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ブックマーク / jurosodoh.cocolog-nifty.com (65)

  • 「無力感」を抱きしめる - 愚智提衡而立治之至也

    インターミッション(^^;)。 あの震災後,いろいろと考えるところ(考えなかったところかもしれない)がありまして,このところいささか「図書館」という施設に対する興味や関心が薄れてきているのは,事実です。 理由は幾つかありますが,やはり「図書館」は大規模自然災害の前には無力なのだな,と改めて自らが無力であることを感じているところです。図書館関係者においても種々の応援・援助・ボランティアが起動し,現在もその活動が継続していますが,実際に被災地で自らが何をすることができたのか,自らに問いかけたとき,勤務先の復旧作業とその情報提供以外,被災地にある「図書館」として務めることができたであろう役割は,全くと言っていいほど果たすことができなかったのではあるまいか。そんな悔恨の念が,ずっと心の中に澱のように沈んでいます。 自慢するわけじゃないですが,あの911同時多発テロの際,ホワイトハウスなどwebでた

    「無力感」を抱きしめる - 愚智提衡而立治之至也
    rajendra
    rajendra 2011/08/06
    戦時も平時もオールマイティなんてことは普通ありえないので、その無力感を少しでも日常の仕事へのモチベーションに変えていくことが、職業人としてのせめてもの矜持だろうかと考えている。平時への復帰を祈ります。
  • 図書館政策の転回点(この機会を逃したら本当の終わり) - 愚智提衡而立治之至也

    2010年という年が,日図書館業界において,長く記憶に留められる1年になったことは間違いないでしょう。それは日図書館協会による「認定司書制度」の正式な発足,岡崎市立中央図書館(あるいは三菱電機インフォメーションシステムズ〈MDIS〉)事件(参考。杉谷智宏さんによる労作です),そして高知県立図書館と高知市立図書館の「合築」問題(参考1,参考2)によってである,と僕は見ます。この3つの「事件」は,1970年代より今日にいたるまで日の国家レベルにおける図書館政策の不在,そして図書館業界(そのナショナルセンターであるところの日図書館協会と,その有力な構成要素である公共図書館系団体である日図書館研究会,図書館問題研究会を中心とする)が推し進めてきた,『市民の図書館』(初版1970年,増補版1976年)というひとつの不磨の大典政策文書に基づく,公共図書館運動の最終的な帰結と破綻を,業界に携

    図書館政策の転回点(この機会を逃したら本当の終わり) - 愚智提衡而立治之至也
    rajendra
    rajendra 2010/09/04
    我が業界が行政府の周縁に位置し、かつ専門職としても未熟であるという、悪い部分が一気に現れてしまったんだよなあ。
  • 日本図書館協会が公共図書館以外の図書館業務を「図書館類似業務」と名付けたことを,私はいつでも思い出すことができます - 愚智提衡而立治之至也

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    日本図書館協会が公共図書館以外の図書館業務を「図書館類似業務」と名付けたことを,私はいつでも思い出すことができます - 愚智提衡而立治之至也
    rajendra
    rajendra 2010/07/15
    タコツボの中で喧嘩するより、タコツボの外でプロレスしよう。
  • 「選書論」の消滅 - 愚智提衡而立治之至也

    そういえば「選書論」の話を書きかけて放擲していたのでした(^^;). 細かい説明は省略しますが,これまで主流だった「要求論」が貸出至上主義の牙城である日図書館研究会読書調査研究グループにより極限まで推し進められた結果,もたらされたものが片やTRCによる「新刊急行ベル」であり,此方図書館利用者による「選書ツアー」です.面白いことに貸出至上主義を奉じる面々が,ほとんど皆と言っていいくらい,両者を蛇蝎の如く嫌っているわけで(選書ツアーについては,例えばこちら),こーゆうところに貸出至上主義のお役人的なパターナリズムを見る思いがするのですが,それはさておき(このあたり,興味がある方は『図書館をどう選ぶか』[安井一徳著,勁草書房]を読んでくださいませ.僕が下手なまとめを書くより面白いはず). 遠からず,「選書論」という枠組みはその有効性を失ってしまうだろう,と僕は考えてまして.それは上に挙げた

    「選書論」の消滅 - 愚智提衡而立治之至也
    rajendra
    rajendra 2009/10/12
    "各図書館のミッション・ステートメントの類によって,各館の裁量で進められるべき選書という作業が,如何なるわけか図書館業界全体の総意に基づく「選書論」という形で思考の一元化が強力に推し進められようとした"
  • はじめより憂鬱なる時代に生きたりしかば然かも感ぜずといふ人のわれよりも若き - 愚智提衡而立治之至也

    先日,教え子が僕を訪ねて来ましたですよ.彼女はダメ講師(僕のこと)の教え子とは思えない優秀なひと.昨今の斯様な情勢下ですから,とある指定管理者だか委託だかの会社が入っている公共図書館にて,その業者の契約社員という立場で勤務しています.僕には時々「専門家としての意見」をお尋ねになります.大概の場合,webで語り尽くされてもなお,一定の同意が得られないような話題に関する質問なので,僕の回答も両論併記の中途半端なものになりがちなのですが,まあそれはさておき. 彼女,何はともあれ「現在」図書館に勤務していることで何か得るところがあったと見えて,学生時代よりも生き生きしているし,実によくしゃべる(^^;).で,その中に現在新築中の某公共図書館の話が出て来てね.詳細は略しますが,その話を聞いていてちと思うところがありましたよ. もう彼女らの世代には,図書館の経営方式が直営も委託も指定管理者も関係ないん

    はじめより憂鬱なる時代に生きたりしかば然かも感ぜずといふ人のわれよりも若き - 愚智提衡而立治之至也
    rajendra
    rajendra 2009/10/06
    20代の端くれとしては、館界の栄華などしょせんは経済的発展に乗っかって贅沢にリソースを消費できた時代にのみ成立しうる儚い幻なんでは、くらいに思ってしまうな。/次代の芽のためにも、うまい負け方は大事。
  • 「図書館」を持続可能なものとするために(仮題) - 愚智提衡而立治之至也

    上手いタイトルが思いつかなかったので,取り敢えず仮題を付けておきます. この仕事をする上で何を考えているか,一番大きな視点は「図書館の持続可能性」に尽きると思います.公共であれ,大学であれ,「図書館」という概念なり組織なり容器なりが,今後も現在の形で存続することが可能なのか,あるいは別の概念なり組織なり容器なりにドラスティックに変わるのか,徐々に移行していくのかはわからないまでも,現行の「図書館」が変わってしまう可能性の方が高いのか. 僕個人は,以前知人に「急進的保守派」だの「新し物好きの割には考え方が古い」だの「天邪鬼」だの言われたような性向ですから(^^;),「図書館」という概念の根っ子の部分,と僕が考えている「共同体(Community)の記憶を納め,何時でも引き出せるようにしておく記憶の共同体(Utility)」は,恐らく今後も変化することはないだろう,と踏んでます.ただし,その使

    「図書館」を持続可能なものとするために(仮題) - 愚智提衡而立治之至也
    rajendra
    rajendra 2009/06/21
    新しい技術やアイデアをまず歓迎し、然る後にそれらを現実的かつサステナブルな形で運用していく、という営みは、地味だし効果が出るまで時間がかかるし評価も面倒くさいので、あまり好まれないな。
  • 「予約」 - 愚智提衡而立治之至也

    図書館業務のひとつとしての「予約」については,あまり面白くない記憶がまとわりついている. 何時頃のことだったか,もう定かな記憶が無いけど,何かの拍子に何処かで「予約」について,増加するのはあまり好ましくない,といった意味のことを書いたんだと思う.そうしたら,実に感情的な猛反発を日図研だったか,図問研だったかでアクティブに活動している業界人かららったことがある.何しろ感情的なものだったので,いったい「予約」の何処に,業界人をアツくする要素があるんだか,と不思議に思ったが,それ以来,僕は「予約」否定の急先鋒になった次第(^^;).それまでは,ある程度「予約」の数が増えるのは,それほど図書館に期待している「利用者」が多いのだよな,という感じで見ていたものの,他館からの相互貸借まで「予約」の数に入れるのは感覚的に奇妙な感じがしていたこともあって,「予約」数が増えることが「好い図書館運営」の指標に

    「予約」 - 愚智提衡而立治之至也
    rajendra
    rajendra 2009/04/30
    「必要悪」に同意。まともなラーメン屋は待ち行列の長さを誇ったりしない。予約数の多さは利用者に資料を提供できないでいる時間の長さに直結するわけで、貸出重視派こそ本当は恥じるべきなんだ。
  • 図書館目録再考 - 愚智提衡而立治之至也

    OPACを考える前に,検索されるデータを作成するための目録法を考えることから.これはやっぱり,個人的な体験から起こさなければダメか(^^;). 先日,敗北を喫したんですよ.MARC21準拠とかいう目録規則に.今や「大きな字で書いてあるのがタイトル」という常識は通用しないorz 以前にも愚智提衡而立治之至也: ダメな図書館目録の例から始まる一連のエントリーで,あれこれ議論したところですが,大学図書館に関する限り現在の図書館目録は「提供のための目録」どころか「管理のための目録」ですらなく,「目録規則のための目録」即ち「人のために法がある」のではなく「法のために人がいる」状態に堕しているということだとしか,僕には思えないのですが,違うんでしょうか? ところで,過日僕が担当している演習の期末試験の採点をやっていたら,自由記述欄で「図書館目録があれほどマニアックなものだとは思いませんでした」 とい

    図書館目録再考 - 愚智提衡而立治之至也
    rajendra
    rajendra 2009/02/20
    "目録規則とは「例外」を見つけるとそれをすべて飲み込まずにはいられない消化のいい胃袋を持っているために,あまりに精緻になりすぎて作る側も使う側も,誰もが簡単に使える代物ではなくなっているのが現状"
  • レファレンス再考:インフォメーションとインテリジェンス - 愚智提衡而立治之至也

    承前. 以前の僕ならば,「貸出」と「レファレンス」を対抗させる形でレファレンスの優位性を説いたところですが,ところがどっこい,前振りで「枠組みを問い直す」とやってしまったので(^^;),この手は使えません.おまけに,そのような単純な二項対立で公共図書館経営を考えることは,「文脈から切断された〈象徴としての公共図書館〉」を想定しない限りは成立し得ないわけです.では,どのような考え方を以って課題にあたるか. 公共図書館に限らず,図書館は「少しく叩けば少しく響き,大きく叩けば大きく響く」という特性を持っていると考えているのですが,その叩き方というものが,社会において共通の合意/認識が取り付けられている,という状況ではないと思うのですよ.だからこそ,そのような「待ち」の姿勢ではいけない,という議論があるのは承知の上なのですが,それでもなお,図書館をめぐる「リテラシー」が一様ではなく,そもそも「リテ

    レファレンス再考:インフォメーションとインテリジェンス - 愚智提衡而立治之至也
    rajendra
    rajendra 2009/02/20
    例えば福祉の仕事が「水を飲ませる」ことであり、教育の仕事が「井戸の掘り方を教える」ことであるならば、図書館の仕事とは何か。「水脈地図を用意する」がそれに当たるかな。地図を活用できるかはその人しだい。
  • レファレンス再考:その前提 - 愚智提衡而立治之至也

    レファレンス再考,というより図書館業務再考,であるか(^^;). まず,「貸出」「レファレンス」「読書相談」「目録作成」などなど,従来言われてきた業務の区分を一度,見直したほうがいいんじゃないかと思う.特に「貸出」と「レファレンス」の間に,厳密な一線を画そうとしてきた考え方-現在もなお,その幻影が蠢いているようですが,この発想をまず疑ってかかれなくちゃ,将来の図書館業務の発展はないでしょう.このリンク先の内容については,ここでは過剰な現場主義が公共図書館を(歴史的,地域的)文脈から切断してしまっていることを指摘しておくに止めるけど. 目録作成については稿を改めるとして,対来館者サービス業務について(余談だけど,公共図書館を考える際に「利用者」という言葉には手垢が付きすぎていて,とても多様な意味を込めて使える状態にはなく,いろいろ考えた結果,利用対象は「住民」,公共図書館に来館する住民は「来

    レファレンス再考:その前提 - 愚智提衡而立治之至也
    rajendra
    rajendra 2009/02/20
    図書館の視点からはそのとおりであり、しかし教育方面から見ると「現実を踏まえない脳天気な空理空論」とか言われそうな気がする。>市民に分析のリテラシーが備わっていることは,公共図書館業界が常日頃(略)
  • 官尊民卑に弄ばれる「図書館の自由」 - 愚智提衡而立治之至也

    昨年の今頃,【愚智提衡而立治之至也: 「法の下の平等」とレコメンドサービス】で俎上に載せた 田中,敦司 図書館は利用者の秘密を守る--カウンターで感じた素朴な疑問から (特集:図書館の自由、いまとこれから--新たな図問研自由委員会のスタートにあたって) みんなの図書館 (通号 370),21~26,2008/2が,最近そこここで取り上げられ,我が意を得たりと思ったことである.図書館は利用者の秘密を守る-カウンターで感じた素朴な疑問から- - 読書ノートのつもり?なつれづれ日記 http://d.hatena.ne.jp/yoshim32/20090209/1234159904 それであなたはなにがしたいのか-田中敦司「図書館は利用者の秘密を守る-カウンターで感じた素朴な疑問から-」に感じた根的な疑問 - ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG) - ブログ版 http:

    官尊民卑に弄ばれる「図書館の自由」 - 愚智提衡而立治之至也
  • プロフェッショナルとしての基盤 - 愚智提衡而立治之至也

    続き. もう長々と書いても仕方がないので簡単に. 個々の主題室がなければレファレンスが出来ないような図書館司書は,レファレンス・ライブラリアンとしてプロフェッショナルではない.レファレンス・ツールの種類と用法を広く心得ているのがレファレンス・ライブラリアンだとしたら,狭い分野の主題しか扱う必要がないところに必要なのは,司書ではなくその分野の専門家で充分だろう.その分野の専門家ではなく,プロフェッショナルとしての,レファレンス・ライブラリアンとしての図書館司書が必要なのは,図書館においては,どの分野の質問がどこに来るかわからないからではないのか? それとも,「図書館員の専門性」とやらを労働問題に回収したいのかな.それはもう,とっくに終わっている戦術であり,対抗言論だよ.この戦術を1980年代後半以降,主に「委託」問題で取り続けてきたがために,業界が無限の後退戦に陥り,しかも敗北が続きっぱなし

    プロフェッショナルとしての基盤 - 愚智提衡而立治之至也
    rajendra
    rajendra 2009/01/18
    実際のところ、ある分野のスペシャリストにライブラリアンのメソッドを注入するほうが、ライブラリアンをある分野に特化して養成するより、手間がかからないんじゃないかとも思う。
  • ワンストップサービス - 愚智提衡而立治之至也

    東京見聞録:都立中央図書館 新装開館に未来の姿を探る /東京 - 毎日jp(毎日新聞) この記事へのはてなブックマークに 意味不明なので,どなたか乞解説>>“ワンストップサービスを巡っては、図書館関係者に「司書が培ってきた経験の蓄積や専門性が崩れかねない」との懸念の声が上がっている。”とコメントを付けたところ,幾人かの方からこもごもご教示を頂きました.多謝m(_ _)m 毎日の記事中で,僕が引用した箇所の下敷きになっていると考えられる,nekokeiさんご教示の【東京の図書館をもっとよくする会: 「都立図書館改革の具体的方策」に関連して、都立図書館の充実を求める「陳情」を提出】における当該箇所の主張は ワンストップサービスは、特定分野ごとのレファレンス体制をやめて、 一箇所で全分野に渡るレファレンスに対応しようというものです。都立中央図書館の蔵書は300万冊で、 この膨大な資料を使ってレフ

    ワンストップサービス - 愚智提衡而立治之至也
    rajendra
    rajendra 2009/01/12
    「分担」を止めると勉強すべき範囲が一気に広がるので、専門性を磨くスピードが鈍り、したがってサービスは低下する、という理路なんだろう。実際のところ、それほど高度な専門性を求められているのかは知らんけど。
  • 図書館が見る「コミュニティ」のパースペクティヴ - 愚智提衡而立治之至也

    図書館概論』(JLA図書館情報学テキストシリーズ Ⅱ-1)の新訂版が届いたので,興味のあるところを拾い読みしてみたのです.そこで,どうも気になったのは「コミュニティ」というものの捉え方/考え方が,今もなお「定住者のコミュニティ」のみを前提にしているんじゃないか,というところなんですね.それはある種の公共図書館業界人が(指定管理者制度を導入していること以外でも)千代田区立千代田図書館を評価しない/できないことと,ほぼ裏表の関係を作っているんじゃないかと考えるのですよ. と言うのも,某研修会で千代田図書館の方の講演を拝聴した際,書き留めた僕のメモがあるのですが,それを僕なりに解釈・再構成してみると,千代田図書館は立地的に,定住者へのサービスに重点を置く従来型(『市民の図書館』が目指したような,新着図書と「貸出し」中心の運営による)の公共図書館を目指すことはもちろん,予算や建物から考えても,良

    図書館が見る「コミュニティ」のパースペクティヴ - 愚智提衡而立治之至也
    rajendra
    rajendra 2008/12/22
    図書館のカラーと、それを保持するコミュニティのカラーは、マッチングしてた方がいいに決まっとるわな。
  • 学問と政治 - 愚智提衡而立治之至也

    「みんなの図書館」12月号(No.380)が届いたので,早速読む.内容の詳細は【ともんけんウィークリー: みんなの図書館2008年12月号が出ました】に譲る. 巻頭の「特集にあたって」を読んで,最初は栄光の「みんなの図書館」もこれを以って終刊なのか,と思いベートーヴェンの「エロイカ」を聴きながら茶化しのめすか,と読み始めたのだが,これがなかなかどうして,素晴らしく意気軒昂な特集で,今更ながらに図問研の,『市民の図書館』の強靭な生命力に舌を巻く思いである.これは皮肉で言っているのではない.公共図書館に関して,どのような立場に身を置くひとであれ,公共図書館に関心のあるひとなら一度は目を通すべき特集であることは間違いあるまい.僕自身も,付箋を貼ったり傍線を引いたりして,いろいろと勉強させられる内容であった.当初の偏見をお詫びする. それを踏まえた上で,1箇所どうしても首肯出来ない文章がある. 歴

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  • やっとこさ試験運用を始めますよ(遅い!) - 愚智提衡而立治之至也

    以前,話題にしていたSBMを使ったパスファインダー,今日ようやく試験運用を勤務先のサイトでアナウンスしました.ここまでアナウンスが遅れたのは,ひとえに僕がサボっていたからなのですが,pliggを使ったおかげで,「カテゴリー」と「タグ」の使い分けがどうしても上手くまとめられずに,最初につくった18個のカテゴリー(学科ごとに主題をカテゴライズした)と,こちらで付けようとしたタグの整合性が,どうしてもつけられなかったことが原因のひとつです. 結局,最初に作成したカテゴリーを全部削除して,新たに3つのカテゴリーを「内容説明」代わりとして,タグを主題別にする-つまり,最初の構想とは真逆に構成する-ことによって,それを解決したわけですが,これを考え付くまでに,密かに随分と悩んでおりましたですよ(^^;). タグを主題別にすることによって,パスファインダーの作り方をかじった図書館員なら,このシステムを使

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  • 開かれた公共図書館とその敵(続) - 愚智提衡而立治之至也

    承前. ところで,公共図書館業界関係者の中には,片方で「専門性」の未確立を嘆きながら,実のところ他方では『市民の図書館』とそれを発展・継承させたと称する疑似科学によって,その専門家としての自我を肥大化させ,そこに奇妙かつ巨大なコンプレックスを現出させた連中がいます.これはオルテガ・イ・ガセットが『大衆の反逆』の中で“「専門主義」の野蛮性”という章を立てて,指摘している専門家と称する人々の知的傲慢,そのものではないでしょうか.自分たちだけが公共図書館を識る者であり,祖師が作り上げた「枠組み」が妥当かどうかを検証することも無くその「枠組み」を信奉して,そこから外れていると「彼らが」認識したものは「あれは公共図書館ではない」「これは“図書館的”だが公共図書館とは認められない」などなど,妥当かどうかもわからない「枠組み」,確立もしていない「専門性」に依拠して夜郎自大な批判を繰り返します. そのよう

    開かれた公共図書館とその敵(続) - 愚智提衡而立治之至也
  • 開かれた公共図書館とその敵 - 愚智提衡而立治之至也

    asahi.com(朝日新聞社):ボーイズラブ小説は不適切?図書館貸し出しで議論白熱 - 社会 http://www.asahi.com/national/update/1105/OSK200811040115.html28万冊いずこに…全国公立図書館で不明、被害4億円超す : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20081109-OYT1T00123.htm こーゆう記事を読んでいると,1970年代に『市民の図書館』の成立を支え,また成立以降の『市民の図書館』とその信奉者が目指してきたものが,名実ともにあっけなく破綻したなあ,と思わざるを得ません.残念ながら. 『市民の図書館』には,このような文章があります. 「住民は,一人一人の自由意志によって公共図書館を利用するので

    開かれた公共図書館とその敵 - 愚智提衡而立治之至也
  • 失政のツケ - 愚智提衡而立治之至也

    昨日届いた「図書館雑誌」2008年10月号をつらつら読んでいてビックリしたのですが, 来年度以降の全国図書館大会の開催地が確定していない.(746頁)のだそうで.毎年10月を目処に大会を開くのが慣習ですから,今頃にはすでに来年度の開催場所は決まっているのが通例だったと記憶しているのですが,来年度さえ決まっていないというのでは,日図書館協会の基礎体力も相当な部分,衰えてきているのかとある種の感慨を禁じえません. ここ数十年来の日図協の公共図書館に偏重した運営(一例を挙げれば,日図協主催の「ステップアップ研修」とやらが始まってから随分になるのに,何時までたっても公共図書館司書のためのものにとどまり,他の館種に拡大する様子が見られないこと.しかも,導入にかかわった関係者が「公共から始めるのが当然」と言わんばかりのことを「図書館雑誌」に記している)がもたらすであろう「ひずみ」については,以前この

    失政のツケ - 愚智提衡而立治之至也
    rajendra
    rajendra 2008/10/19
    1年に1回の大会合、というスタイルに無理があるような気がする。テーマごとの小分科会レベルじゃないと議論を追う余裕がなくて、どんどん縁遠いものになっている。
  • ねえねえ,いやはや,ちょっとこれ,やれどうしたものか.あーまったくもう - 愚智提衡而立治之至也

    たまには仕事の話. 2005年度 約24万円 2006年度 約31万円 2007年度 約35万円 2008年度 約50万円これは,とある外国語雑誌の勤務先での購読料の推移(代理店経由). この雑誌は,もうひとつの雑誌とともに自然科学系の両巨頭とも言える雑誌であります.勤務先でも40年以上の長きに渡って購読を続けて来た雑誌でしたが,ここ数年,そのアコギな商売のやり口(無暗と増える派生誌,プリントよりオンラインが高額,派生誌をまとめ買いした顧客の優遇などなど)が水面下で取り沙汰されておりました.それがついに,単独でプリント版のみを購読すると50万円ですか.ちなみに,もうひとつの雑誌の購読料はプリント版のみでこちらの3分の1以下.昨今の円の独歩高を考えれば,これが当たり前ですよ.他の外国雑誌も,軒並み購読価格は据置きなのに,これだけが高騰を続けるというのは,さすがというか何というか.この雑誌の「

    ねえねえ,いやはや,ちょっとこれ,やれどうしたものか.あーまったくもう - 愚智提衡而立治之至也
    rajendra
    rajendra 2008/10/18
    2005→2008で倍額ってあたり、何ともはや。どこのバブルだよ。