![Amazon.co.jp: 戦争の法 (文春文庫 さ 32-5): 佐藤亜紀: 本](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/fddf2cb9755a3a3bea4bd5c619e4e3adda04cb89/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fm.media-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51zj-pG-TsL._SL500_.jpg)
【ロンドン=大内佐紀】英国の出版業界で、かつての名作の筆者を代え、続編を新たに出版するケースが相次いでいる。 古典的な人気を誇る主人公が活躍する物語の「その後」を、作者の親族などのお墨付きを得た現代の作家が執筆するもので、出版業界にとっては確実に一定の読者が見込めるという利点がある。 世界で最も有名な探偵シャーロック・ホームズを生んだ作家コナン・ドイル氏(1859〜1930年)の遺族が運営する会社は今月、ホームズの初めての「公式」続編が今年9月に出版されると発表した。 同社が選んだ執筆者は、英国人の人気テレビ脚本家のアンソニー・ホロウィッツ氏(54)。BBC放送のインタビューで同氏は「こんなすばらしい話を断れるわけがない」と興奮気味に語った上で、「ホームズ、ワトソン博士、(敵役の)モリアーティー教授のキャラクター設定は全く変えるつもりはないが、今までにない、新しい型の犯罪を描きたい」と抱負
別のことを考える。 佐藤亜紀がなぜあれほど小松左京を持ち上げることに対して苛立っているのか。それにはちゃんとした理由がある。それはおそらく、伊藤計劃について小松左京、そしてとりわけ山田正紀の影響を指摘した発言に対する反発とも関係がある。 件のtweetで小松左京についてはひととおりのことはすでに佐藤は語っているし、更に笠井潔の若書きの小松左京論への苦笑交じりの肯定的コメント(発見できなかった。佐藤氏のブログの検索機能はどうなってるんだ)もなんとなくわかるのだが、山田正紀についての強い拒絶と軽蔑はどこからくるのか。山田正紀が「残念な作家」であるということについては、少なくとも80年代までに限っては同意する(その後は読んでいないので衡平な判断はできない。『機神兵団』ラストについては腰が抜けた)が、彼の残念さ(『終末局面』や『幻象機械』のとほほなオチに代表される)がどこに由来するのか、そこに深堀
少し前、タレントは死なないということについて書いた。 テレビタレントは死なない。死ぬのはカメラからもはやネグレクトされた「人間」であって、そういう意味において山城新伍の最期というのは象徴的だった。もしテレビスタジオで死が映されかけたら、カメラはその人間=タレント=今死のうとしている物体から、レンズを背けるはずだ。 さて、そんなこと書いた直後に、複数の人との会合を持ったのだが、そこでふと思った。ブロガーだって、「死なない」のだ。 例えば、偉大な作家について考えてもらいたい。彼/彼女がもし死ねば、その死はたちまち家族に伝わり、出版社に伝わり、メディアを通して全国の人間に伝わる。(大原麗子の件のごとく)そこには多少の時間差が介在するかもしれないけれども、その死が認知されたことによって、その作家は「終わる」のであり、読者はその作家からは新刊はでない、という形で死を受け入れる(受け入れざるを得ない)
お知らせはぎりぎりまで待とうと思っていたのだが、BK1で刊行予告がされているので。 『戦争の法』文春文庫版が出ることになりました。解説は、復調し次第で結構です、ぎりぎりまで待ちます、ということで伊藤計劃氏にお願いしていたのですが、実現しませんでした。非常に残念です。校了まで一ヶ月しかない段階でお願いできる人が思い当たらなかったので、亭主に頼んで書いて貰いました。つまり解説は佐藤哲也ということになります。 再文庫化自体は喜ばしいことではあるのですが(古書価格を見ると複雑な気持ちになるもんで)、こういう事情なので一抹の悲しさもあります。何と言おうか、もう言葉もない。
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