辺見庸による日記でのSEALDs運動への批判に対して、10/2に水野誠一がTwで罵倒する一幕があった。その中に、「時代の変化に着いていけない焦りなのか」という一節があり、気になった。同じような口上での辺見庸へのこきおろしはTwの中に溢れている。辺見庸の発言に対して、支持や理解の声はほとんどなく、悪意に満ちた誹謗中傷ばかりが目立つが、そうした左翼リベラルの反応に共通した傾向が、水野誠一的な「辺見庸は時代遅れ」というレッテル貼りの排斥手法である。古い時代の価値観(イデオロギー)にしがみついていて脱皮しないから、そのような古い時代に拘った偏屈な態度になるのだという切り捨てだ。ここには、自分たちは時代の波に乗っているという自覚がある。SEALDs運動を絶賛している自分たちが時代の主流であるという自意識があり、今回の政治の結果を民主主義の輝かしい勝利だとする自分たちの立場に絶対の自信を持っている様子
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