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ブックマーク / qushanxin.hatenadiary.org (16)

  • yahoo!ニュースのコメント欄がひどい - 狂童日報

    ネット上のヘイトスピーチというと「2ちゃんねる」が有名だが、あきらかにそれ以上にひどいところがある。それはyahoo!ニュースのコメント欄だ。この欄のコメントの偏見の凄まじさにはときどきびっくりさせられる。 例えば先日の総務省の坂政務官の「派遣村」に対する「働く気があるのか」という、失言というよりも「暴言」としか言いようのない発言について、そのコメントが途方もなくひどい。「派遣村に集まったヤツだけ見てれば、あの発言は仕方ないだろうな」とか、「この派遣村だって露骨に政権与党批判のために集まってるじゃねーか」とか、「一般人はみんな必死で仕事してるんです。公園でタバコすってたむろして,9条がどうしたの旗掲げてるやつら,まさに”まじめに働こうとしていない”やつらばかり」などといったものだ。国籍法改正のときもとんでもないひどさだったが、ネット上とはいえ、ここまで露骨なヘイトスピーチは日ではありえ

    yahoo!ニュースのコメント欄がひどい - 狂童日報
  • 究極の弱者 - 狂童日報

    加藤容疑者に関する報道を見るにつけ、彼は現代社会における究極の「弱者」であったのではないか、という感を拭えない。 従来弱者というと女性、外国人、身体障害者、あるいは何らかの出自で差別を受けている人々であった。こういう人々が社会的な困難に直面すれば、周りの人は「世の中の不当な差別が原因だ」と直ちに理解し、(現実には依然不十分だとしても)様々な支援・救済の手が差し伸べられる可能性がある。なにより当事者自身が、「弱者」というカテゴリーの中に入ることによって「差別は社会の問題であって、当の自分はまっとうな人間だ」であると考えることができる。また周囲の人々も、まず「差別的な人間」だとは思われたくないので、そのような考え方をしようとする。 しかし加藤容疑者は、どこにでもいる普通の、しかも比較的教育熱心な日人の家庭に育った男性であり、しかも地方の伝統進学校出身である。いわゆる「勝ち組」になるための社

    究極の弱者 - 狂童日報
    randompole
    randompole 2008/06/13
    「弱者」の内面化。
  • 生存よりも差別解消を - 狂童日報

    前にも書いたことだけど、非正規労働者層に対する「努力が足りなかったのでは?」という声が、以前よりも強まっている気がする。一例として、「雇用形態格差「非正社員の給与を上げて是正」49%http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizresults.php?wv=1&poll_id=2059&typeFlag=1」などに見られるが、「是正する必要がない」が32%はネット上の調査とは言え正直驚いた。連日「格差社会」と非正規雇用層の悲惨な生活実態をニュースや特集番組で耳にしているはずなのに、それでも「今のままでいい」と考えているのである。 「是正する必要がない」という人の意見を読むと、要するに「正社員の俺は過剰な責任を負わせれて苦労して働いているのに、気楽に働いているあいつらと一緒の給料なんてとんでもない」というわけである。最近一部の活動家による「生存」をス

    生存よりも差別解消を - 狂童日報
    randompole
    randompole 2008/06/09
    弱い者たちが夕暮れさらに弱い者を叩くの図。
  • 生存と差別 - 狂童日報

    再び書くが、私は「格差社会」の根の問題は「生存」ではなく「差別」であるべきだと思っている。特に30歳を超えた「フリーター」とよばれる人々が悲惨なのは、生活が大変だということもそうだが、アルバイトでしか生計を立てていないことがイコール「社会人でない」、つまり「まとも」な生活や人生を送っていないとみなされていることにある。こうした侮蔑的・差別的な視線は、与党と財界の「自己責任」の論理と、年長世代の「仕事なんか選ばなければいくらでもある」と無邪気に考えている人々という二つのベクトルがあるが、こうした差別が「フリーターなどに財政的な支援する必要はない」という論理を正当化しているのである。支援がほとんど実質的な効果のない職業訓練に偏りがちなのも、機会の平等という理念という以前に、「フリーターはスキルを身につける努力をしてこなかった」という、差別的な理解が広く共有されているからである。繰り返しになる

    生存と差別 - 狂童日報
    randompole
    randompole 2008/06/09
    重要な論点。
  • ■ - 狂童日報

    経産次官の「デイトレーダーはバカ」発言は案外重大だ http://diamond.jp/series/yamazaki/10017/ それにしても、経産省の事務次官が、これほど日企業の経営者の保護に熱心であることの理由は何なのだろう。一つの推測は、規制の一部を権限として握る経産省が自らの立場を守るために、投資家に脅かされている経営者を味方に付けたいのだろうということであり、もう一つには、既存経営者層への人気取りが北畑氏の今後の天下り人生にプラスになるからなのか、ということだが、もちろん、どちらも好ましいことではない。要は、不出来な官僚が、不出来な経営者の保身の心に、深く共感して感化されてしまったということなのだろうか。 そもそも、日国の官僚が「日企業の経営者の保護に熱心である」ことは、いい悪いは措くとしても「ごく普通のこと」ではないのだろうか。ギャンブルの延長線上で株投資をしている人

    ■ - 狂童日報
  • 日本型雇用問題 - 狂童日報

    あまりよく言われないことだが、日の雇用問題に大きな影響を与えているものに「先輩−後輩」関係がある。これは欧米ではもちろん、中国でもそれほどたいした意味は持っていないが、日社会では「タメ」「同期」であるか否かで言葉遣いや付き合い方がすべて変わってしまうほどの重要な意味を持っている。日社会における「古い上下関係」「お上意識」を批判する、どんなに「リベラル」な政治家や学者でも、「後輩」や指導学生が敬語を使って接することはごく当然のことであると考えている。 企業(特に大企業)がなぜ30を過ぎた「フリーター」を採用したがらないかといえば、単に蔑視しているということも確かにあるが、年長の「新人」が入ってしまうことで、社員への教育や組織管理がややこしくなってしまうことを避けたいという事情があると考えられる。昔の「日型雇用」の安定性は、誰もが自然と「先輩−後輩」関係の規範に従うということに支えられ

    日本型雇用問題 - 狂童日報
  • 労働と年金問題 - 狂童日報

    ・NHK「日の、これから」 先日NHKで労働・雇用問題に関する討論番組があった。会場の意見が結構半々なのに、視聴者の投票では圧倒的に差がついたのが印象的だった。いろいろややこしいことを言っているが、要するに結論は二つだ。 (1)フリーターを含む非正規雇用の労働者も正社員と同じように「社会人」として処遇すべき (2)企業の従業員を大幅に増やすべき (1)については、「同一労働同一賃金」という言葉で括られることが多いが、私はこのスローガンにあまり賛成していない。その人の年齢や立場によって給料が異なることは、私には非常に自然なように思われる。「同一労働同一賃金」を言い立ている人は、要するにその人が働いている局面だけしか見ていない。この原則を字義通りに解釈すると、20年間同じ会社で懸命に働き続けても、仕事の内容が同じなら新入社員と給料が同じであるべきだとということになるが、やはりそれはおかしい。

    労働と年金問題 - 狂童日報
    randompole
    randompole 2007/06/25
    「「同一労働同一賃金」は(中略)「成果主義」の別名でしかない」
  • 大増税時代は宿命である - 狂童日報

    また昨日の書き直し。またこういうことをやっていると信用されなくなかもしれないが、納得できなかったので・・・・。 10数年前は「大増税時代は避けられない」という人が結構いたように思う。経済の素人である私も「高齢社会化するし、仕方ないのかな」と漠然と思ってきた。 ところが最近そういう主張が全く影を潜めるようになっている。特に政府やマスコミのレベルでは、ほとんど経済成長による税収増加という以外のアプローチが語られなくなっている。共産党や社民党など、自民党の経済成長路線を批判する人々も、「増税」を決して口にせずに「無駄な財政支出を減らす」ということばかり言い、その舌の乾かぬうちに「社会保障の充実を」と平然と語る。「財源はどこから?」という自民党からの批判に弱く、世間からも「きれいごと」とそっぽをむかれるのは当たり前である。インターネットでも、官僚への「楽をしている」「贅沢だ」という無意味なバッシン

    大増税時代は宿命である - 狂童日報
    randompole
    randompole 2007/05/15
    税金を納める側も預かる側も、誰も増税した分が納税者の利益として還元されるとは思っていないという現実。
  • 希望は戦争 - 狂童日報

    格差社会論も傷気味と思っていたところに、『論座』1月号に赤木智弘「「丸山眞男」をひっぱたきたい」という文章を読んだ。大げさじゃなく、この1年の格差社会論で最も刺激的で面白い論文だった。 今までの格差社会論の多くは、「真面目に働く庶民」を前提とした「新自由主義」「勝ち組」批判が多かったし、フリーターやニートの問題も、「新自由主義」「勝ち組」と呼ばれる層が批判の矛先になっていた。しかしこの現役フリーターを自称する赤木という人は、「真面目に働く庶民(=労働者)」を敵視する。自分を「弱者」であるとためらわず自己定義し、怠惰なのではなく「不幸な世代」であるだけだと訴える。そうして彼は主張する。いま「平和な社会」の維持を語ることは、定職と家庭をもつ上の世代の豊かな生活を維持し、若者を家庭ももてないような弱者にとどめておく、現在の状態を維持することでしかない。それに比べれば、国民全員が平等に苦しむ戦争

    希望は戦争 - 狂童日報
    randompole
    randompole 2006/12/07
    「平和が続けばこのような不平等が一生続く」
  • 核武装論―議論はなくてもいい - 狂童日報

    核武装論が一段落したが、気になったのは「議論はあってもいいではないか」という意見がかなりあったことである。ネットで上多かったのは予想通りだが、新聞やテレビなどでも少なくなかったのは正直なところ驚きだった。 おそらく、大半の人は「核武装はするべきではない」と考えているし、言いだしっぺの中川政調会長や麻生外務大臣なども「非核三原則は堅持する」ということを明言している。しかし結論が出ているなら、どうして議論をする必要があるのだろうか・・・・?断っておくが「議論はあってもいい」のは当たり前である。テレビの討論番組で核武装論に言及する人はいくらでもいる。しかし、国会の貴重な時間を割いて議員同士が議論する必要があることなのかどうかは、全く別の話である。ところがこのことを理解せずに、「核武装は反対だが議論はあったほうがいい」という、自家撞着を起こしている人たちが後を絶たない。そこでは、「何を主張するため

    核武装論―議論はなくてもいい - 狂童日報
    randompole
    randompole 2006/11/12
    「結論が出ているなら、どうして議論をする必要があるのだろうか」「それ自体議論が出来ない正論ばかりが語られる」/つーか、必ずナントカの一つ覚えみたいに言論弾圧とか言い出す人が出て来るんだな。
  • いじめっこはどこに? - 狂童日報

    普段は安直なマスコミ批判をする連中を軽蔑しているが、さすがにここ最近のいじめ問題に関する報道はひどすぎる。 だいたい、いじめが問題であるとすれば、最も反省し、態度を改めるべき存在は誰なのだろうか。そんなのは幼稚園生でもわかる。直接いじめを行った生徒である。それ以外には有り得ない。直接いじめていた生徒と、それに加担していた仲間と、消極的に同調していたクラスメートの順に悪い。基的に教師は悪くない。もちろん公に謝罪するのは教師だが、それは社会的に「未熟」な生徒のかわりに、クラスの監督者として、そして一人の大人として社会的責任をとっているだけである。最終的にいじめっこの生徒が責任をとらないのは、あくまで社会的な能力や責任感に欠けた子供として扱っているからであり、教師のほうが悪いからでは決してない。テレビや新聞の報道を観ていると、こういういじめ問題を考える際の大前提が共有されていないのではないかと

    いじめっこはどこに? - 狂童日報
  • 飲酒運転事故の増加 - 狂童日報

    飲酒運転撲滅キャンペーンが盛んである。それ自体は別に構わないが、酒飲みでマイカー持ちに飲酒運転の「前科」のない人などほとんどいないと思うのに、「どうして自制できないでしょうかねえ」などと無邪気に言い放つ人が多いのには、正直なところ腹立たしいものを感じる。 もし飲酒運転が当にそんなに多いのだとしたら、その人のだらしなさだけではなく、飲酒運転を取り巻く環境ににも問題があると考えなければならないのだろう。そもそも特に地方の人間にとって飲み会をするにも車がないとほとんど不可能という現実を、「どうして自制できないんでしょうかねえ」と言い放つコメンテーターたちは理解しているのだろうか(理解した上で言っているとしたらとんでもないことである)。地方では車がないと遠出はできない。飲店はほとんど大通り沿いにある。明らかに飲み屋としかいいようない店も乱立していて、特にほとんどビールが必需品である焼肉屋が多い

    飲酒運転事故の増加 - 狂童日報
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    randompole 2006/09/11
    社会全体が酒に対してルーズすぎることと、酒を飲まないとコミュニケーションの輪に入れないという悪弊というか同調圧力というか、そういうのが根本のような気が。
  • なぜ若者は政治運動をしなくなったか - 狂童日報

    昔ちょっと問題提起だけしてそのままになっていたのだけれど、若干だけ考えがまとまったので書いてみたい。 (1)大学生の大衆化 若者の政治運動は昔から、というか世界的に見ても学生が主体である。学生運動が最も盛んだったのは明らかに1960年代だが、今と明確に異なるのは、その頃の学生は明確にエリートだったことである。少なくとも、「末は博士か大臣か」という周囲の期待を背負いながら受験勉強をしてきた世代である。「俺たちが将来の日をリードするんだ」という意識が強く、また周囲もそのように期待していた時代には、政治や社会の問題に対して敏感に反応し、かつ行動することがある意味学生の証であるようなところがあり、また学生が熱く語る怒りや理想にも有り難味が感じられたのである。 しかし1970年代以降、大学の進学率は20パーセントを超えて大衆化し、一流大学の卒業生もほとんど平凡なサラリーマンになることが当たり前にな

    なぜ若者は政治運動をしなくなったか - 狂童日報
  • 論理の飛躍 - 狂童日報

    エコノミストの常套句は「個人の活動の自由度が高まり、競争が激化すれば経済の活力は上がる」である。 最近経済学を専攻しようとする大学生は減少傾向にあるらしいが、むべなるかなである。第一に、このテーゼにはあまりに飛躍がありすぎる。エコノミストはこれを普遍的なテーゼとして語りたがるが、「自由化=景気の向上」というロジックがうまく当てはまるのは、言うまでもなく、あくまで具体的な状況に限られる。経済の専門家の多くがこれを「飛躍」だと思っていないとしたら、そもそも経済学理論に重大な欠陥があるのではないかと思ってしまう。竹中大臣を批判するような人も、このテーゼ自体が間違いだとは言っていないように思われるが、私はこの出発点からして間違えていると考えている。少なくとも「自由化=景気の向上」のロジックがうまく機能する具体的な状況を説明しなければ、このテーゼは単なる宗教であって経済理論ではない。 第二に、このテ

    論理の飛躍 - 狂童日報
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    randompole 2006/07/03
    誰のための経済学か。
  • 狂童日報 - 自民党の増税案について(コメント欄)

    ニートは扶養控除外 自民が検討 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060522-00000007-kyodo-pol これ自体は小さな問題かもしれないが、こういうことを考える現政権の思考様式には大きな問題がある。 そもそも増税は「余裕のあるところから」というのが大原則である。奢侈品や嗜好品の税金が高いのはそういう原則に基づいている。しかし「ニート」や「ひきこもり」と言われる人の家庭に「余裕がある」のかと言われると、実は「下層」のケースも少なくないことはよく指摘されている。「ニート」や「ひきこもり」は親も当の人も社会に出て働きたいと考えているのが普通であり、社会に出れないことへの引け目や劣等感が強い。これだけは断言できるが、「ニート」や「ひきこもり」を抱えている家族と当の人が自らを「幸福」だと考えている人はまずほとんどいないし、特に周囲は「大変ねえ」

    狂童日報 - 自民党の増税案について(コメント欄)
    randompole
    randompole 2006/05/23
    「環境の改善ではなく、悪化させることで解決しようとしている」
  • 国家の品格 - 狂童日報

    藤原正彦『国家の品格』というが最近売れているらしいので、今更ながら手にとって読んでみた。 私は基的に伝統保守的な考え方をしているので、の内容は比較的素直に頭に入るのだが、だんだん退屈になって途中から飛ばし読みになってしまった。 このが床屋談義にすぎないという批判もあるが、床屋談義として読めば(書いているほうもそういうつもりなところがあるし)そんなに悪いではないような気がする。あまたある「嫌中・嫌韓」のように、下手に実証性を売りにして自らが中立的であるかのように装うのほうが、はるかに問題である。自国賛美がすぎるという声もあるが、むしろ私は現状の「自国」に対する過剰な否定的評価に対して、「そこまで堕ちてはいないだろう」と思ったくらいである。 むしろ一番の問題は、「道徳」「情緒」とか「もののあはれ」が大事だとか言っていることである。このを読んで、自称「伝統保守」の「道徳論」に反発

    国家の品格 - 狂童日報
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