いまRTした記事の韓国メディア関係者の弁、ものすごいブーメランのような気がしますがどうなんでしょう。
よく言われる、疑似科学や代替医療は「人に優しい」一方で、正しい科学や標準医療は「人に冷たい」から疑似科学や代替医療が幅を効かせることになるんだ、という話。 科学は冷たく、疑似科学は優しいのです。これでは、科学は疑似科学に対して全く勝ち目がありません。 科学は疑似科学に勝てません - バッタもん日記 でも、本当にそうなのかな? 思うに、科学や医療が人に「優しくない」「冷たい」という評価が起こってしまう理由は、結果についての責任の不平等さにあります。 例えば、医療は「正しい」からこそ、医者が間違ってはならないことを間違ってしまった場合の責任は重く問われます。しかしながら、医療に絶対はありませんから、不幸な結果はどうしても起こりうる。それについても結果を問われるような事例が増えたことから、防衛的な行動を取らざるを得なくなっている。 一方で、代替医療はそもそも医療として認められていないので、「騙さ
岩波「世界」の3月号に、湯浅誠の『社会運動の立ち位置-議会制民主主義の危機において』と題した論文が載っている。この号の特集は、「何のための『一体改革』か-税と社会保障を考える」で、宮本太郞、広井良典、峰崎直樹などを総動員、「一体改革」を左側から支持し翼賛する論陣を張ったものだ。「消費税増税で若者の社会保障を充実せよ」という政策主張を啓蒙する企画が組まれ、左側に根強い消費税反対論を切り崩す狙いの編集となっている。4年前、2008年4月号では、「格差社会と増税論議-『消費増税しかない』は本当か」と特集を組み、消費税増税に対して慎重な姿勢を堅持していたが、ここへ来てすっかり立場を変えたようで、増税推進派に旋回を遂げている。岩波の編集部も、「世界」の常連で重鎮である神野直彦も、4年の間に変節した。この情景は、20年前の「政治改革」を彷彿とさせるものだ。小選挙区・二大政党制に抵抗していた左側の市民を
労働という分野ならどこでも、医療であれ、製造であれ、情報産業であれ、中枢にあたる「将軍」や「参謀」にあたるポジションというのは限られているし、全ての人を「将軍」や「参謀」にしていては船頭だらけの難破船になってしまう。実際に現場が必要としているのは沢山の「兵士」だ。中枢の手足となって働く「兵士」が欲しい。下士官ぐらいは幾らか必要かもしれないが、それだって兵士よりは数が少なくてもいい。労働という分野でたくさん必要とされているのは、何も考えない、「個性の違い」に拘泥しない、えらい人の言うことは何でも聞いて、共通規格の部品で動く歯車だ。望むらくは、消費者としての多様性すらみられない、没個性的な金太郎飴のような労働者がいい−−不満を抱いた時に、何か共通の娯楽でも与えてやれば黙ってくれるような労働者がいい。それでも人間は幸せになれないことはない*1。 にもかかわらず、そこここの教育分野では、こうした「
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く