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山本義隆に関するreds_akakiのブックマーク (3)

  • 山本義隆氏に関する所感 - フロイデ

    : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : 私はいわゆる全共闘世代(ほぼ団塊の世代と言える世代)では ない。その10歳か「ひと周り」下の世代だ。だから、1960年代 後半の、「日だけでなく、世界的な熱いエネルギー」に、 少なくとも「青年期」としては直接触れなかった世代であり、 それは多分、幸運だった面もあるのだろうけれど、でも、正直に 言うなら、「必ずしも幸運だったかどうか判らない」という疑心は 少しあるだけでなく、あの時代や当時の青年の(偽善や欺瞞も 含めた)情念等に、相当大きな興味(羨望とまでは言わないが) を持っている(あるいは一時期は持っていた)世代(おそらく 最後の世代)の1人ではあるのかもしれない、とは思っている。 最近、渡辺 眸(ひとみ)さんという写真家が、 「東大全共闘 1968~1969」 という、白黒写真をメイン

    山本義隆氏に関する所感 - フロイデ
  • 読書日記 東大全共闘1968ー1969

    東大全共闘1968-1969』 ★渡辺眸   寄稿・山義隆 新潮社   2007.10.20 ●『東大全共闘1968-1969』という東大闘争他の記録写真集を見て(読んで)、 現代の閉塞状況の因のひとつが見えたような気がした。 「懐かしい顔と風景、時代」の懐古にのみ終わっては何の意味も無い。 その因のひとつは、「解放(開放)空間」と名付けられるものから、我々が追放されて 久しいという厳然たる「ただ今の現実」である。 解放=開放空間の破壊、それからの追放は何をもたらすのか? 来、共に考え、闘うべき我々が分断されているという「現実」をもたらす。 「分断=支配」、古来言い古されてきた支配の論理がまかり通る、という現実を。 しかし、いま、解放=開放空間の建設はどのように、可能なのだろうか。 以下、巻末の山義隆・「特別寄稿」を紹介します。 ************** ●闘争を記憶し記録する

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