2011年3月12日、東日本大震災の発生翌日。 未曽有の大災害に見舞われた日本を支援するため、アメリカ軍が開始したのが「オペレーション・トモダチ」=「トモダチ作戦」だった。 兵士2万4000人が投入された「日米最大の作戦」は、どのように実行されたのか。 その舞台裏を、関係者はきのうのことのように克明に語った。 (ワシントン支局記者 辻浩平)
「絶望です」避難所でついに死亡者も 弁当は1日1食のみ、住民の直訴を市長が遮り…能登半島震災から約7カ月、現地が明かす行政の怠慢 社会・政治FLASH編集部 記事投稿日:2024.08.03 17:35 最終更新日:2024.08.03 17:35 「エコノミー症候群で亡くなった高齢者もいます。どれだけ訴えても、私たちの声が届くどころか、蓋をされてしまっています」 2024年の元旦、最大震度7を記録した大震災が発生した能登半島。死者は災害関連死と合わせ、300人を超えている。 「岸田文雄首相は5月31日、『復興基金』を通じ、石川県に520億円の財政支援をおこなうことを決めました。さらに、『能登半島地震被災地支援宝くじ』の収益分約40億円の半分が県の予算に充てられるなど、早期復興に尽力しているとアピールしています」(政治部記者) 【関連記事:「元に戻すの難しい」財務省、能登半島地震「無駄な財
死者が少ないから(と言っても数千人死んでるけど) 被害の地理的範囲が狭いから(神戸周辺しか被災してないから兵庫県内ですら北半分や姫路以西は忘れてるし、ましてや大阪京都はお察し) 昔過ぎるから(前世紀の話で20代以下は記憶なし) 首都圏で停電してないから(大手マスコミは首都圏に住んでるししょうがない。焼け野原の地方都市見ても温泉と勘違いするだけ) インターネットが普及してない時期なのでネットミームになりにくい(死者を数える不謹慎コピペくらい) 津波なくて原発爆発してないから(水素爆発や津波映像と比べると高速道路倒壊はインパクト小さい) 同じ年のオウムのほうがインパクトがあったから(サリン・VX・炭疽菌・長官狙撃・水中クンバカ・空中浮揚など事件の種類が多く期間が長い)
今のコロナでみんなの心がぎすぎすしていたり、誰かが誰かを叩いていたり、悲鳴を上げているのを見ても、なんだけ遠い世界の話のように見える 正直、コロナは怖いのは分かるけれど、目の前で親が流されていったり、住んでいたところの空気がいきなり放射能に汚染されて逃げるしかないとか、そんなのに比べれば遙かにマシじゃないかと思う 特に東京の人は一番感染者が多いから、恐ろしいのもわかるけれど、まだいいよ。真綿でじわじわと首を絞められるようだ、というけれど、突然上から爆弾が降ってきて何もかもなくなってしまって、後悔後悔で毎日を生きているより、よほどいいよ 俺は未だにあの時の光景を夢に見る 走って逃げて、高台にたどり着く目の前で、知り合いのおじいちゃんが流されて、母親の手を握ったけど、離れてしまって アレは地獄だ、アレこそ地獄だった コロナがいつか落ち着いた日に、経済活動は止まっているかもしれないし、仕事はなく
ぱらい @yopparai_chmist アイリスオーヤマの経営面白い。あらゆる設備の稼働率を7割以下に留めて、需要の急増に瞬時に対応できる体制にしているそうだ。東日本震災後にはLED照明を大量生産してLED電球で国内シェアトップになり、コロナ禍ではマスクの大量生産を行った。7割稼働。良い なんと言うか人生もこんな感じにしたい 2022-02-16 20:36:46 ぱらい @yopparai_chmist 情報源は「いかなる時代環境でも利益を出す仕組み」という本。アイリスオーヤマの会長の大山さんの著者。非常事態が必ず起こるという前提で経営を考えている。非常に素晴らしいなと感じた。 2022-02-16 20:36:46
これは2011年に「WJC」という雑誌に書いたコラムですが、AVから「ドキュメント性」が失われつつある今、ちょっと再掲載してみたくなりました。90年代に一部の文化人に熱狂的にAVが支持されたのは、このアナーキーなドキュメント性によるものであり、それは映像表現の新しい可能性を見せてくれるものでした。それが近年、ドキュメント性を打ち出すことが難しくなり、そして今回の「AV新法」によって完全に失われてしまうのはやはり残念に思います。 AVが描いた震災 地震から約一週間後の3月19日に「ビデオナイト」というイベントに出演した。出演者がレアな……、というか奇妙変なビデオを持ち寄って上映し合うというイベントで、基本的には不謹慎極まりない内容なのだが、自粛せずにあえて開催した。 この日も、カルト宗教のPRビデオや、冗談としか思えない絵柄のタトゥーを全身に入れた女のビデオなどフリーキーな作品が次々と上映さ
元日の夕方という穏やかに過ごしている人が多い時間帯を、最大震度7の巨大地震が襲った。日本海沿岸部の広い範囲に大津波警報、津波警報が発令され、日本中が緊迫した空気に包まれた。震源地に近い能登半島では地震の揺れに加え、津波や火災によって甚大な被害がもたらされた。 能登町 地震発生から12日が過ぎた1月13日、私は取材のため現地に入った。被災地では慢性的な渋滞が発生し、一般車両は能登に行かないように呼びかけられている。メディアの取材とはいえ、救援活動の妨げになることは極力避けたい。事前に夜間は交通量が激減することを調べていたため、前夜に出発して深夜のうちに現地入りすることにした。 入念な準備のもと現地へ 出発前、取材する2日間分の食料や飲料、予備のガソリン、長靴2足と予備の靴、胴長などを車に積み込む。
2011年に起きた東日本大震災と、福島第一原子力発電所の事故から10年。ライターのヨッピーさんが、原発の内部を見学してきました。復興の状況、廃炉への道のり、汚染水(トリチウム水)の処理問題……タレントのなすびさんや、いわき市小名浜の「上野台豊商店」上野臺 優さんの話と共に、現地の様子を伝えます。 先日、福島第一原発に行った。 10年前のあの日、「会社を辞めるぞ!」と決意したこともあって、退職手続きのあれこれに追われていたことを思い出す。 何事も「面倒臭いことは全部後回しにする」というややこしい性質を持っている上、「どうせもう辞めるし」と完全に会社を舐めてかかっていたので退職にまつわる書類の提出も期限ギリギリになって大目玉を食らった。 「今すぐ持って行け!」と上司に言われ、しぶしぶ東京の本社ビルに出向き、経理課長から「お前はいつも提出が遅い。最後の最後まで……」などとお小言を食らっている最中
(8月26日付掲載) 珠洲市内では手つかずの倒壊家屋が連なり、まだ水が出ない地域もある。元旦の発災直後から時が止まったような光景が広がっている(8月23日) 元日に発生した能登半島地震から8カ月――。能登被災地の現状がメディアでとりあげられることも減り、自民党総裁選に名乗りを上げた政治家が記者を引き連れて顔売りに来たり、復興が進み始めたかのようなニュアンスで報じられる一方、現地では今なお被災直後と変わらない深刻な現実が横たわっている。公費解体や交通網の整備、仮設住宅の建設などが遅れているにもかかわらず、震災直後には当然のように注がれた国や行政からの支援が次々に打ち切られ、行き場を失う被災者たち。失われた暮らしや生業をいつとり戻せるのか、まったく先が見通せない絶望感が覆うなかで、歯を食いしばって互いに協力しながら困難と対峙する日々を強いられている。本紙は石川県能登半島に赴き、被災地の今を取材
東日本大震災の教訓を次の世代に伝えるため当時の資料や映像を集めてインターネット上で公開するデジタルアーカイブで、閉鎖や閉鎖を決めたものが相次いでいることが分かりました。専門家は震災の実態を伝えるデータが散逸するおそれがあるとして「防災の新たな知見に役立つ可能性がある資料を、どう残していくか議論が必要だ」と指摘しています。 東日本大震災に関連するデジタルアーカイブの取り組みをめぐっては、政府の復興構想会議が震災直後の2011年5月に「大震災の記録を永遠に残して科学的に分析し、教訓を次世代に伝える」ことを復興の原則に掲げました。 自治体や民間団体、企業などが被害や復旧・復興に関連する資料などを公開し、現在、確認できるだけでも40以上に上っています。 ところが、これまでに少なくとも3つが閉鎖したほか、今月末には日本赤十字社が東日本大震災と原発事故での活動記録や救護班員の手記、写真や動画などおよそ
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ゆうて平成天皇(上皇陛下)は文句無しにぐう聖でしたやん 震災の時もいち早く駆けつけたりしてたし 日本国民のお祖父ちゃん、タイでめちゃくちゃ愛されたプミポン国王みたいなもので、 日本の象徴に相応しい徳のある尊敬に値する人物だった 平成天皇(上皇陛下)だったからこそ、天皇制に疑問を抱かなかったし、皇室侮辱に『は?』ってなったけど 昭和天皇とか死ぬほどどうでも良いです あと、平成天皇(上皇陛下)の模範的な在り方は誇り高い使命感と自己犠牲の上に成り立ったもので、 それを他の方に強制するのも時代にそぐわないと思います 平成天皇(上皇陛下)が天皇家に対する期待値を爆上げしちゃったけど天皇制は今後どーなるんでしょーね・・・ <面倒だからここに追記>一度でも上皇陛下の現役時代のスケジュールや外交履歴見たことあるか? 当時80歳オーバーしかも心臓バイパス手術してたのにペリリュー島にも行ったんやで サイパンに
25年前の阪神・淡路大震災を教訓に国は全国で活断層の調査を進め、発生確率などのリスクを評価してきました。現在、地震が起きる切迫度が阪神・淡路大震災の直前と同じかそれを上回る活断層が31あり、改めて活断層地震への備えが重要になっています。 これを教訓に、国は地震調査研究推進本部を設置し、全国の活断層のうち、長さがおおむね20キロを超え、地震が起きた場合に社会的に大きな影響が出る114の活断層を重点的に調査、今後30年の地震の発生確率などリスクを評価してきました。 地震発生の切迫度は4つのランクに分けられ、確率が3%以上の活断層を、最も高い「Sランク」としていて、阪神・淡路大震災が起きる直前の発生確率は0.02%から8%で現在のSランクにあてはまります。 去年1月1日の時点で「Sランク」と評価されているのは、全国の31の活断層で、このうち「糸魚川ー静岡構造線断層帯」や「中央構造線断層帯」、「三
「震災時に検察逃げた」 森法相が答弁を撤回、野党は辞任要求 2020年03月11日18時44分 参院予算委員会が自身の発言で休憩となり、厳しい表情を見せる森雅子法相=11日午後、国会内 森雅子法相は11日の参院予算委員会で、9日に「東日本大震災の時に検察官は最初に逃げた」などと答弁したことについて、個人的見解だったとして撤回した。審議は中断し、反発した野党は閣僚辞任を要求した。 【点描・永田町】「政権の守護神」定年延長の“怪” 森氏が発言したのは9日の同委集中審議。黒川弘務東京高検検事長の定年延長をめぐる質疑の中で「東日本大震災の時、検察官は福島県いわき市から国民、市民が避難していない中で最初に逃げた。身柄拘束をしている十数人の方を理由なく釈放して逃げた」と断じた。 この発言を立憲民主党の山尾志桜里氏が11日の衆院法務委員会で追及。森氏は発言内容は事実と主張したが、重ねて問われると「『理由
1話につき1つ以上の矛盾点が見つかってしまうこの自称震災体験漫画、余りに支離滅裂な内容なので作品を観察している人達の間ではあぶくま君なる人物は存在しないのではないか?との疑念が浮かび上がっていました。 2:まさかのご本人登場ところが2021年10月16日に朝日新聞GLOBE+にあぶくま君本人と面会してインタビューを行ったという記事が掲載されました。 インタビューを行ったのは朝日新聞GLOBE+副編集長の関根和弘 @usausa_sekine あぶくま君がフォローしている数少ない(たった3名)のフォロワーの一人です。 このインタビュー記事であぶくま君本人がはっきりと「この漫画は事実」と語ってしまいました…今まで必死に「漫画なんだから事実と違う個所はフィクションに決まってるだろ」と擁護していた皆様は思いっきり後ろからぶん殴られてしまいましたね…ご愁傷様です。同時にあぶくま君は退路を自ら断ってし
真倉 敏 @makrabin7 今回、補償、補償ってうるさくねえか? 俺は95年の阪神大震災の被災者だけど、俺たちはあんなに補償、補償って言わなかったよな。政府も社会党政権でほんとに無能だった。なんで事業リスクを鑑みて預貯金を厚めに積み上げないんだよ。零細企業の経営者だった俺の父も3ヶ月くらい貯蓄を取り崩してた。 真倉 敏 @makrabin7 何度でも言うけど、大切なのは経済的独立、自立。政府にも家族にも誰にも依存せず、迷惑をかけずに生きられるレベル。それまでは死ぬほど働こうよ。私のこういう考え方は阪神大震災でのあまりの政府支援のなさによるものだと思う(ちなみに自衛隊にはものすごく感謝している)。
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なすび @hamatsutomoaki なすびのX。福島県出身。2016年5月19日に4度目の挑戦でエベレスト登頂に成功。 福島県あったかふくしま観光交流大使/山の日アンバサダー/富良野自然塾裏磐梯校特別インストラクター/安達太良山観光大使/福島環境・未来アンバサダー第1号/NARAHAアンバサダー/広野夢大使/会津美里町観光大使/石川県観光大使 リンク Wikipedia 電波少年的懸賞生活 電波少年的懸賞生活(でんぱしょうねんてきけんしょうせいかつ)は日本の放送局、日本テレビのTV番組『進ぬ!電波少年』の中で1998年1月25日 - 1999年4月18日まで放送された長期企画。お笑い芸人なすびが「人は懸賞だけで生きていけるか?」をテーマに目標金額を目指し挑んだ。日本での目標額は100万円、韓国での目標額は日本までの航空チケット片道分。 1998年1月に『進め!電波少年』が『進ぬ!電波少
はてな匿名ダイアリーというものの存在自体は割と昔から知っていたが、 時たま読むことはあれど書き手としては縁がないものだと思っていた。 ふと急に、今日一日考え事をしていてどうしてもどこかに書いておきたくなった。誰かに話したいのかも知れない。 文章を書くことは苦手で、ここ特有のルール(そんなものがあるのかすら知らないけど)もわからないので、 色々と不備があるかも知れないけれど、おぼろげな記憶をたどりながら思いのままに書いてみようと思う。 30年前、私は子供だった。 近所に1つ下の幼馴染が住んでいて、その家には正月や盆など毎年数回ずつ兵庫から九州へ親戚が里帰りに来ていた。 母親とその子どもたち3人。長男(以下、A太)と妹2人(B子、C美)という構成だ。 シングルマザーだったのかな。幼かったのでそこの記憶がない。 A太は私よりいくつか年上で、B子は1つ下、C美はさらに2つ下だったと思う。 歳が近い
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