された桐島聡容疑者(70)とみられる男は約40年にわたり藤沢市の土木会社で「内田洋」と名乗り、住み込みで働いていた。身分証や銀行口座を持っておらず、周囲に気づかれた様子もなかったが、関係者の証言からは男の困窮した生活ぶりも浮かび上がる。 「手を貸してくれませんか。この人歩けなくなっちゃって」。藤沢市の土木会社の近くに住む男性会社員(61)は1月初旬、別の男性に声をかけられた。会社の入り口には桐島容疑者とみられる男が座り込んでいた。白髪交じりの短髪で、ジャンパーを着た男はげっそりと痩せていた。 「もうガリガリ。口からはよだれも出ていた」。会社員が声をかけても、男は「うー」とうなるばかりで、会話にはならなかった。 会社員は声をかけてきた男性と2人で男を抱えながら自宅まで連れて行った。

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                                  • 「“うーやん”と呼ばれ客にも慕われていた」自称・桐島聡は行きつけのバーのBBQ大会にも参加、ブルースやサンバを愛しライブイベントでは踊っていた!〈自称・桐島聡死亡〉 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け

                                    「“うーやん”と呼ばれ客にも慕われていた」自称・桐島聡は行きつけのバーのBBQ大会にも参加、ブルースやサンバを愛しライブイベントでは踊っていた!〈自称・桐島聡死亡〉 50年前の連続企業爆破事件のメンバーとして指名手配され、“ウチダヒロシ”と偽名を名乗り逃亡を続けたとみられる男が1月29日、鬼籍に入った。末期の胃がんを患い、「最後は本名で死にたい」と自ら名乗り出たこの男は、はたして、東アジア反日武装戦線「さそり」の桐島聡容疑者(70)本人だったのか。男が行きつけだったバーの店主は「人柄を知っているから信じられない」と肩を落とした。

                                      「“うーやん”と呼ばれ客にも慕われていた」自称・桐島聡は行きつけのバーのBBQ大会にも参加、ブルースやサンバを愛しライブイベントでは踊っていた!〈自称・桐島聡死亡〉 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
                                    • 【訃報】日本人初の世界GP優勝。二輪、四輪で活躍したレジェンドが亡くなる。高橋国光さん逝去 | MotoGP, スーパーGT, ル・マン/WEC | autosport web

                                      > MotoGPニュース記事一覧 > 【訃報】日本人初の世界GP優勝。二輪、四輪で活躍したレジェンドが亡くなる。高橋国光さん逝去

                                        【訃報】日本人初の世界GP優勝。二輪、四輪で活躍したレジェンドが亡くなる。高橋国光さん逝去 | MotoGP, スーパーGT, ル・マン/WEC | autosport web
                                      • 東京會舘銀座スカイラウンジ、2020年12月30日閉館-交通会館の回転レストラン、55年の歴史に幕 | 都市商業研究所

                                        東京都千代田区の有楽町駅近くにある東京交通会館の回転展望レストラン「東京會舘銀座スカイラウンジ」が、2020年12月30日に閉館する。レストラン自体はリニューアルして2021年中の営業再開をめざすとしているが、回転展望レストランとしての歴史には幕を下ろすことになるという。 東京交通会館。 首都圏最後の回転展望レストラン、55年の歴史に幕 東京交通会館は東京都交通局跡地に1965年6月開業。オフィスと商業施設の複合ビルで、15階には回転展望レストラン「東京會舘銀座スカイラウンジ」が設けられた。 回転展望レストランはホテルニューオータニ(2018年停止)、蒲田プリンス会館など都内各地にあったがいずれも稼働を停止しており、2020年現在、首都圏で唯一の回転展望レストランとなっていた。しかし、老朽化等のため閉店することになったという。 東京交通会館と東京會舘は、展望レストランは2021年夏にリニュ

                                        • 「神田川」「やさしい悪魔」作詞家の喜多條忠さん死去

                                          「神田川」「やさしい悪魔」などのヒット曲で知られる作詞家の喜多條忠(きたじょう・まこと)さんが11月22日、肺がんのため死去した。74歳。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻、輝美(てるみ)さん。 大阪市出身。文化放送で放送作家をしていた昭和48年、自身の学生時代の体験をヒントに書いた「神田川」をフォークグループ、かぐや姫が歌い、ミリオンセラーとなった。続く「赤ちょうちん」「妹」でもつましい若者の暮らしを描き、「4畳半3部作」として親しまれた。 キャンディーズの「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」、柏原芳恵さんがヒットさせた「ハロー・グッバイ」、五木ひろしさんの「凍て鶴」などポップスから演歌まで手掛けた。日本音楽著作権協会理事、日本作詩家協会会長を務めた。

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                                          • 古沢憲司氏が死去 16歳3カ月で戦後最年少1軍デビュー、引退後は井川慶や藤川球児育てる - プロ野球 : 日刊スポーツ

                                            投手として阪神、西武、広島でプレーした古沢憲司(ふるさわ・けんじ)氏が死去していたことが25日までに分かった。75歳だった。 古沢氏は愛媛県出身で、1964年(昭39)に新居浜東を中退して阪神にテスト入団。同年7月25日の国鉄戦で救援登板し、16歳3カ月の戦後最年少で1軍デビューした。同9月30日の中日戦(甲子園)では、史上最年少記録の16歳5カ月で先発登板を果たしている。 71年に12勝、74年は4完封を含む自己最多の15勝を挙げた。78年オフに、新監督となったブレイザーが主砲の田淵幸一の放出を決断。古沢は田淵とともに西武・竹之内雅史、真弓明信、若菜嘉晴、竹田和史との2対4の大型トレードで西武に移籍した。82年シーズン途中にトレードで広島へ移籍し、84年には救援投手としてリーグ優勝に貢献。85年限りで現役を引退した。通算543試合に登板し87勝をマークした。オールスターには74、77年の

                                              古沢憲司氏が死去 16歳3カ月で戦後最年少1軍デビュー、引退後は井川慶や藤川球児育てる - プロ野球 : 日刊スポーツ
                                            • 【150年の軌跡】開業初日「時速210キロ」 命令背き「夢」運んだ 東海道新幹線、一番列車の運転士

                                              最高時速200キロを超える世界初の高速鉄道。昭和39年10月に開業した東海道新幹線は当初、すでに海外でも前例のあった時速160キロを最高速度とする通達が出されていたが、記念すべき一番列車はこの通達に背き、一部区間で計画段階の最高速度である時速210キロに到達していたことが明らかになった。上り一番列車の運転士を務めた大石和太郎さん(89)=埼玉県久喜市=が産経新聞の取材に応じ、「新幹線の開業に携わった人々の思いを胸にあえて通達に反して210キロ運転をした」と証言した。 十河総裁の〝予言〟東海道新幹線が発着する東京駅の18・19番ホーム。その先端にれんが造りの記念碑がひっそりと建っている。掲げられているのは第4代国鉄総裁、十河(そごう)信二のレリーフ。「新幹線の生みの親」と呼ばれる人物だ。 「新幹線は全国に広げてはいけない。せいぜい山陽までだな」。38年に新幹線開業準備室に配属された大石さんに

                                                【150年の軌跡】開業初日「時速210キロ」 命令背き「夢」運んだ 東海道新幹線、一番列車の運転士
                                              • 国鉄最強の電気機関車「EF66」今どこで見られる?

                                                コンテンツブロックが有効であることを検知しました。 このサイトを利用するには、コンテンツブロック機能(広告ブロック機能を持つ拡張機能等)を無効にしてページを再読み込みしてください。 ✕

                                                  国鉄最強の電気機関車「EF66」今どこで見られる?
                                                • まさに新幹線の「人間ドック」 国鉄浜松工場で「0系」車両の全般検査 あの日の鉄道風景

                                                  1968(昭和43)年4月、国鉄浜松工場(静岡県浜松市)で、新幹線0系の車両が全般検査を受けている。全般検査はすべての機器を取り外して詳細に調べる大がかりなもので、「全検」とも呼ばれる。64年に東海道新幹線が開通すると、翌年から同工場では新幹線車両の全検を開始。68年までに、浜松工場で全検を受けた新幹線は100編成を超えた。(久保木善浩)

                                                    まさに新幹線の「人間ドック」 国鉄浜松工場で「0系」車両の全般検査 あの日の鉄道風景
                                                  • 「紅の豚」声優、俳優の森山周一郎さん死去

                                                    アニメーション映画「紅の豚」で主人公の声を演じた声優で俳優の森山周一郎(もりやま・しゅういちろう、本名大塚博夫=おおつか・ひろお)さんが8日、肺炎のため死去した。86歳。葬儀は親族で行う。 愛知県出身。日本大中退後、昭和28年に研究生として劇団東芸に入団。テレビや舞台に出演する傍ら、渋い低音を生かして、洋画の吹き替えで活躍した。当たり役はドラマ「刑事コジャック」のテリー・サバラス。ほかにジャン・ギャバンやリノ・バンチュラ、スペンサー・トレーシーら。 宮崎駿監督の映画「紅の豚」では主人公、ポルコ・ロッソの声を担当。「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」は名せりふになった。テレビのナレーションやCMなども多く手掛けた。映画「幻想のパリ」で監督も務めた。著書「冬はかならず春」がある。

                                                      「紅の豚」声優、俳優の森山周一郎さん死去
                                                    • 死後52年「三島由紀夫」が心酔した書「葉隠」の中身

                                                      『葉隠』は、江戸時代中期の武士道書です。佐賀藩士・山本常朝(1659~1719)の言葉を、同藩士の田代陣基(1678~1748)が聞き書きし、約7年かけて書物にまとめたものであります。武士のあるべき姿を説いた武士道書であり、「武士道というは、死ぬ事と見付けたり」との名句は、誰でも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。 その『葉隠』を愛読した作家がいました。それは『仮面の告白』『金閣寺』ほか数々の名作で知られ、ノーベル文学賞の候補にもなっていた三島由紀夫(1925~1970)です。 ある程度の年代の人にとっては、1970年11月25日、三島が民兵組織「楯の会」隊員とともに自衛隊市ヶ谷駐屯地に突入し、自衛隊の決起を促す演説をした直後に割腹自決したことのほうを鮮烈に記憶しているかもしれません。今年(2022年)2月に亡くなった作家で元東京都知事の石原慎太郎(1932~2022)は、「三島が

                                                        死後52年「三島由紀夫」が心酔した書「葉隠」の中身
                                                      • アントニオ猪木氏死去

                                                        元人気プロレスラーで参院議員も務めたアントニオ猪木=本名・猪木寛至=氏が死去したことが1日、分かった。関係者が明らかにした。79歳。葬儀は未定。 昭和18年、横浜市生まれ。少年時代にブラジルに移住したが、35年、ブラジル訪問中の力道山にスカウトされて帰国し、プロレスラーとしてデビューした。同じ力道山の弟子であるジャイアント馬場とプロレス界の両雄として活躍した。 46年、新日本プロレスを立ち上げ、社長に就任。51年には「格闘技世界一決定戦」と銘打ち、ボクシングヘビー級の世界チャンピオン、モハメド・アリとの異種格闘技戦を東京・日本武道館で開催。世界の格闘技ファンの注目を集めた。後にアリから健闘をたたえてテーマ曲「アリ・ボンバイエ」を贈られ、猪木氏はこれをアレンジした「炎のファイター」を入場曲して使用するようになった。 平成元年にスポーツ平和党を結党し、「国会に卍固め、消費税に延髄切り」をキャッ

                                                          アントニオ猪木氏死去
                                                        • 50年ぶりに発見された「ゴルゴ13」幻のアニメ一挙公開【7夜連続放送】

                                                          1968年から続く長寿劇画「ゴルゴ13」の初期アニメ作品「ゴルゴ13セレクション」が、12月10日深夜3時から7夜連続、BS-TBSで特別放送される。71年に初のアニメとしてTBSで放映されてから、長い間、その所在が不明となっていた幻の作品。実に50年ぶりの放送となる。 「ゴルゴ13」は、東西冷戦の最中に誕生した世界屈指のスナイパーを描いた物語。主人公のゴルゴ13(別名デューク東郷)は、プロの狙撃手として多くの政治的および軍事的事件に関わっており、多くのエピソードが現実の国際関係や軍事的対立を反映している。今回放送されるのは初期の名作ばかりで、その中には「白夜は愛のうめき」「狙撃のGT」「檻の中の眠り」「ゴルゴin砂嵐」「スタジアムに血を流して」などの代表的なエピソードが含まれる。 アニメは、当時の革新的なアニメーション技術「スチールアニメーション」で制作されたもの。これは今ではあまり見ら

                                                            50年ぶりに発見された「ゴルゴ13」幻のアニメ一挙公開【7夜連続放送】
                                                          • 東海道新幹線のモデル線 東京ー新大阪間の開業前に時速160キロのスピードテスト あの日の鉄道風景

                                                            同新幹線では東京―新大阪の開業に先駆け、テスト走行が実施でき、その後に路線の一部として組み込める全長約30キロのモデル線を計画した。 62年6月、30キロのうち車両基地の鴨宮基地(神奈川県小田原市)から東に10キロの区間を先に開通させ、試験走行を始めていた。(久保木善浩)

                                                              東海道新幹線のモデル線 東京ー新大阪間の開業前に時速160キロのスピードテスト あの日の鉄道風景
                                                            • 国道駅、それは生と廃の交わる空間。生きている駅と静かに眠る高架下。~廃なるものを求めて 第8回~|さんたつ by 散歩の達人

                                                              廃なるものを求めて廃なるもの、すなわち廃線跡、廃墟、その他うんぬん。写真作家の吉永陽一が朽ちていくものをじっくりしっとり、ときには興奮しながら愛でていく連載。 皆さん、国道駅という駅を聞いたこと、訪れたことがありますか? このストレートなネーミングの駅は、JR鶴見線鶴見駅の隣にある高架駅です。国道15号に面しており、駅名はその国道が由来です。この駅を目的に訪れる人々が絶えることがなく、鉄道ファンや旅人には名が知れた駅です。 なぜそんなに注目されているのかというと、国道駅は昭和5年(1930)に開業した高架構造の雰囲気を、今も色濃く残しているから。 高架下はコンクリートのアーチ型が続き、「レトロでノスタルジック」な佇まいが人気です。 生まれも育ちも東京都だが大阪芸術大学写真学科卒業。空撮を扱う会社にて空撮キャリアを積み、長年の憧れであった鉄道空撮に取り組む。個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真

                                                                国道駅、それは生と廃の交わる空間。生きている駅と静かに眠る高架下。~廃なるものを求めて 第8回~|さんたつ by 散歩の達人
                                                              • 赤羽の団地「スターハウス」その意外な住み心地

                                                                コンテンツブロックが有効であることを検知しました。 このサイトを利用するには、コンテンツブロック機能(広告ブロック機能を持つ拡張機能等)を無効にしてページを再読み込みしてください。 ✕

                                                                  赤羽の団地「スターハウス」その意外な住み心地
                                                                • JALのこのロゴ。一体いつの時代の看板なんだ…?

                                                                  道民の人(廃墟・ひなびた風景)@3/10 九州コミティア H05 @North_ern2 JALのロゴは私も記憶があるけれど、全日空(ANA)のダヴィンチヘリコプターみたいなロゴは正直初めて見た…。こういう80~90年代は日常的に存在していたであろうものごとが消える速度はひょっとしたらそれより前のものよりも速いのかもしれないなあと。 pic.twitter.com/1os2lEsiGH 2024-03-05 17:38:42

                                                                    JALのこのロゴ。一体いつの時代の看板なんだ…?
                                                                  • “未来を夢見た建築” ブルータリズムを巡る。

                                                                    1950年代末〜70年代にかけて、日本の建築界を席巻したブルータリズム建築。ブルータリズムとは、機能や材料などをそのまま形に表したデザインの建築を指す。日本では庁舎や学校などの様々な建物がこの様式で建てられたが、70年代頃になると次第に下火となり、その潮流はポストモダン建築へと変わっていった。 『日本のブルータリズム建築』は、建築ジャーナリストの磯達雄が日本各地のブルータリズム建築から厳選した9件をまとめた1冊。これまで年代を問わず多くの建築を見てきた磯だが、中でもブルータリズムに強く惹かれるという。 「ブルータリズムが建てられた時代は、建築が一番とんがっていて先進的なことをしていた時期。また、構造や機能が形に表れているというのは、建築家の夢や理想が色濃く反映されているということ。そこに魅力を感じます」

                                                                      “未来を夢見た建築” ブルータリズムを巡る。
                                                                    • 連続企業爆破「桐島聡」名乗る男が死亡 末期がんで神奈川県鎌倉市の病院に入院

                                                                      昭和49~50年の連続企業爆破事件で、警視庁公安部に身柄を確保されている過激派「東アジア反日武装戦線」の「さそり」グループメンバー、桐島聡容疑者(70)とみられる男が29日、死亡したことが、捜査関係者への取材で分かった。男は末期がんで神奈川県鎌倉市の病院に入院しており、警視庁公安部がDNA型鑑定で身元の特定を進めていた。 捜査関係者などによると、男は「内田洋」と名乗り、同県藤沢市内の工務店で数十年間にわたり勤務していた。1月上旬に、自宅近くでうずくまっているところを近隣住民に救助され、その後鎌倉市の病院に入院した。 男は入院時も内田を名乗っていたが、25日になって「桐島聡」と名乗ったため、連絡を受けた公安部が身柄を確保している。「最期は本名で迎えたかった」などと話したという。公安部はこれまでの逃亡手段や、手助けした人物について調べている。 桐島容疑者は昭和50年4月、手製の時限爆弾で東京・

                                                                        連続企業爆破「桐島聡」名乗る男が死亡 末期がんで神奈川県鎌倉市の病院に入院
                                                                      • 半世紀ほど前のニューヨークで行われた自動車ショーに参加したソ連美女がほぼメーテルだった

                                                                        まとめ 冷戦時代に東側に赴任した外交官によるとソ連は「ブロンド美女、黒髪、アジア系、ポッチャリ男」と様々な性癖をカバーしたハ.. 外交官になればよかった。眼鏡があればそれでいい。 79470 pv 259 11 users 186 フワトロ大尉 @higashiyama2jou @dragoner_JP 私の大先輩の外交官がソ連時代にソビエトに赴任した時、ガチでメーテルにしか見えない美女が担当として来たそうです。この先輩はアニオタで銀河帝国999のファンだった。ご本人曰く「俺の好みを完全に把握されてた」そうです。その女性の写真見ましたが、本当に腰近くまであるブロンド美女でした。 2020-11-20 10:32:19

                                                                          半世紀ほど前のニューヨークで行われた自動車ショーに参加したソ連美女がほぼメーテルだった
                                                                        • 翼たたんだ状態でなぜ飛べたのか? アメリカ海軍の空母艦載機 F-8「クルセイダー」 | 乗りものニュース

                                                                          空母艦載機の特徴のひとつとして、主翼に折りたたみ構造を取り入れる点が挙げられ、それゆえに主翼をたたんだ状態で離陸したことも何度かありました。その回数が最も多かったのがF-8「クルセイダー」戦闘機です。 主翼を畳んだ状態でも離着陸できたF-8戦闘機とは 空母では飛行甲板や格納庫の広さが限られるため、艦載機の多くは翼や胴体の一部を折り畳めるようになっています。 しかし、この構造ゆえに翼を折りたたんだ状態で飛び立ってしまうこともあるようで、そのようなミスは第2次世界大戦後に限定すると、アメリカ海軍と海兵隊合わせて十数回ありました。そのうち7回もやってしまったのが、アメリカ海軍および海兵隊のF-8「クルセイダー」戦闘機です。 拡大画像 アメリカ海軍のF-8「クルセイダー」戦闘機。左右の主翼の端の部分を折り畳んでいる(画像:アメリカ海軍)。 F-8「クルセイダー」はアメリカのチャンス・ヴォート(現ヴ

                                                                            翼たたんだ状態でなぜ飛べたのか? アメリカ海軍の空母艦載機 F-8「クルセイダー」 | 乗りものニュース
                                                                          • 団地コミュニティは終焉を迎えたのか? 石神井公園団地、53年目の幕引きに思う | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

                                                                            総戸数490戸、築53年。石神井公園団地の解体が10月27日に始まった。 都内最大級にして最古級の大型団地は、1967年、高度経済成長期真っ只中に竣工したものだ。 解体の始まりに行われた「団地お別れイベント」の冒頭では、石神井公園団地管理組合理事長の岡崎登さん(85)が挨拶した。 「本日をもって石神井公園団地の解体が行われます。団地の中には花が咲き乱れ、小鳥もさえずる、大変環境の良い場所でした。このような素晴らしい団地を作り、維持管理してきた先輩方にお礼を。ここに建て替えに伴う解体が始まることには一抹の寂しさもありますが、新しいマンションの完成に期待して、お別れの挨拶とさせて頂きます」 昭和、平成、令和と3つの時代を経て、またひとつ、時の面影を色濃く残す風景が姿を消す。 団地管理組合長の岡崎登さん(左)と団地マンション建替組合理事長の黒河内剛さんに、石神井団地での思い出を聞いた。 倍率22

                                                                              団地コミュニティは終焉を迎えたのか? 石神井公園団地、53年目の幕引きに思う | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
                                                                            • 【週末駅弁】上野駅「チキン弁当」

                                                                                【週末駅弁】上野駅「チキン弁当」
                                                                              • 力道山が刺された日。妻が聞いたアントニオ猪木を認める言葉と幻の計画

                                                                                力道山の妻が語る「馬場・猪木」の記憶 後編 前編:ジャイアント馬場との意外な関係を告白>> 戦後、プロレスラーとして多くの日本国民に勇気を与えた力道山。その妻である田中敬子さんは、弟子のジャイアント馬場(本名・馬場正平)について回想したのち、「主人が気にかけていたのは猪木さん」と、もうひとりの偉大な弟子について話し始めた。 中学時代、家族と共にブラジルへと移住したアントニオ猪木(本名・猪木寛至)。17歳の時に陸上競技で活躍していたところが力道山の目に留まり、現地でスカウトされて昭和35年4月に日本プロレスへ入門した。 力道山の餅つきを見守るアントニオ猪木(左から2人目)、ジャイアント馬場(左から3人目)たち(写真/妻・田中敬子さん提供) 東京・浜町の道場で開かれた会見では、読売ジャイアンツの投手からプロレスに転向したジャイアント馬場と共に入門が発表され、デビュー戦も同じ同年9月30日だった

                                                                                  力道山が刺された日。妻が聞いたアントニオ猪木を認める言葉と幻の計画
                                                                                • 「テキサスの荒馬」テリー・ファンクさん死去79歳 全日本で兄ドリーと「ザ・ファンクス」で活躍 - プロレス : 日刊スポーツ

                                                                                  全日本プロレスなど日米マットで活躍したプロレスラーで「テキサスの荒馬」と呼ばれたテリー・ファンクさんが死去した。23日(日本時間24日)、米プロレス団体WWEが発表した。79歳だった。死因は明らかにされていない。21年には認知症の治療を続けていると複数の米専門メディアが報じ、故郷・米テキサス州アマリロの生活支援施設や介護付きホームで生活していると報告されていた。 プロレスラーの父ドリー・ファンク・シニアの次男として生まれたファンクさんは、兄ドリー・ファンクJr.とともにレスリングを学び、65年12月にプロレスラーとしてデビュー。70年6月、日本プロレスで初来日し、71年12月には兄ドリーとのファンク兄弟でジャイアント馬場、アントニオ猪木組を下してインターナショナルタッグ王座を獲得、72年10月には全日本プロレスの旗揚げ興行に参加した。以後、全日本プロレスを中心に活躍。兄とともに「ザ・ファン

                                                                                    「テキサスの荒馬」テリー・ファンクさん死去79歳 全日本で兄ドリーと「ザ・ファンクス」で活躍 - プロレス : 日刊スポーツ

                                                                                  新着記事