・劉備が中国をあっちへこっちへと移動していたのは、どこか重耳という人を、どこか重耳という人の人生を念頭に置いていた節があったのではないだろうか。いや、もちろんそれは単なる一身上の不遇に次ぐ不遇でしかなく、身の置き方に常に困っていたのが実情ではあろうが、今度は徐州、今度は荊州と流浪の旅を続けていたその心中には重耳を思えというものがもしかしたらなかったろうか。 重耳を思えと。長い間の流転を繰り返し、晩年にはとうとう中華の覇者となった。せっかく手に入れた土地を呂布に奪われ、曹操に奪われ、ようやく小城が手に入ってもそこから出なければならなくなる。北には袁紹、中原は曹操、南には孫策。こんなことで一体どうなるものかとため息の一つでも出てくるような心情だっただろうが、そういう時だからこそ心のよりどころを必要とした。そういう時にあったのが恐らくは重耳の逸話であり。 流転を繰り返すのは吉兆ですと。苦難にめげ